栄久山妙善寺おしょうのつぶやきブログ

山梨県富士川町の栄久山妙善寺は身延山久遠寺を総本山とし永代供養・水子供養・祈祷・相談占い等を行う寺院の住職です。

日朝上人 眼病守護の神様

2011年09月29日 | 歴史

妙善寺の参道を歩きながら歴史を紹介する 妙善寺歴史散歩道 第2回

妙善寺の山門をくぐると右に 目の神様 日朝上人のご宝塔が祀られております。

1

安永2年(1774年)6月25日 妙善寺第12世日感上人代に建立

日朝上人は行学院日朝と称し 身延山久遠寺第11世法主・身延中興の先師と称されました。

昔から眼病守護の神様・学業成就の神様として絶大な信仰を集め 日朝さま・日朝さんと呼ばれ親しまれています。

2

妙善寺にも昔から伝わる不思議なお話があります。

ある日突然 目の病にかかった村人が 目の神様日朝上人の話を聞き とても熱心に妙善寺をお参りしたところ 目の病が治ったそうです。

今も妙善寺の日朝上人宝塔は お参りする方が絶えません。

3

このご宝塔は 柄杓ですくったお水をかけて 参拝を行うのですが お参りの方の中には 日朝さまのお水を持ち帰り 家の玄関のまわりにまいて 魔除けのお水としている方もおります。

今、流行りの言葉を借りると 妙善寺パワースポットになりますかね・・・

皆様のお参りお待ちしております。

   合掌   栄久山 妙善寺

P1030155

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

村雲御所瑞龍寺 宮様の史跡

2011年09月05日 | 歴史

妙善寺の参道を歩きながら歴史を紹介する 妙善寺歴史散歩道  第1回

県道140号線より妙善寺看板が見えます 参道に入ると直ぐに目に入るのが 山門です。

Dscf4671_2

 妙善寺の看板

今回は妙善寺の山門の紹介です。

Photo_4

     栄久山妙善寺 山門

この山門は 江戸三大彫刻・石川彫刻による彫刻と 村雲御所・日尊宮様(明治天皇おば君) 御親筆による 山額が掲げられています。

Photo_2

    日尊宮様御親筆 山額面字

この山額面字は 妙善寺第十五世日誠上人が京都御所参内のおり 村雲御所日尊宮様より 拝戴(たまわった)ものです。

村雲御所とは・・・豊臣秀次公の生母・日秀公(豊臣秀吉公の姉) が秀次公の菩提を弔う為に 後陽成天皇より村雲の地と瑞龍寺の寺号を賜り 村雲御所を創建し代々皇族が住職となって来た門跡寺院です。

日尊宮様は・・・村雲御所の第九世。 実父は伏見宮貞敬親王であるが 九条輔嗣の猶子となる。

村雲御所は天明の大火により焼失しますが 日尊宮様が本堂・書院・などを再建し 現在においても村雲御所の中興の祖として仰がれています。

また明治27年には 村雲御所第十世日栄宮様(明治天皇の姉君) が妙善寺へ 御光臨(おこしに)なり ご参籠(お泊り)なされ 国家安泰をご祈願されました。

現在も日栄宮様より賜った 九条家御定紋・九条藤御紋の御袈裟は寺宝として 歴代住職に受け継がれています。

Photo_3

    日栄宮様より賜った袈裟

今回の第1回散歩道は 山門を紹介しました。次回もお楽しみに・・・

    合掌     栄久山 妙善寺


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

織田信長 肖像画

2011年06月13日 | 歴史

妙善寺の本堂には、伝教大師(最澄)作の毘沙門天が奉られています。

この毘沙門様は、足利将軍家をはじめ、織田信長、加藤清正、徳川光圀など数多くの歴史人達が、祈願し、手を合わせて崇敬を集めました。

この中の一人 織田信長 近年信長の肖像画のエピソード話題を呼んでいます。

現在残る信長の肖像画は、狩野永徳が描いたもので、京都市大徳寺が所蔵しているのですが

なんと肖像画が描き直されている事が、京都国立博物館の調査でわかりました。

もとの肖像画は、現代のものに比べると 着物に大ぶりの桐の紋、腰には2本の脇差など 華麗な雰囲気の豪華な画だったそうです。

それを当時の権力者 豊臣秀吉 が自分より目立つのは、おもしろくない と言って書き直させたのではないかと 推測されています。

しかし、秀吉は、信長を尊敬し、生き方を愛した男として 歴史に示されているのも確かです。

もしそれが本当ならば少し寂しい様な気がします。

天下を治めると 人は皆 自分の残す歴史の方が 華やかであってほしいと願うものなのでしょうか・・・

真実はよくわかりませんが 世の成功者も それまでの道程には、様々な出会い 多くの人の支えや 導きがあり 成功するものなのでは・・・  

時には今の自分は・・・ と考え

全てに感謝をする心が 大切なのではないでしょうか?

まあ~ 世の中いろんな事があります。

神のみぞ知るじゃあありませんが、どのような行いも 神様 仏様は 必ずみていると思います。 

そう思うと 信長達が 深く崇敬した 妙善寺の毘沙門様は 全てを知っているのでは・・・

      合掌    栄久山  妙善寺

13


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

泉寿房日脱上人 (せんじゅぼうにちだつしょうにん)

2010年10月01日 | 歴史

むかし むかし ある村の土地が すっかり渇いてしまい 村の人々は 飲み水にとても 困っていました

すると 村のお寺の 泉寿房(せんじゅぼう) と言うお坊さんが 渇ききった土地に お経を書いた石を埋め

お経を唱え 祈祷を行うと 不思議な事に 水が湧き出し 泉となり

人々の渇いたのどや ケガの傷口などを 癒したそうです

以来 その地は お坊さんの名前にあやかり 泉寿房と呼ばれるようになりました 

400年たった 現在でも 泉寿房の地名は この地に残っています

泉寿房と言う お坊さんは 妙善寺の初代の 住職です

この地にまつわる 不思議な 不思議な お話でした

    合掌    栄久山 妙善寺

1


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

妙善寺パワースポット 毘沙門天

2010年07月16日 | 歴史

妙善寺には霊験(れいけん)あらたかな 毘沙門天(びしゃもんてん)が祀られています。

P1010333_2

日本では独自の 七福神信仰があり その中で毘沙門天は 財運・勝負運に御利益があると崇められています。

妙善寺の毘沙門天は 亨保13年(1728)に京都の本圀寺より賜った仏像です。

授与書によると 傳教大師(でんぎょうだいし)の作とあり 霊験もっともあらたかと 証されております。

足利将軍家をはじめ 織田信長や加藤清正・徳川光圀など 数多くの人物が手を合わせ 崇敬をあつめた伝えられています。

近年では日本画家石井清一をはじめ 出世運や財運・勝負運にあやかり 芸能関係・スポーツ選手などに パワースポットとして広く 崇敬をあつめております。

妙善寺 開運毘沙門天は 学問の神、傳教大師作ということもあり 学問や出世運の神様としても 古くから信仰があり 毎年受験シーズンには 合格祈願や就職祈願などのご祈祷で賑わいます。

皆様の開運をご祈念いたします。

     合掌  栄久山 妙善寺

P1010334


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする