大陵苑は古墳群の中でも大規模で、23基の古墳がある。
昔はこの中に住居があったらしいが、現在は公園としてよく整備されている。
古墳の呼び方には3種類あって、それぞれ定義が異なるそうだ。
陵は、発掘調査が行われ、誰のお墓であるかがわかっているもの
塚は、発掘調査が行われたが、誰のお墓であるか不明なもの
墓は、発掘調査が行われておらず、誰のものであるか不明なもの
確かこんな感じの定義だったような・・・
間違っていたらスミマセン
有名な天馬塚は、この定義に則ると、発掘調査は行われたが
誰の墓かは未だ不明だということ。
ところで、天馬塚は古墳内部が解放されており、中に入って見学できる。
天馬塚の正面入り口。日に当たって雪が溶けているが、
裏側は陰っているので、まだ雪が積もっている。
発掘調査で明らかになった石室内部のレプリカが見られる。
頭の方には黄金の帽子が置かれ、腰の位置には黄金の腰帯、
左脇には細身で長い剣が置かれている状態。
骨はみつからなかったらしい。
王冠や装飾品などのレプリカが展示してあり、
本物は国立慶州博物館に展示されているとのこと。
大陵苑の後は、石窟庵が見れなかった代わりに訪れることになった広い庭園跡。
月城ウォルサルの向かい側に当時臨海殿と呼ばれた離宮があったそうだ。
三国統一を成し遂げた新羅が海を模して作ったとされる大きな池は、
リアス式海岸のような岸辺もあるし、島まで浮かんでいる。
これを見たら、その当時新羅が如何に自信満々だったかわかるでしょ?
と日本語ガイドの閔さん。
ところで、雁鴨池というちょっとイケていない名前は、新羅滅亡後に高麗の人によって付けられた名前だそうだ。
高麗時代には臨海殿は破壊されつくし、雁や鴨しかいないような寂しい荒地になっていたことによるらしい。
閔さんの説明はだいたいこんな感じだったと思うけど、記憶違いがある可能性大。
間違っていたとしたら閔さんのせいではなく、アタシの記憶違いのせいです。
雁鴨池を一周し、次は博物館へ。
なかなか広い敷地である。
入り口にあるのは聖徳大王神鐘、別名「エミレーの鐘」。
最初に鐘を鋳造した際、どうしても音が響かないため、幼い女の子を人柱として作り直したのです。出来上がった鐘は美しい音色を響かせたが、その音は「エミレー、エミレー(お母さんの古語)」と叫ぶ子供の音のようだったと伝われています。別名エミレの鐘、又は奉徳寺鐘として知らされたこの鐘は、統一新羅時代第35代景(742~765在位)が亡なった父王聖大王(702~737在位)の冥福を祈るために、銅12万斤を入れて造ったが失敗に終り、その子である惠恭王7年(771年)に完成した大鐘であります。(慶州旅行ガイドより)
この鐘は当時の最高技術を使って製造されたもので
現存する中で韓国最大の大きさを誇るらしい。
この19トンの重さを支えるには最低でも直径15cm必要なのに、実際は直径9cmの棒で支えられていたらしい。
どうしてそのようなことができたのか、現代の科学知識を以てしても未だ解明できないらしい。
鐘の周りの彫刻も繊細で非常に美しく、
また録音の鐘の音も非常に清々しい響き。