未熟者武道記

空手徒然。
二つの戈を止める武を核とし、諸諸と調和して溶け込んで。(いけたらいいな)

Five Rings

2019-07-13 02:19:23 | 日記
最近読み直す為に探すも見当たらないので再購入した五輪書。

枯木鳴鵙図の表紙が憎い。

今ならしっかり読めるような気がします。
学生の頃も読んだのです。しかし知識欲と言いますか、読んだ事実や冊数コレクションにしたかっただけのような浅はかな読み方でした。近世文学がいまいち読みにくて、賢こぶって洋書で読んだりしたのもダメだったのでしょう(苦笑)結局内容より訳が正しいかが気になる受験英語後遺症です。そしてやってる内に飽きて放置…

更には国文学を専攻していながらコレを卒論題材に選ばなかったこと。吉川英治先生を研究するのに『宮本武蔵』は随分読みましたが何故空手をしていながら五輪書には思いが廻らなかったのか。単に近世ヤダ、ってだけで現代文学専攻にしましたが思い返すと間抜けな学生です。

閑話休題。
五輪書に関しては色々なものが出版されておりますが、ビジネス指南書みたいに解説入れてくるのが多く、そういうのが純粋に読みたい私には大変煩わしいので文学として楽しむならば上のちくま学芸文庫版はオススメですね。

無刀。
武を続けているとやはり精神的にそこへ近づいていくのでしょうか。

喜屋武朝徳先生は「長年修行して体得した空手の技が生涯を通して無駄になれば空手道修行の目的が達せられたと心得よ」と遺しており私の大事にしている言葉の一つとなっておりますが、五輪書の最終巻『空之巻』でも冒頭に

「あるところを知りて なきところを知る これすなはち空なり」

とあります。
ブルース・リーも「無」について遺しています。無とは空(void)の事で上記の一文も英語では

“By knowing what exist, you can know that which does not exist. That is the void.”

と訳されています。

因みにブルースの言葉は

“The void is that which stands right in the middle of 'this' and 'that'. The void is all-inclusive, having no opposite - there is nothing which it excludes or opposses. It is living void, because all forms come out of it and whosoever realizes the void is filled with life and power and the love of all things.”

『無は〝これ〟と〝あれ〟の狭間に在る。無は全てを包含し何物をも排斥しない。無は生き物で万物はここから生まれ、無を理解する者は命と力そして愛に満たされる』

といった感じです。
これは彼の起こしたジークンドーの道を説いたものでそれを纏めたのがシンボルマークとして起用されている「以無法為有法 以無限為有限」。則ち『無法を以って有法と為し 無限を以って有限とする』ということらしいです。彼が五輪書に影響を受けたのは有名ですがやはりこういう方向へ進んでいくのでしょうか。

実に東洋的思想ですね。
唐から来たから唐手、という捻りのないネーミングだったものが現在では空手の空にも当てはまるし良い塩梅であります。自身の哲学を肉体に落とし込む事が適うようバイブルとして持ち歩きます。




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