神戸地区の審査会でした。
やはり「目的」というものが見えない印象を受けます。
なんで審査受けたの?と。
実は私、今回六甲道教室の子には審査の告知すらしておりません。コロナ禍を差し引いても受けるに値する子が一人も居ないので。
私が空手を習い始めた頃は喧嘩が日常でチープであってもそれに屈しない為という目的がありましたが、喧嘩のひとつもしないor出来ない今は空手の目的が見えにくいのかも知れません。喧嘩はおろか親にすら顔を殴られなくなった昨今、顔を守れなんて言ったところで実感が湧かないから危機感なんて持てないでしょうし、そういうところを飛び越えていきなり優しくなる為なんて言われても尚更訳がわからんのかもしれません。
しかし礼節がなってないのは上記の事に関係ありませんからね。道場の中だけで通用する帯の色であってほしくありません。正味な話、空手を習っていると聞いた人が「嘘やろ?」と言ってしまう子が殆どじゃないかなあ。願わくば「やっぱり!」と膝を叩くほどのスタイルを中でも外でも示してほしいです。
強くなるのは簡単でも強く在るのは難しい。強い人は優しい、と言われるのはどうしてなのか。優しいふりなら悪人にでもできます。帯を上げるついでに考えてほしい部分です。
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