52 Crescent Street

東京目黒から山梨へ育児のためにお引越し。40代高齢出産ママの雑記帳です。

大陵苑&雁鴨池@慶州

2011年01月19日 | 散歩・旅のこと



大陵苑は古墳群の中でも大規模で、23基の古墳がある。
昔はこの中に住居があったらしいが、現在は公園としてよく整備されている。





古墳の呼び方には3種類あって、それぞれ定義が異なるそうだ。

陵は、発掘調査が行われ、誰のお墓であるかがわかっているもの
塚は、発掘調査が行われたが、誰のお墓であるか不明なもの
墓は、発掘調査が行われておらず、誰のものであるか不明なもの

確かこんな感じの定義だったような・・・
間違っていたらスミマセン


有名な天馬塚は、この定義に則ると、発掘調査は行われたが
誰の墓かは未だ不明だということ。

ところで、天馬塚は古墳内部が解放されており、中に入って見学できる。



天馬塚の正面入り口。日に当たって雪が溶けているが、
裏側は陰っているので、まだ雪が積もっている。



発掘調査で明らかになった石室内部のレプリカが見られる。
頭の方には黄金の帽子が置かれ、腰の位置には黄金の腰帯、
左脇には細身で長い剣が置かれている状態。

骨はみつからなかったらしい。

王冠や装飾品などのレプリカが展示してあり、
本物は国立慶州博物館に展示されているとのこと。


大陵苑の後は、石窟庵が見れなかった代わりに訪れることになった広い庭園跡。





月城ウォルサルの向かい側に当時臨海殿と呼ばれた離宮があったそうだ。
三国統一を成し遂げた新羅が海を模して作ったとされる大きな池は、
リアス式海岸のような岸辺もあるし、島まで浮かんでいる。

これを見たら、その当時新羅が如何に自信満々だったかわかるでしょ?
と日本語ガイドの閔さん。

ところで、雁鴨池というちょっとイケていない名前は、新羅滅亡後に高麗の人によって付けられた名前だそうだ。
高麗時代には臨海殿は破壊されつくし、雁や鴨しかいないような寂しい荒地になっていたことによるらしい。

閔さんの説明はだいたいこんな感じだったと思うけど、記憶違いがある可能性大。
間違っていたとしたら閔さんのせいではなく、アタシの記憶違いのせいです。




雁鴨池を一周し、次は博物館へ。



なかなか広い敷地である。



入り口にあるのは聖徳大王神鐘、別名「エミレーの鐘」。

最初に鐘を鋳造した際、どうしても音が響かないため、幼い女の子を人柱として作り直したのです。出来上がった鐘は美しい音色を響かせたが、その音は「エミレー、エミレー(お母さんの古語)」と叫ぶ子供の音のようだったと伝われています。別名エミレの鐘、又は奉徳寺鐘として知らされたこの鐘は、統一新羅時代第35代景(742~765在位)が亡なった父王聖大王(702~737在位)の冥福を祈るために、銅12万斤を入れて造ったが失敗に終り、その子である惠恭王7年(771年)に完成した大鐘であります。(慶州旅行ガイドより

この鐘は当時の最高技術を使って製造されたもので
現存する中で韓国最大の大きさを誇るらしい。

この19トンの重さを支えるには最低でも直径15cm必要なのに、実際は直径9cmの棒で支えられていたらしい。
どうしてそのようなことができたのか、現代の科学知識を以てしても未だ解明できないらしい。



鐘の周りの彫刻も繊細で非常に美しく、
また録音の鐘の音も非常に清々しい響き。




森浦サムパプ&皇南パン@慶州

2011年01月18日 | 散歩・旅のこと


雪の積もった仏国寺はとても美しかった。
が、やはりちょっと凍えていたらしい。

オンドルの床が温かい森浦に入ったら
一気に緩んだ。

森浦はサムパプ一筋30年というお店。
ご主人が骨董好きで、店内あちこちにいろんな骨董が無造作に置いてある。
けっこう不思議なお店の雰囲気。



サムパプとは生野菜や茹で野菜におかずやご飯を巻いて食べる食事のこと。
席につくやいなや数々のお皿がズラ~っと並べられる。
計20皿。肉も魚もあるが、圧倒的に野菜が多くヘルシー。





お好みで巻いて食す。

サンチュなどの野菜がなくなったので追加注文。
ところが、周りの韓国の人達は野菜を追加注文しないのだ。
なんで?

