先日観た映画、『ちょっとこれから仕事やめてくる』
あの時に、自分の中のトラウマの記憶がどくどくと蘇ってきた。
だから泣けて泣けて仕方なかったんだな。
これは、結構コンサートの中でも証しするんですが、学生時代はとにかく内向的でネガティブで消極的。
存在感が全くなかった。
ただ、音楽は小さい頃から好きだった。
中学校に入学して吹奏楽部に入部し、クラリネットをはじめた。
とにかくがんばって練習した。
年に1〜2度来てレッスンをしてくれるクラリネットの講師の先生(超怖い)から、「10年に1人出るか出ないかの音色だ」と褒められ、すこしだけ自信がついた事を記憶している。
でも、実はもっと前に楽器を手にしている。
このことはほとんど人に言った事がなくて、自分の中でもかなりの黒歴史であり、トラウマである。
おとなしくて、とにかく内向的な娘をどうにかしたいと思い悩んだのでしょう。母は、わたしにいろいろ経験させようとした。
小学生の頃、『竹の子少年団』という大学生のお兄さんお姉さんが遊んでくれるグループに弟一号と入会させられた。
きっとボーイスカウトみたいな感じだと思う。
週末にアスレチックに連れて行かれたり、泊まりで雪山に連れて行かれたりした。
内向的なわたしは友達もできないし、人と交わるのが嫌だし、運動も好きじゃないし、そこに行く事が苦手で大嫌いだった
平行して、小学校4年生の時に小学校の鼓笛隊に入れられた。
楽器はフルート。
指使いを教えてもらう日に欠席し、その後指使いが全く分からないのに、分からないと言えず、口パクならね指ばく?でやり過ごしたものの、
当たり前だけど、ほんとに吹けなくて、あまりに苦しくて行かなくなったら、先生にものすごく怒られて、たくさんの生徒の前で頭を叩かれたり「なんでそんなに中途半端でダメなんだ!!」等、罵声を浴びせられた。母も呼びだされ、『こんなんじゃお嬢さんの将来が心配ですよ!!』と言い放たれ、今度は母から怒られる。
消えてしまいたかった。
生きている事が苦痛すぎた。
なんで生きているんだろう?って思ってた。
その後、両親が茨城に家を購入し、引っ越し。
しかし1年後、父の転勤で静岡に引っ越し。
そこで吹奏楽部に入り、クラリネットをはじめて少しだけ自信がついた。
更に高校受験のため、持ち家のある茨城に引っ越し。
4年の間に3回の転校をした。
それでなくても新しい場になじむのに時間がかかるわたしにとって、それは苦しみでしかなかった。
人のことばは時として剣となる。
その後もいろいろな試練があり、とにかく荒波に揉まれた。
高校生の頃、友人から教会に誘われて、高校2年生の時に洗礼を受けた。
でも、なかなか神様の事が分からなくて悩みもしたけれど、就職して結婚してからゴスペルと出会い、そこでようやく神様が確かに居られる事を感じることができた。
実は、最近自分がThe Highly Sensitive Person(HSP)だったんだとひょんな事から気がつく事になる。
今のわたしからはなかなか想像しずらいでしょうが(笑)
とにかく繊細すぎて傷つきやすく生きずらかった。
聴覚とか臭覚とか味覚とかも
でも、今は驚くほど変えられた。
多くの人はわたしの印象を楽天的で幸せ人間だと思うでしょう。
それは、やっぱり神の無条件で無償の愛を受け取ったから。
聖書の中に、
『わたしの目にあなたは高価で尊い、わたしはあなたを愛している』ということばがある。
このことばを通して、暗黒の子供時代、若い頃の痛みが確実に癒された。
だからこそ、伝えたいのかもしれない。
誰かのことばに傷つき、前に進めなくなっている人。
自分には何の価値もないと思っている人。
何の役にも立たないと思っている人。
コンプレックスをたくさん持っている人。
全ての人は神から愛され、創られ、生かされているということを。
経験値は宝です。
痛かった事も苦しかった事も、信仰により、希望へと変えられる。
『ごらん、冬は去り、雨の季節は終わった。花は地に咲きいで、小鳥の歌うときがきた。雅歌2:11~12(聖書より)』
『人の本当の値打ちは持っている宝石の数でもなければ、黄金の数でもない。地位でもなければ、名誉でもない。ただ信念に尽きる。
陽気な心は、薬のように人のためになる。 by, ソロモン王』
