初代の神武天皇から第9代までは神話上の話であり、事実上、天皇は第10代の崇神天皇(神武天皇のモデル)から始まる。以後は、崇神王朝(第10代の崇神、垂仁、景行、成務、仲哀)、応神王朝(第15代の応神、仁徳、・・、雄略、・・・、武烈)、継体王朝(第26代)へと続く。崇神王朝の最後にあたる仲哀天皇は西暦404年の高句麗との戦いで大敗し、410年には朝鮮半島にいた反仲哀派と戦闘状態に入り、反仲哀派が勝利し、応神王朝へと移行する。日本の崇神王朝は、中国三国時代の「呉」の影響を強く受けたが、次に続く応神王朝は、朝鮮の百済・新羅に大きな影響を与えることになる。日本書紀では応神王朝の初めに当たるところで神功皇后が登場するが、神功皇后は架空の人物であり、邪馬台国の卑弥呼や台与の代役として登場している。日本書紀は、大和朝廷の正当性を記録するために、都合の悪い邪馬台国や卑弥呼の名前を隠したとも思われる。
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