私達 お坊さんの世界には 師匠が 「カラスは 白だ。」 と言ったら あの黒いカラスも白になる という教えがあります。
まぁ~ 師匠の言う事は 絶対と言う事でしょうが そこには ただ 間違えを言っているだけではなく 何か深い意味もあるのではないでしょうか・・・
昔 織田信長の可愛がっていた 森蘭丸 という小姓がいくつものミカンの箱をいっぺんに運んでいたところ それを見た信長が
「おい蘭丸 そんなにいっぺんに運んだら 転んでしまうぞ!!」 と言いました。
それを聞いた蘭丸は 信長様が みんなの前で心配してくれているのに 自分が転ばなければ 恥をかかせてしまうと思い 見事に ひっくり返って見せた という話があります。
この話は 先に述べた カラスの話とはいささか違いますが 主君を思う気持ちとしては どうでしょうか?
そこには 日頃から 師匠と弟子の間に 目に見えない愛があるのでは・・・
怒ると言う事と 叱ると言う事は違います。
怒る事は 感情をむき出しにしてしまいますが 叱るとは 良くなってほしいと思う愛情が込められています。
蘭丸が ミカンをひっくり返したり 私達が カラスが白だと答えられるのも 日頃から そこには 愛があるからなのではないでしょうか。
人を育てよう と思う心の中に愛がなければ 人は絶対に育ちません。
厳しさの中にも 愛の心を大切に!!
合掌 栄久山 妙善寺
明日 2月16日は 日蓮大聖人のお生まれになった日です。
日蓮大聖人は お釈迦様の教えである法華経こそが 一番大切な教えであると生涯 命をかけて法華経を広めました。
しかし その生涯は 壮絶なもので 命に関わる大きな苦難が4度もあり 小さな苦難は 数え切れないほどでした。
それでも 真実である法華経を 広め続けました。
法華経の教えとは
不染世間法(ふぜんせけんぼう)
如蓮華在水(にょれんげざいすい)
蓮(はす)は 泥の中に一生懸命に根を張り育ちますが 決して 泥水に染まることなく 綺麗な花を咲かせるという意味です。
どんなに 泥にまみれて見える世界でも 自分が 清く正しい心で生きていれば必ず 大輪(たいりん)を咲かせる人生を送る事ができます。
明日は 日蓮大聖人の教えに感謝して そっと心の中で
不染世間法 如蓮華在水
と唱えてみてはいかがでしょうか。
きっと ホッとする時間が訪れるはずです。
合掌 栄久山 妙善寺
明日 2月15日は お釈迦様が亡くなられた日です。
妙善寺でも お釈迦様が亡くなられた悲しみと いつも見守ってくれる 感謝の気持ちを込めて 涅槃会(ねはんえ)と言う法要を行います。
お釈迦様は 亡くなられる時に 頭を北に向けて横になりました。
現在でも 亡くなられた方を北枕にするのは その意味があります。
お釈迦様が亡くなられる時は 人々だけではなく 動物や虫達 生きとし生きる 全ての生命が泣き叫びました。
そして 天界の神々達も 悲しみ 天から多くの神様や 先に亡くなられた お釈迦様のお母さんが お釈迦様の元へ現れて命の助かる薬を持ってきました。
ところが お釈迦様は その薬を手に取らずに 亡くなりました。
これは どんな人間でも 必ず死は訪れるものだ と言うお釈迦様の教えです。
お釈迦様は 亡くなられる前に こう言いました。
「私は ここで死を迎えて あなた達の前から 消えてしまうだろう。 しかし 目に見えなくなっても 私は あなた達の前に必ずいます。 それは未来永劫であっても。」
そうです。
私達は 大切な人達と お別れしなくてはならなくても 目に見えないだけで 必ず 私達の事を すぐそばで 見守ってくれています。
だから あなたも 私も 決して 一人ではありません!!
悲しい時 辛い時は 目を閉じて 大切な人を思って 手を合わせて下さい。
合掌 栄久山 妙善寺