やっとガソリンスタンド跡にスパゲティ屋さんが出来ることになりました。
四年前に整地が始まって、以後そのまま放置されていた。
少しにぎやかになるかな?
美味しいスパゲティを食べさせてくれるといいな。
やっとガソリンスタンド跡にスパゲティ屋さんが出来ることになりました。
四年前に整地が始まって、以後そのまま放置されていた。
少しにぎやかになるかな?
美味しいスパゲティを食べさせてくれるといいな。
京都の今宮神社門前の、あぶりもちの老舗。
一文字屋(一和)と、かざりやの二軒のお店が向かい合っている。
大原の三千院を拝観した後今宮神社に到着して、まずはかざり屋さんへ。
きな粉と味噌の香ばしい風味のあぶり餅。一人前15本。
今宮神社へ参拝した後一文字屋さんでさらに一人前。
一文字屋さんは創業が古いが、味噌の味が少し甘めである。
どちらかと言うとかざりやさんの方が小生には向いているような気がした。
2月3日(水)夜、高校3年生の元拳士が行方不明になった。
レンタルビデオを返しに行くと家を出たまま3日が過ぎ、何の手がかりも音信もない。
父親が「探しています」とポスターを作成して、地域や少林寺拳法の関連道場に配布して協力を仰いだ。
聞くところによると、彼は高校3年間無遅刻無欠勤で品行方正な生活を送り、進学も決定して自動車学校で免許の取得も決まっていたようだ。
父親や家族には家を出るような事情は感じられなく、何か事件にでも巻き込まれていないかと悲痛な思いで捜索を続けていた。
小生が話を聞いたとき、「まったくそんな素振りは感じなかった。」という父親の話を聞いたとき、彼の計画的な家出ではないかと直感した。
精神的に苦しくて生きる力を見失ったときには、自分では気付かずとも必ず家族や周囲の友人に対して何らかのシグナルを発するものである。
逆に計画的に行動しようとしたときには、周囲に悟られないように気配を消すものである。
しかしこの寒空の下、友人宅に世話になろうが厳しい状況を過ごさなければならないのは必至。長く持つものではない。1週間~1か月もすればそうした生活の苦しさに耐えかね、家の温かさを知って姿を見せるに違いないと思っていた。
4日目の7日(日)23時過ぎに所在が判明して、家族のもとに収容された旨情報が、少林寺拳法拳士の連絡で伝わってきた。
彼の親に対する思いや、学校や友人関係、将来に対する不安など積もるものがあったのではないかと推察するが、家を出て姿を消して親に心配をかけることで解決しようとした行為は、何の問題の解決にもならなかったと思うが、その行為で感じたすべてのものは彼の大きな体験として残っただろう。これからが本当の試練が始まる。
親としてまじめな息子の行為に、愕然とした思いではないかと推察する。
弟の奔放な生活態度を容認し、自分にかかる期待に重圧を感じていることに気づかない。
彼に関しては決してそんな、、と信じ切っていたものが崩れ、これから対面してゆく姿勢を模索する親としての大きな試練。
試練を体験し乗り越えて、ほんの少しだけ成長する。
そして同じ過ちを体験し、ほんの少しだけ成長する。
前に向いて歩が進めば、ほんの少しだけでもよい。
人はみな、そうして人生を築いてゆくのだ。