←トヨタクラウン1900 初代クラウン この風格 いつかは・・・
いつでも・・・ 0クラウン・・・ 今や大衆車
昔から感じてましたが トヨタ車には Cで始まる車名が多いと思いませんか? クラウン コロナ カリーナ セリカ コルサ カムリ ・・・・・・・。
そしてニッサンは 青い鳥 空の線 日当たり 淑女 ・・・・・。かなりメルヘンチック?
ミニカーをサボってるというご意見にすぐさま反応して 旧々車の登場でした。
契約書を作ったり 覚え書きをつくったり この仕事をやってると 言葉に敏感になります。またそうでなければ 大変なことになります。 そもそも言葉は 気持ちを伝えるものですが 発信の仕方は様々であり 受け取り方も様々です そこでいろいろな行き違いや 誤解が生まれるわけですね。 悪い人はそれを悪用して 契約(約束)したりします。 日本では国語の教育が未熟なため 大人でもなかなか うまく表現できませんし 受け取りきれません。近頃は表現の自由だとかで 好き勝手に 言葉を つくっていますが 言葉は常に相手があるということを自覚した上で 自分の本心を 出来るだけそのまま感じていただくように 表現していくのが 良いと思います。
ついこの前 ある会合で 柳生家の家訓とかで 小才は・・・ 中才は・・・ 大才は・・・ というのがありますが、 なぜ天才が無いのか?ということを言ってる人がいました。誰も知らないということでしたが、 そこでいろいろ言うのも 雰囲気を壊すと思い静かにしてました。
しかし、あの言葉は 言いたいことの趣旨が そういうことではないわけで、ナベちゃんがこたえるとすると、 あの時代には 天才という言葉が無かったから と応えるか、または その家訓は 袖触れ合うも他生の(多生の)縁 を言いたかっただけです。天才は全く論外の範疇外でした。天才の語を入れるとややこしくなり いいたいことが ストレートに伝わらないからです。 あの言葉は 「いろいろな縁に気づき それを生かしましょう。 そして多くの縁を生かしましょう」と言っていると思います。
この言葉は 近代では 社員教育や セミナーの啓発に良く使われますが 勝手に解釈して偏った使い方をされてるケースが多く見受けられます。また それをそのまま受け入れる側にも問題があると思います。
極論になりますが 物の道理や 言葉の真意を良く見極める力を養っていかないと 変な宗教や 変なセミナー 変な商品販売 などに引っかかるおそれが生じます。
心を大切にした社会に なってほしいものです。