柿の実る風景から連想するのが、20数年前釧路の知人が言った言葉。
彼が大学に進学するため列車で上京時に見た風景を思い出して語った。
「秋に内地を旅すると、日本の農村の原風景を感じる、ああ内地に来たんだ」
こんな意味合いの事だったと記憶している。
現在は北海道にも柿木があるかも知れないが、当時は無かったその為に、彼にとっては、柿の実る風景は感慨を持って見たのだろう。
北海道の人々は、その殆どが明治時代に入植した、彼の先祖が何処から来たかは、聞き漏らしたか忘れてしまったが、何れにしても内地からである事は間違いない。
つまり、彼の感慨の中には、先祖達の故里への想いが重なっていたのだろう。
何気ない見慣れた風景も違って見えてくる。
彼が大学に進学するため列車で上京時に見た風景を思い出して語った。
「秋に内地を旅すると、日本の農村の原風景を感じる、ああ内地に来たんだ」
こんな意味合いの事だったと記憶している。
現在は北海道にも柿木があるかも知れないが、当時は無かったその為に、彼にとっては、柿の実る風景は感慨を持って見たのだろう。
北海道の人々は、その殆どが明治時代に入植した、彼の先祖が何処から来たかは、聞き漏らしたか忘れてしまったが、何れにしても内地からである事は間違いない。
つまり、彼の感慨の中には、先祖達の故里への想いが重なっていたのだろう。
何気ない見慣れた風景も違って見えてくる。