笑顔抱きしめ

小さな幸せの元を探して
身の回りのこと・大好きな木村拓哉さんのこと

8月9日 長崎

2020-08-09 | 日記
1945年(昭和20年)8月9日午前11時02分 長崎市に原爆が投下された。
広島に次いで二つめの原爆投下。
半径1㎞以内、遮蔽物のないところでは致死率ほぼ100%だったとある。

珍しく第一回目を見た朝ドラ「エール」。
東京オリンピックの開会式の式直前の古山(古関裕而)の様子が描かれてた。
自分の作曲した曲が演奏されるハレの場所なのに(だから・・)、会場に入る勇気がない古山に
会場の係員(多分警備員だったと思う)役の 萩原聖人さんが
「先生!自分は、長崎の出身です。」と、呼びかける。
「親や兄弟、親戚…みんな死んた。でも、生きる希望を与えてくれたのは、先生の『♪~長崎の鐘』です。」
と、祐一にかたり、会場へ向かうように説得するの。


「♪~長崎の鐘」は、原爆で奥さんを亡くし、自分も重傷を負いながらも被爆者の救済に当たった永井博士の著書「長崎の鐘」が元になった歌。
作詞は、サトウハチローさんで、サトウさん自身も弟さんを広島の原爆で亡くしている。
だけど、当時は、GHQとかの目があるから、直接、がん縛に関しての言葉はない。
ないけれど、深い思いが伝わる歌詞。


1番の♪~こよなく晴れた 青空を 悲しと思う せつなさよ
最初のこの言葉とメロディ、どれだけ野人が泣いただろうと思う。


2番 ♪~召されて妻は 天国へ 別れて一人 旅立ちぬ
かたみに残る ロザリオの 鎖に白き 我が涙


そして、1~4番すべて、
♪~なぐさめ はげまし 長崎の あゝ 長崎の鐘が鳴る と歌う。


実際の鐘の音も。心の中に響く、亡き人と一緒に聞いた鐘の音もともに、鳴るんだよね。


我が家は、父がよく歌っていて、私も歌えます。
最初は、意味も深く知らず覚えました、この曲。


今年は、投下されて75年。
原爆は遺髪に携わった科学者が言ったという、「七十五年は草木も生えない。」と、言う言葉。
その75年目。


永井博士の著書「長崎の鐘」の中に、アリを見つけ、ネズミを見つけ、麦の芽を見て
「こんなふうに生息できるのだから、人類の生息はできる」と、希望を見つけたような描写があるそうです。


その著書の結びの一文は
「この浦上をして世界最後の原子野たらしめたまえ。


どうか安らかにお眠りください。二度と過ちは繰り返しませんから。

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