一日一生。そう考えたら、”永い一日”。いろいろ楽しいことがあると良いね!
奈良県橿原市の今井町。
あっちこっちの屋根には、
鬼瓦や福瓦。
中でも多いのは、
鍾馗(しょうき)さん。

長い髭を蓄えて、
強い魔除けになりそうです。
たとえ屋根がトタンでも、
鍾馗さんはしっかり守ってる。
奈良県橿原市の今井町。
視線を上げると、屋根瓦。
いろいろな瓦があるものですね。
普通、鬼瓦がある所に・・・

袋を持ってるのは、布袋さんか。
こちらにも・・・

魚を持ってる恵比寿さん。
鬼瓦ならぬ、福瓦ですね。
奈良県橿原市の今井町。
中町筋生活広場。

火事の類焼を防ぐ空き地であり、
防火用貯水地でもあるのでしょう。
広場の建物の天井では、にぎやかな囀り。
燕が巣を作っていました。

軒先をかすめて飛び交う親燕。
初夏の風景です。
奈良県橿原市の今井町。
何軒か重要文化財の家屋があり、
そのうち公開されている旧米谷家住宅。

他の家屋では入館料があったりしますが、
こちらは無料公開されています。
それでも案内の人が応対してくれて、
いろいろ説明を聞かせてくれました。
広く金物を扱う商家だったそうで、
土間にある大きな竈を見ると、当時の
人手の多さも想像されます。
裏庭には蔵があって、その入り口に
座敷が作ってありました。

蔵前座敷と呼ぶのだそうですが、
蔵の入り口に主人が寝泊まりして、
番をしていたのだそうです。
そこまでせな、安心して眠れまへん。
奈良県橿原市の今井町。
戦国時代の天文年間(1532-1555)に
一向宗の称念寺の寺内町として建設され、
自衛のための濠をめぐらした町。

織田信長と本願寺が対立し、
1574年に長島一向一揆が平定され、
翌1575年に越前一向一揆が平定される中、
同1575年に明智光秀を通じて信長に降伏して
今井町は難を逃れたとのこと。
その後、大坂や堺と交流し、商業都市として
江戸時代まで大いに繁栄したそうです。
称念寺の前で、由緒書きを読んでいると、
案内の人が現れて、解説してくれました。

明治10年(1877)明治天皇御幸の際に、
行在所(あんざいしょ)となり、その時に
西南戦争の西郷隆盛挙兵の報せが入ったそうです。
いろいろな時代を経てきたのですね。