あの時に、自分の中のトラウマの記憶がどくどくと蘇ってきた。
だから泣けて泣けて仕方なかったんだな。
これは、結構コンサートの中でも証しするんですが、学生時代はとにかく内向的でネガティブで消極的。
存在感が全くなかった。
ただ、音楽は小さい頃から好きだった。
中学校に入学して吹奏楽部に入部し、クラリネットをはじめた。
とにかくがんばって練習した。
年に1〜2度来てレッスンをしてくれるクラリネットの講師の先生(超怖い)から、「10年に1人出るか出ないかの音色だ」と褒められ、すこしだけ自信がついた事を記憶している。
でも、実はもっと前に楽器を手にしている。
このことはほとんど人に言った事がなくて、自分の中でもかなりの黒歴史であり、トラウマである。
おとなしくて、とにかく内向的な娘をどうにかしたいと思い悩んだのでしょう。母は、わたしにいろいろ経験させようとした。
小学生の頃、『竹の子少年団』という大学生のお兄さんお姉さんが遊んでくれるグループに弟一号と入会させられた。
きっとボーイスカウトみたいな感じだと思う。
週末にアスレチックに連れて行かれたり、泊まりで雪山に連れて行かれたりした。
内向的なわたしは友達もできないし、人と交わるのが嫌だし、運動も好きじゃないし、そこに行く事が苦手で大嫌いだった
平行して、小学校4年生の時に小学校の鼓笛隊に入れられた。
楽器はフルート。
指使いを教えてもらう日に欠席し、その後指使いが全く分からないのに、分からないと言えず、口パクならね指ばく?でやり過ごしたものの、
当たり前だけど、ほんとに吹けなくて、あまりに苦しくて行かなくなったら、先生にものすごく怒られて、たくさんの生徒の前で頭を叩かれたり「なんでそんなに中途半端でダメなんだ!!」等、罵声を浴びせられた。母も呼びだされ、『こんなんじゃお嬢さんの将来が心配ですよ!!』と言い放たれ、今度は母から怒られる。
消えてしまいたかった。
生きている事が苦痛すぎた。
なんで生きているんだろう?って思ってた。
その後、両親が茨城に家を購入し、引っ越し。
しかし1年後、父の転勤で静岡に引っ越し。
そこで吹奏楽部に入り、クラリネットをはじめて少しだけ自信がついた。
更に高校受験のため、持ち家のある茨城に引っ越し。
4年の間に3回の転校をした。
それでなくても新しい場になじむのに時間がかかるわたしにとって、それは苦しみでしかなかった。
人のことばは時として剣となる。
その後もいろいろな試練があり、とにかく荒波に揉まれた。
高校生の頃、友人から教会に誘われて、高校2年生の時に洗礼を受けた。
でも、なかなか神様の事が分からなくて悩みもしたけれど、就職して結婚してからゴスペルと出会い、そこでようやく神様が確かに居られる事を感じることができた。
実は、最近自分がThe Highly Sensitive Person(HSP)だったんだとひょんな事から気がつく事になる。
今のわたしからはなかなか想像しずらいでしょうが(笑)
とにかく繊細すぎて傷つきやすく生きずらかった。
聴覚とか臭覚とか味覚とかも
でも、今は驚くほど変えられた。
多くの人はわたしの印象を楽天的で幸せ人間だと思うでしょう。
それは、やっぱり神の無条件で無償の愛を受け取ったから。
聖書の中に、
『わたしの目にあなたは高価で尊い、わたしはあなたを愛している』ということばがある。
このことばを通して、暗黒の子供時代、若い頃の痛みが確実に癒された。
だからこそ、伝えたいのかもしれない。
誰かのことばに傷つき、前に進めなくなっている人。
自分には何の価値もないと思っている人。
何の役にも立たないと思っている人。
コンプレックスをたくさん持っている人。
全ての人は神から愛され、創られ、生かされているということを。
経験値は宝です。
痛かった事も苦しかった事も、信仰により、希望へと変えられる。
『ごらん、冬は去り、雨の季節は終わった。花は地に咲きいで、小鳥の歌うときがきた。雅歌2:11~12(聖書より)』
『人の本当の値打ちは持っている宝石の数でもなければ、黄金の数でもない。地位でもなければ、名誉でもない。ただ信念に尽きる。
陽気な心は、薬のように人のためになる。 by, ソロモン王』