日本会議が目論むのはこれを現代の日本に!ということ。
緊急事態条項を手に入れさえすれば、と虎視眈々と狙っているのです。
Shin Hori
@ShinHori1
特攻隊で多くの犠牲が出ていた戦争末期、皇室と政府や軍首脳は、本土決戦に備えて東京を放棄し、長野県松代の巨大な地下施設に退避する予定だった。秘密保持のため朝鮮人労働者が多数動員され命を落としている。
強制労働の現場「松代大本営」を語り継ぐ人々
本土決戦を前に、天皇の御座所を地下に建設
https://toyokeizai.net/articles/-/185509
第2次大戦末期、本土決戦を前に、天皇や皇后の御座所、軍司令部、中央官庁を長野県長野市松代地区の地下壕に移す計画があった。『松代大本営』だ。
その地下壕跡地がJR長野駅から車で約20分、上信越自動車道・長野ICのすぐそばにある。
沖縄戦が始まると、最終決戦として、本土決戦が準備された。天皇を頂点とする国家体制の維持「国体護持」のため、沖縄を“捨て石”にして時間を稼ぎ、松代大本営の建設を急いだ。天皇制の象徴である“三種の神器”の保管場所を作る計画もあった。
松代の地下壕は3か所で工事が進められていた。各省庁は「象山(ぞうざん)」、軍司令部は「皆神山(みなかみやま)」、御座所と参謀本部は「舞鶴山」だ。完成前に終戦を迎えたが、軍部の視察だと、75%程度が完成していたという。
なぜ長野市松代地区が選ばれたのか。(1)東京から離れ、近くに飛行場がある、(2)地質的に硬い岩盤、(3)山に囲まれ、工事に都合のよい広さがある、(4)労働力が確保しやすい、(5)「信州」は「神州(しんしゅう)」に通じる、といった理由からだ。
加害と被害の両面を伝える
大本営地下壕跡を調査し、語り継ぐ事業を行うNPO法人『松代大本営平和祈念館』の事務局長・北原高子さん(75)は、高校教員だった1980年代後半から活動に関わっている。
皆神山地下壕は崩落が激しく非公開。舞鶴山地下壕は戦後すぐに気象庁が地震観測に活用、年1回だけ公開される。象山地下壕は地元の高校生の保存活動もあって、’90年から市が一部公開している。