「忌野清志郎さんのロックンロールショーに行ってきました。
あったかくて愛にあふれていて、とっても素敵な時間でした。
キャプテンにも清志郎さんの曲歌って欲しいなと思いました。
清志郎さんとの個人的な交流は有りましたか?想い出など教えてください。」
という、メッセージがきっかけで、清志郎さんとの想い出を語ってくれた夕べのわっつ。
番組表にあった、「熱く語る」という表現への違和感とか、
拓哉君が清志郎さんの曲をソロで歌ったことも、ドラマ「GIFT」知らない人も多いいんだなと、ひっかかりとかも有ったけれど、
4時間半を楽しんだ彼女のメッセージで、拓哉君から清志郎さんの話を引き出してくれてホント嬉しかった。
こんなにまとめて話してくれたこと無かったよね。
清志郎さんのことを語る拓哉君は、ほんとに、深く、優しく。
大好きな先輩への愛にあふれてた。
時に話の中に出てくる清志郎さんの言葉も、口調雰囲気がそのままで
どんな想い出も、鮮明に残っているんだと、その言葉まで懐かしく大切にしてる様子が伝わってきた。
「♪~君が僕を知ってる」
LOVE×2愛してるで、拓哉君がLOVELOVEな歌と言うことで、この曲のことを話し歌ったとき、
清志郎さんが、フルートと歌で参加してくださった。
あのときの様子も思い出した。
ホントに大切な曲であり、大切な人。
もう一度言いたい。
「拓哉君を支えてくださった清志郎さん、ありがとうございます!!」
グループと言うことの縛りというか、事務所の考え?
拓哉君が出演すると、大変ですか?
でもね。ほんと、思い通りに、拓哉君も、参加させてあげたい。
この次には、是非。
ー・-・-・-・-・-
(下は、メッセージに応えて、清志郎のことを語った部分です。)
4時間半もやったんですか。武道館で・・・。
やってるのは、毎回、気にはなってるんですけど
僕自身、清志郎さんの曲に出会ったというか、「おお!!」って思えたのは、
糸井重里さんが進めてくれたんですよ。
ちょっと、ある時期、頭の中が煮詰まっていて、くそって感じのときに
「木村君、。これ聞いたとことある?」
「PCサクセションだけど、このアルバムのこの曲聞いてみて。」って言われたのが
RCの”君が僕を知ってる”っていうナンバーだった。
歌詞をおいながら聞いていて、
「ああ!!」、って、ふうっと、沸騰していたのが収まって
すごい糸井さんにも感謝したのを覚えてるし、
RCサクセションに、”このバンドかっこいいな”っておもって。
もう、ドラマの撮影で移動している間だったり全曲聴いていましたね。
僕自身も、曲で救われたって言うのが経験がなかったので
”すげぇ人だなあ”って印象があった上で、
初めて清志郎さんと、ドラマGIFTっていう撮影で、ご一緒させてもらって・・・。
そんな撮影現場で、僕も趣味程度にギターをさわる方なので
清志郎さんもちいちゃめのアコースティックギターを持ってきて
タイミング逢ったら、できちゃったりするかなと、横でぽろろんってやった。
「おっ、良い感じだね」って言われ、
待ち時間とかある時は、ずっと、スタジオの前室とかで、
ブルースの進行をやったりとか
RCの♪~雨上がりのコード進行を、ちょっと僕が誘い程度に弾き始めたら
「あ、それいく?」って・・・一緒に弾いてもらったりとか。
そんな、こんながあって・・・・
僕が、一人暮らしをして、二軒目か三軒目かに引っ越しをしたときに
たまたま、清志郎さんのご自宅に近くて、歩いてもいけるような距離
「どこどこに引っ越したんですよ。」って話を、清志郎さんにしたのかな。
僕は一人暮らしの空間の中で、自由に時間を使って、
寝れるんだったら寝ていようって感じで、ある日寝てた。
そしたら、朝の8時ぐらいに、チャイムが鳴り、
「誰だよ、朝っぱなからふざけんなよ」って思ってモニターをみたら、
中日ドラゴンズの帽子を深くかぶった人がいた。
一回シカトして、寝てやろうって・・・
