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東京目黒から山梨へ育児のためにお引越し。40代高齢出産ママの雑記帳です。

斑鳩宮始末記(黒岩重吾)

2008年08月28日 | 本のこと
ある本では脇役に徹していた人物が、別の本で主人公で取り上げられると何やら知り合いが大出世したような喜びに包まれる。

斑鳩宮始末記 (文春文庫)斑鳩宮始末記 (文春文庫)
黒岩 重吾

文藝春秋 2003-01
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本書の主人公は「斑鳩王の慟哭」で聖徳太子の舎人として登場していた調首子麻呂(つぎのおびとねまろ)。子麻呂の仕事は、今で言うなら刑事のようなもの。部下の魚足(うおたり)といっしょに、斑鳩の都で起こる様々な事件を調べて解決していきます。政敵の多い聖徳太子の寵臣である子麻呂は、ときに暗殺者に狙われることもあるけれど、危機一髪でいつも勝利を収めるのです。

途中に変な歴史的講釈が入らないので、小説的な話の流れが損なわれることもないし、登場人物のキャラクター描写が濃いのが本書の魅力です。例えば、主人公の調首子麻呂(つぎのおびとねまろ)は「学識者でもあるが熱血漢」。ときに理想と現実の狭間で揺れ動き自身を戒める姿は十代の少年のようです。調氏の家訓は「腹を満たすほど食ってはならぬ、それは獣になること」らしいが、これはわたしも耳が痛い。部下の魚足(うおたり)は子麻呂よりも農民や奴(やっこ)や(ぬひ)の生活に詳しく、彼らにも親しい言葉を自然にかけることができるので、事情聴取には最適。でも、魚足の洟汁をすする癖に子麻呂は「気勢を削がれる」らしい。

生きている人間のキャラクター描写だけではなく、著者の死人の描写もなかなか。ある死人は「屁を放ったら糞も出た、という顔」をしているし、男性の一物に玉をしこんだ死体は薄目を開けて「この世を窺うというより未練のありそうな顔」をしていたり。

こういうところがやけにツボにはまるのよね~♪