保護犬さちが我が家の家族になって今日で6年となりました。
殺処分で消える命を一匹でも救いたい!と思い
検索していたら目に留まった一匹、それがさちでした。
姫路の山中で見つけられた犬、
当時10キロでガリガリに痩せた犬,(今は25キロです)
身体の下半身は大きな褥瘡だらけで、マダニだらけだったという、それがさち
保護した翌日には悪臭放つ緑便で目が覚めたという保護主さま。
何と、食べるものがなくて土を食べていた痕跡の便が大量に!!
保護してくださって本当にありがとうございました。m(_ _)m
繁殖犬として産まされるだけ産まされ子育ても許されず、
身動きもままならぬ狭い檻の中で、多分だが5,6年を生きたのであろう、
そうして用済みとなり山中に棄てられて 自由は得たものの餌の取り方も知らず
結果、餓死寸前だったさち。
そうして保護したのに、何故か保護猫だった子猫をかまい、障害猫にしてしまった由。
それが保護猫をメインにしている保護主さまには、さちは要危険犬と映ったのだろう。
ただ一匹で誰もいないガレージに留め置かれてしまった、、、
それでも、狂暴になることもなく、うんちもおしっこも我慢して
ひたすら保護主さまが帰ってくるのを待つ日々を重ね
3か月過ぎて里親募集に( ^ω^)・・・
たまたまだったが、その画像を見て我が家に迎えよう!と娘と即決。
明石城で待ち合わせ、見知らぬ私たちにそそくさとリードを渡し去っていく保護主さまを
彼女はどんな思いで見送ったろう。
不安で怯えた目をして、去っていく彼女を見ていたあの光景は衝撃だった。
その時に感じた娘と私の気持ち、、
彼女(保護主さま)はこの仔を疎んじているんだ!
子猫を障害児にさせたことがトラウマになって、早く手放したいんだ、と。
本当に悲しかった。
さちはさちで、また違う環境に放り込まれ、見も知らぬ人間に引き渡されたんだ、と、
とても悲しそうな顔をしていたっけ・・・
あの明石城での一コマは今でも忘れられない・・・
その時誓ったことは
「私の残りの人生、この子のために命を尽くそう」ただそれだけだった。
我が家に来たときは見知らぬ家と見知らぬ人間の中で緊張で神経張りつめていたっけ・・・
それに、朝夕の散歩の途中でも出会ったワンコとどう接していいか分からず
戸惑うばかりだったよね。
でも彼女の賢さは毎日の生活からすべてを学んできたこと。
小さい子犬には愛情たっぷりに母親をし、母乳迄出てきたこと。
リードも上手く馴染めなかったのに、一つ一つ学習していったこと。
私は「待て」以外、何も教えなかった。
命の危険に及ばない限り、彼女の思うように行動し生きていってほしい。
食べるものと安全なねぐらさえあれば、
あとは自由奔放に走り廻ることが彼女ののぞみなのだから、、、
そうした彼女の声が聞こえ、そのように答えてきた。
毎日山中でイノシシを、はたまた河川敷でヌートリアを追っかけ、
5時間、6時間と走り回る彼女に満身創痍になりながら
何度引き摺られ、放り投げられ転倒させられたことだろう。
人に媚びるような卑屈さもなく、自分の感情そのままに、甘え、フクレ、喜ぶさち。
自己免疫疾患という病気を持ち、毎月のように病院の世話になりながらも
今では穏やかな一日、いちにちを過ごしている。
お父さん子で夫が休みの日には一日中「お父さん、おとうさん」
嘗ては犬嫌いだった夫もさちに慕われ、今ではすっかり犬好きになって
他所の犬にも構ってあげられるように変わってきた。
確かではないが、もうすでに12~3歳にはなっているだろう。
免疫疾患で生涯ホルモン剤を飲み続けないといけないが、
あと何年生きるとしても、最後の最期まで満足して旅立ってほしい。
残りの後半生を思う存分自由に、自分の思った通りに過ごしてほしい。
そのためにできることはなんでもしようと・・・
この歳で第2の子育てをさせて貰えるって、なんて幸福なんだろう
それもこれも全て保護主さまと、さちからの贈り物
賢く優しいさち、見ず知らずの人をも思わず笑顔にしてしまうさち。
我が家の家族になってくれて
本当にありがとう