そしたら、もう一回。ピンポンって鳴って
声を出さず、無言で、受話器を取ったんです。そしたら、
「オハヨー。」っていって。
「引越祝い持ってきたよ~。」
「俺だよ!!清志郎・・イェイ」
えええ!!!と思って。
短パンでTシャツでさっきまで寝てた自分だったんだけど開けに行ったら
「どうも、おはようございます」っていって。
「いやいやどうも。」って、引っ越し祝い持ってきたよって・・・。
後日、ひょうんなタイミングであったときに。
こんど、自宅兼スタジオの「ロックンロール研究所に来ない?」っていわれて
ロッ研におじゃまして、清志郎さんと、チャカチャカギターを弾いたりとかして。
清志郎さんが「録音しようか?」って
それこそ、コンピューター出してくるのかなと思ったら、
普通のテープレコーダー出してきて。
ボタンを二つ押して、「今。まわってっから」って
二人でギターをきひいて、録音したりとか、させてもらってた。
GIFTっていう現場でも相談させてもらったんですけど
「今度SMAPでアルバムで、それぞれソロの曲を考えてるんですけど」
って、相談させてもらったら
「RCで持っている曲があって、
ライブではやったこと有るけど音源にはしてないんだよね。」って
「今度、ロッ研で、こういう曲だよってやってくるよ。」って、ことで
後日、そのテープいただいたのが、
SMAPのアルバムでカバーさせてもらった、♪~弱い僕だからっていうのだったんです。
個人的な時間もあったし、
それこそ、武道館で、4時間半、いろんなアーティストの方が歌うという。
僕自身、聞き手でもあったし、
個人的に、いろんなユーモアだったりとか、格好良さだったりとか、
いろんな影響を受けた方だったので、いろんな思い・・・。
実際にお亡くなりになった瞬間も、嘘だろうっておもいました。
曲は生きてるでね。
その曲で、励まされたり、笑顔になれたりって人が、たくさんいらっしゃると思いますけど。
もし、自分があのライブに出演できたのなら
清志郎さんが譲ってくれた、♪~弱い僕だからって言うのも、すごく、大きいんですけど
やっぱり、音楽で、”なんだこんな事で、頭煮詰まってたんだ・・・!”って
音楽がツンツンって肩をたたいてくれたのが、この曲だったんで、これかなぁ。
PCサクシェション「♪~君が僕を知っている」
どうですか?
みなさんも、ほっこりできたんじゃないでしょうか?
あったかくて愛にあふれていて、とっても素敵な時間でした。
キャプテンにも清志郎さんの曲歌って欲しいなと思いました。
清志郎さんとの個人的な交流は有りましたか?想い出など教えてください。」
という、メッセージがきっかけで、清志郎さんとの想い出を語ってくれた夕べのわっつ。
番組表にあった、「熱く語る」という表現への違和感とか、
拓哉君が清志郎さんの曲をソロで歌ったことも、ドラマ「GIFT」知らない人も多いいんだなと、ひっかかりとかも有ったけれど、
4時間半を楽しんだ彼女のメッセージで、拓哉君から清志郎さんの話を引き出してくれてホント嬉しかった。
こんなにまとめて話してくれたこと無かったよね。
清志郎さんのことを語る拓哉君は、ほんとに、深く、優しく。
大好きな先輩への愛にあふれてた。
時に話の中に出てくる清志郎さんの言葉も、口調雰囲気がそのままで
どんな想い出も、鮮明に残っているんだと、その言葉まで懐かしく大切にしてる様子が伝わってきた。
「♪~君が僕を知ってる」
LOVE×2愛してるで、拓哉君がLOVELOVEな歌と言うことで、この曲のことを話し歌ったとき、
清志郎さんが、フルートと歌で参加してくださった。
あのときの様子も思い出した。
ホントに大切な曲であり、大切な人。
もう一度言いたい。
「拓哉君を支えてくださった清志郎さん、ありがとうございます!!」
グループと言うことの縛りというか、事務所の考え?
拓哉君が出演すると、大変ですか?