観察の結果、巻かずに食べているケースもあることがわかった。
何でも巻くわけではないのね。



お腹いっぱいサムパプを食した後は、デザートを買いに皇南パンの店へ。





パンというよりお饅頭。
焼き立ては皮がサクっ、餡が熱々。
甘すぎない餡は口の中でとろける感じ。
お土産に1箱購入。食べるときはレンジで温めること。






仏国寺@慶州

2011年01月17日 | 散歩・旅のこと


仏国寺プルグッサは新羅最盛期に建立されたお寺。
文禄の役の際に、多くの木造建築物は焼かれてしまい、
新羅当時のものとしては、階段や石塔など石造りの物のみということ。
それでも仏国寺の形そのものに、新羅の仏教観が反映されているということで見所満載とのこと。

日本語ガイドの閔さんの説明がなければ、ただただ歩きまわって終わりとなるところだった。



本来は一ノ門から入って俗世の汚れを少しずつ浄めながら
仏の国に入らなければならないらしいが、表門は雪で封鎖。
裏門からアイスバーンの道を登ることに。



仏国寺の全体像を地図にて確認。
一ノ門から始まって天王門を通り中壇へと入る道を確認。
伽藍は4つの領域に分けられていて、それぞれに意味があるとのこと。



ひと通り説明をきいたあと、向かったのは中壇にあるとても存在感ある石段。

新羅時代から残っているといわれている石段で、青雲橋・白雲橋と呼ばれているそうだ。
全部で33段あるこの石段を、仏の国に入る際に渡る橋に見立てているそうだ。
国宝の石段を登ることはできないため、横から回り道して仏の国の境内にはいる。




本殿は文禄の役の際に消失し、現在のものは1695年に再建されたものだそうだ。
釈迦牟尼仏を中心に左右に未来の仏様になる弥勒菩薩と過去の燃灯仏かつら菩薩があり、
過去、現在、未来の三世仏をなしているとのこと。

ちなみに、大雄殿の正面に見える燈籠(?)の四角い穴を覗き、
釈迦牟尼仏の顔が見える位置で止まってお願いすると
願いが叶うそう。我らもお願いしてきたよん。



大雄殿の前に2つの石塔が向い合って並んでいるが、
この石塔も新羅時代のもので、国宝に指定されている。
とても優美な姿。新羅の文化レベルの高さがわかる。



石塔のところにポツンとひとつだけコマイヌが置かれているが
もとは四方にひとつずつ、計4匹のコマイヌが置かれていたとか。
だれかに盗まれてしまったらしいが、そのうちの1匹は大英博物館にあるらしい。



無説伝の裏から、観音様の世界へ。



仏様の世界から、観音様の世界へは大変急な階段を登らなければならない。
この階段の傾斜は、困難な思いをして観音様の世界にたどり着くのだという
新羅仏教の観念を具象化しているということ。また、格段の幅が極度に狭いわけは
謙虚な気持ちを持つことを促しているということだ。



観音様の世界からみた、仏様の世界。
とても静かで平和。

この後、別の、これもまた急な階段を降りて毘盧殿へ。
統一新羅時代に造成された金銅毘盧遮那仏が安置されているとのこと。
新羅時代の仏像はみな静かで穏やかな顔をしているということで、
石窟庵もぜひ見学して見比べたかったなあ。



最後に、阿弥陀仏の極楽浄土である極楽殿に。
ここでは金色のイノシシの置物がみんなに大人気。
何でも数年前に黄金の猪年がやってきたらしく
そのとき記念に作られたとか。
撫でると幸運が訪れるというのでアタシもひと撫で。



こうして仏国寺見学は無事終了。



新羅千年の都@慶州

2011年01月16日 | 散歩・旅のこと
旅の目的のひとつは、慶州に行くこと。
新羅時代に約千年間、都として栄えていた慶州は
最盛期には100万人もの人口を抱える大都市だったとか。
いまや往時の面影はほとんどなく、何も知らずに行くと、
何も無い、とんだ田舎町に来たもんだ、となってしまう。

こちら↓、車窓から見た慶州の風景。ほんとに何も無い。



今回、我らは日本から現地のツアーに申し込んだ。
(株)グレーストラベルの「釜山発着、慶州「世界遺産」日帰りツアー」だ。
送迎バンと日本語ガイド、昼食付きで一人110,000ウォン(約8,000円)。
大変お得である。

