先週、ゴスペルのメンバーが亡くなったと連絡が入った。あまりの突然の知らせに呆然とし、その日から数日泣きつくした。
泣いても泣いても涙が溢れて止まらなくて、祈る事もできなくなってしまった。
"神さま、なぜですか?"
"なぜ今ですか?"
今年に入ってからそんな突然の悲しすぎる別れが続いていて、心がボロボロだった。チックも始まってしまった…
そんな状況下でも救いなのは、わたしが痛みを抱えている時、苦しみにもがいている時、励まし、慰め、寄り添い、わたしの代わりに祈ってくれる人たちがたくさんいてくれているという事。
今日はソーシャルディスタンスの元、彼女が所属していたクワイア(Precious Praise)のリハーサルがあった。
みんなで彼女との思い出を分かち合い、みんなで泣いて、みんなで祈って、みんなで賛美した。
彼女がどれだけステキで美しくて、優しくて繊細でがんばりやだったかという事。
上品なのにユーモアセンスがあって、みんなから愛されていて、そして彼女もみんなの事をとっても愛してくれていたこと。
好奇心旺盛でいろんなことに挑戦して、一人でもあちこち出て行った行動派の女性だったこと。
ひと泣きして祈って賛美すると、さっきまでの心の重さが少し軽くなっている。
そういえば、今年1月に母が亡くなった時にも同じ経験をしたっけな。
洪水のように涙が溢れて止まらない状況下、弟や子供達や姪、友人たちが私と同じように泣いている姿を見、また母との思い出をみんなで語らった後、心の重荷が少し軽くなって、心が暖かくなって、少しだけど立ち上がれる力が湧いてた。
聖書の中に、
"喜ぶものと共に喜び、泣くものと共に泣きなさい" (ローマ人への手紙12:15)
という言葉がある。
喜びも悲しみも分け合う事ができるんだなー。
大好きなえりちゃんの残されたご家族の方々の心に慰めと励ましがありますように!
そして、えりちゃんと再び天国で再会し一緒にゴスペルを賛美できる事を切に切に祈ります!!!
えりちゃん大好きだよ!!!