未熟者武道記

空手徒然。
二つの戈を止める武を核とし、諸諸と調和して溶け込んで。(いけたらいいな)

寸評全日本

2017-12-10 23:30:42 | 稽古
試合を最終目的とした、基本稽古こなしてないなという動き。

反則の多さが練度の足りなさを顕している。つまり技の交換、試し合いになっていない。

試合でこうやれば勝てるという機械的な動き。なので審判から注意を受けても対応改善が出来ない。それなら最早空手である必要もなし。例えばアメフト選手を引っ張って来て二、三技を仕込んで送り込めば勝てない。

結局は選手も指導者も「こうすれば勝てる(であろう)」という競技思考だからスタイルも変遷して行きそれを追うイタチごっこ。その考えの下では正しい理解を志したとしても「これでは勝てない」という扱いを受けるので停滞衰退はすれど発展を望むのは難しい。


という事を審判しながら、見ながら思いました。空手道というよりはルール組手道。第一回という事で浮き足立ったのもあるかもしれないが、これじゃいかんよ。



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時間を超えて学ぶ

2017-12-04 23:33:51 | 雑感
人の寿命は精々百年弱で、そのうち心体共にまともに使えるのは半分といったところでしょうか。

限られた短い寿命を生きていく中でさえ技術は次々と生まれてまた進歩していくのですが、それらの基となるのは綿々と受け継がれてきた基礎的な部分だと思うのですね。

人間は幾ら壮健でも五十年程しか精力的に稼動できない頼りない動物ですが、基礎を修める或いは理解している事によって数百年かもっとそれ以上を生きている事に成るのではないかなと最近そんなコトを思っていたら空手が今まで以上に楽しいのです。

勉強なんかでも同じで詰まらん事が多いのです。覚える為に基礎的な問題を繰り返したりするのはやはり同じなので。しかしその基礎や体系(形であったり公式であったり)を作り上げるのにどれだけの年月が必要だったかを考えると基礎こそ深奥。基礎があれば飛ばして学ぶ事も他に手を出す事もミックスさせる事も可能となりますね。

勢いで残り二作も買っちゃいましたよ。いやあ、カメラワークに難有りだけど面白いです。魔法のような技術であってもあらゆるロジックの根底が初めに学ぶような処にあり、畑は違っていても繋がっているような処も多く。

出来ない・解らないから面白いのですが、出来る見込みも解る見込みもないものは面白い筈がありません。楽しむ為にも基礎は磨き続けねばなりませんな。基礎は魔法を生み出し得る。





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文の部分

2017-12-04 22:15:47 | 雑感
川西の昇段審査合格の二人にレポート提出の旨を伝えました。子供における文章力の有る無しの差は凄まじいですから苦手な子は大変でしょうね(笑)しかし私は阿呆に武道は出来ないと信じておりますので佳作を期待しておきます。

文武両道。好きが高じて昔卒論の題材にした吉川英治の『宮本武蔵』の中で沢庵和尚が武蔵に「文武二道と言うが二つを備えてひとつ道だよ」みたいな事を言うシーンがあり脳裏にこびりついているのですが、これ一つ知れただけで大学四年間は報われたと思っております。

文と言っても算数が得意とかそういう話ではなく、探究心があるかどうかが大事なのだろうと思います。色々な動きや理論がある中で、何故この動きなのかという懐疑的な所から入って深いところを探る考察力がなければ自身も周りも発展しませんからね。機械みたいに繰り返したり周りの空気に迎合するだけなら誰にだって出来ます。子供のうちはそれで良いのですがこれから先何かの道に進んだ時に独りでも寂しくない強さ?を持つ事は必要なんじゃないかなと思ったり。

大人であれ子供であれ段を持つという事は少なからず発展の担い手となる義務を負う事だと考えてますので、文が武を生かし武が文を生み出すような武道家であってほしいし私もそうでありたいなと思います。
そうすれば最低でもビール瓶やリモコンで人を殴るような人間にはならんでしょう。




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としつき

2017-12-03 23:21:10 | 稽古
本日は神戸地区少年部審査会でした。恒例の三部編成でしたが今回は変則的な組み合わせではなく初級・中級・上級と分けての審査。

先週の尼崎審査会でもそうでしたがやはり上と下の差がハッキリ分かる内容でしたね。審査の意味や運びを理解している云々よりも、武道とスポーツの垣根が無いのが初級。其処を分けられるのが上級。そんな感じです。

私が昔空手を始めた頃、7つの子供ながらに衝撃を受けた言葉は映画ベストキッドのミヤギ先生とダニエル青年の「何の為に稽古をする?」「使わない為に」という会話で、それは今も私の武道理念となっているのですがそれがカケラも無い目の前に立つ奴は叩きのめすのみ!という在り方に首を傾げたのであります。

十の力を持つ者が三の力しか無い者に十の力で襲いかかるとそれは余りに動物的ではありませんか。使わない為ではなく力は使う為にこそ存在すると言わんばかりの殴り合いに武道精神は見受けられませんでした。
それを素人同然の初級に求めるのかと問われると難しいのかも知れませんがそれこそが武道の本懐ではないかと思いますので拙いながらもその姿勢は「優しさ」として示して欲しいかなと思うのです。

手伝いに来てくれた黒帯は強く、上段蹴り等が相手の顔に直撃し泣かせてしまう場面もありましたが組手が終わった後に改めて声を掛けに誰に言われる事なく行っていたのは素晴らしい心掛けだなと思いました。驕りがありません。

昔のように下の帯にも上級の審査を見させる必要があるのかという話も出ていましたが、それはやはり一年に二回行う内の何方かでも必要なのだろうと思います。毎回でなくとも夏か冬を懐かしの合同審査会にするのは大賛成です。

上級帯は良く出来ていたのでその調子で精進して行ってください。初級帯は…ベストキッドを見ろ(`・ω・´)

皆強いだけではない良い人間を目指して日々稽古に励んでください。お疲れ様でした。


強い人は優しいのです。




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