昨夜から今朝の東京、台風の影響で山の手線・京浜東北、運休や間引き運転続発移動するのに大変混乱をした。本日の昼12時頃太陽が降り注ぎ気温は前日よりも+9度、前日の山口が肌寒く急遽夏物の上着から冬物の上着に変更したが、暑くてただ荷物を重くしただけになってしまった。
帰りの新幹線、持って居た本を読み終え、娘に貰った文庫本(自身では絶対に選ぶ事の無い本)を読み始めた。これまでに出会った事の無い本に、驚きながら読み進む、面白い空間を想像させる内容である。
作者「三浦しをん」音だけ聞いてなんとなく記憶にあった。しかししばらくして自分のどじに気付く、「三浦朱門」を記憶していたのだ。なんとお粗末な知識
ちなみに三浦朱門の略歴『ウィキペディア(Wikipedia)』
三浦 朱門(みうら しゅもん、1926年(大正15年)1月12日 - )は、日本の作家、第7代文化庁長官。教育課程審議会会長を歴任。東京都出身。東京府立第二中学校(現在の東京都立立川高等学校)から旧制高知高等学校(現在の高知大学)を経て、東京大学文学部言語学科卒業。2004年に日本芸術院の院長に選出され、また2005年3月まで日活芸術学院の学院長を務めた。妻は作家の曽野綾子で二人ともカトリック信徒として知られる。
帰りの新幹線、持って居た本を読み終え、娘に貰った文庫本(自身では絶対に選ぶ事の無い本)を読み始めた。これまでに出会った事の無い本に、驚きながら読み進む、面白い空間を想像させる内容である。
作者「三浦しをん」音だけ聞いてなんとなく記憶にあった。しかししばらくして自分のどじに気付く、「三浦朱門」を記憶していたのだ。なんとお粗末な知識
ちなみに三浦朱門の略歴『ウィキペディア(Wikipedia)』
三浦 朱門(みうら しゅもん、1926年(大正15年)1月12日 - )は、日本の作家、第7代文化庁長官。教育課程審議会会長を歴任。東京都出身。東京府立第二中学校(現在の東京都立立川高等学校)から旧制高知高等学校(現在の高知大学)を経て、東京大学文学部言語学科卒業。2004年に日本芸術院の院長に選出され、また2005年3月まで日活芸術学院の学院長を務めた。妻は作家の曽野綾子で二人ともカトリック信徒として知られる。