でもね。ほんと、思い通りに、拓哉君も、参加させてあげたい。
この次には、是非。
ー・-・-・-・-・-
(下は、メッセージに応えて、清志郎のことを語った部分です。)
4時間半もやったんですか。武道館で・・・。
やってるのは、毎回、気にはなってるんですけど
僕自身、清志郎さんの曲に出会ったというか、「おお!!」って思えたのは、
糸井重里さんが進めてくれたんですよ。
ちょっと、ある時期、頭の中が煮詰まっていて、くそって感じのときに
「木村君、。これ聞いたとことある?」
「PCサクセションだけど、このアルバムのこの曲聞いてみて。」って言われたのが
RCの”君が僕を知ってる”っていうナンバーだった。
歌詞をおいながら聞いていて、
「ああ!!」、って、ふうっと、沸騰していたのが収まって
すごい糸井さんにも感謝したのを覚えてるし、
RCサクセションに、”このバンドかっこいいな”っておもって。
もう、ドラマの撮影で移動している間だったり全曲聴いていましたね。
僕自身も、曲で救われたって言うのが経験がなかったので
”すげぇ人だなあ”って印象があった上で、
初めて清志郎さんと、ドラマGIFTっていう撮影で、ご一緒させてもらって・・・。
そんな撮影現場で、僕も趣味程度にギターをさわる方なので
清志郎さんもちいちゃめのアコースティックギターを持ってきて
タイミング逢ったら、できちゃったりするかなと、横でぽろろんってやった。
「おっ、良い感じだね」って言われ、
待ち時間とかある時は、ずっと、スタジオの前室とかで、
ブルースの進行をやったりとか
RCの♪~雨上がりのコード進行を、ちょっと僕が誘い程度に弾き始めたら
「あ、それいく?」って・・・一緒に弾いてもらったりとか。
そんな、こんながあって・・・・
僕が、一人暮らしをして、二軒目か三軒目かに引っ越しをしたときに
たまたま、清志郎さんのご自宅に近くて、歩いてもいけるような距離
「どこどこに引っ越したんですよ。」って話を、清志郎さんにしたのかな。
僕は一人暮らしの空間の中で、自由に時間を使って、
寝れるんだったら寝ていようって感じで、ある日寝てた。
そしたら、朝の8時ぐらいに、チャイムが鳴り、
「誰だよ、朝っぱなからふざけんなよ」って思ってモニターをみたら、
中日ドラゴンズの帽子を深くかぶった人がいた。
一回シカトして、寝てやろうって・・・
そしたら、もう一回。ピンポンって鳴って
声を出さず、無言で、受話器を取ったんです。そしたら、
「オハヨー。」っていって。
「引越祝い持ってきたよ~。」
「俺だよ!!清志郎・・イェイ」
えええ!!!と思って。
短パンでTシャツでさっきまで寝てた自分だったんだけど開けに行ったら
「どうも、おはようございます」っていって。
「いやいやどうも。」って、引っ越し祝い持ってきたよって・・・。
後日、ひょうんなタイミングであったときに。
こんど、自宅兼スタジオの「ロックンロール研究所に来ない?」っていわれて
ロッ研におじゃまして、清志郎さんと、チャカチャカギターを弾いたりとかして。
清志郎さんが「録音しようか?」って
それこそ、コンピューター出してくるのかなと思ったら、
普通のテープレコーダー出してきて。
ボタンを二つ押して、「今。まわってっから」って
二人でギターをきひいて、録音したりとか、させてもらってた。
GIFTっていう現場でも相談させてもらったんですけど
「今度SMAPでアルバムで、それぞれソロの曲を考えてるんですけど」
って、相談させてもらったら
「RCで持っている曲があって、
ライブではやったこと有るけど音源にはしてないんだよね。」って
「今度、ロッ研で、こういう曲だよってやってくるよ。」って、ことで
後日、そのテープいただいたのが、
SMAPのアルバムでカバーさせてもらった、♪~弱い僕だからっていうのだったんです。
個人的な時間もあったし、
それこそ、武道館で、4時間半、いろんなアーティストの方が歌うという。
僕自身、聞き手でもあったし、
個人的に、いろんなユーモアだったりとか、格好良さだったりとか、
いろんな影響を受けた方だったので、いろんな思い・・・。
実際にお亡くなりになった瞬間も、嘘だろうっておもいました。
曲は生きてるでね。
その曲で、励まされたり、笑顔になれたりって人が、たくさんいらっしゃると思いますけど。
もし、自分があのライブに出演できたのなら
清志郎さんが譲ってくれた、♪~弱い僕だからって言うのも、すごく、大きいんですけど
やっぱり、音楽で、”なんだこんな事で、頭煮詰まってたんだ・・・!”って
音楽がツンツンって肩をたたいてくれたのが、この曲だったんで、これかなぁ。
PCサクシェション「♪~君が僕を知っている」
どうですか?
みなさんも、ほっこりできたんじゃないでしょうか?