日本語ガイドは、閔さんという女性。
なんと閔妃と同じ一族だということ。
閔氏は氏族内におけるランクを名前に入れる漢字で示したとか。
興味深い話である。

約1時間半の移動中、新羅について、また世界遺産としての慶州について講義を受ける。
慶州では、奈良と同様、掘ったら至る所から遺跡がでてきてしまうので
やたら家は建てられないだとか、景観を守るために5階建て以上の建物は建てられないとか、
昔風の家を残し、今でも普通に古民家に人が住んでいるとか。
ガソリンスタンドの屋根でさえ、瓦がのっけられているとか。

ちなみに、こちら↓は慶州の家。瓦屋根に雪が積もった景色は美しい。




ところで、このツアー、見学の内容は以下のとおり。

石窟庵→仏国寺→昼食→皇南パン→古墳(天馬塚)→国立慶州博物館→慶州崔家・校洞法酒と古宅→釜山

ところが、当日は積雪のため、石窟庵までの道が封鎖。



石窟庵はこの目の前の山にある。
道路は完全にアイスバーン。

雪好きなわたしは雪を見て大喜びだが
雪が降らない釜山出身の運転手さんは
慣れない雪道の運転に苦労した模様。

石窟庵は諦めたものの、麓にある仏国寺に向けて
ノロノロとバンは進むのであった。






西面でチャジャンミョン@釜山

2011年01月14日 | 散歩・旅のこと


前回釜山に来たときに、ちょっと気になっていたお店。
湯気がモクモクたち、地元客でいっぱい。期待できます。



勝手がよくわからないが、とりあえず、地元客の行動を観察の上、
自分で水を入れたり、ティッシュを取りに行ったり。
かなりセルフな感じ。

お店の姉さんのオススメで、蒸し餃子とチャジャンミョンを注文。
お代は前払い。

まずでてきたのは、チャジャンミョン↓。



トライ飯店で食べるのとは、麺が違う。
どちらかというと、インスタントのチャジャンミョンの麺に似ている。



お作法通りにグチャグチャ混ぜて、ズズっと。
・・・うん、トライ飯店の勝ち。

そして、蒸し餃子。




こちらはオススメだけのことがあって、ジューシー。
それにしても、餃子8個とは韓国の食べ物屋は気前がいい。
もっとお腹を空かせてから来るんだった。






西面でデジクッパ@釜山

2011年01月13日 | 散歩・旅のこと
釜山に着いて一番初めに訪れたのは、やはりこの店↓。



慶州朴家クッパ。西面にあるテジクッパ専門店である。
はっきり言って、釜山にはこれを食べに来たようなもの。



地元のおじさんたちのまったりした姿。
店の中は寒いので、みんな上着を着たまま。


おかずをつまみながら、テジクッパが出てくるのを待つ。



生のタマネギを味噌につけて食べるのだ。



またこのタマネギがみずみずしくて甘くて美味しいのだよ。


そして、主役の登場、ダ~ン!



スープたっぷり。とっても嬉しい♪



アミの塩辛、野菜、塩、味噌などをお好みで入れて、自分好みの味に整える。
このやり方が好きなんだ。

アタシは塩味、たいちゃんは味噌味が好き。



肉の薄切りもたっぷり入っている。タレに付けていただく。
このタレがまた美味しくてやみつき。

結局、釜山滞在中にもう一度この店に来て
2度テジクッパを楽しんだ。

今年中にまたもう一度来るぞ~!



羽田-ソウル-釜山

2011年01月10日 | 散歩・旅のこと


羽田から金甫空港までアシアナ航空で。
羽田からは富士山が。



アシアナ航空の機内食を楽しんでいる間に、ソウルに到着。
たった2時間半の旅。



金甫空港に到着。
地下鉄に向かう通路で。
外はかなり寒そう。



プラットホームには扉が。
早くJRでもこうなればいいのに。
それにしても、凍える。
あちこちで雪が残っている。




ソウル駅。ここからKTXで釜山へ向かう。







少し時間があるので、KFCで腹ごしらえ。



プラットホームは外・・・
出たくない。




いざ、乗り込み。



釜山に出発。

しばらく走ると漢江が。
凍っている・・・



ソウルは相当寒い。釜山はどうなのか?



姉の甲府鳥モツ煮

2011年01月04日 | 食べ物のこと


昨年B1グランプリに輝いた甲府鳥モツ煮。
たいちゃんは食べたことがないと知って
調布から山梨に帰省中の姉が作ってくれた。



材料を入れて、とにかくガンガン煮詰めるのがポイントだそうな。



いい具合に汁気がなくなり・・・
こんな風↓になったら、出来上がり♪



ビールのアテに最高ッ♪