安曇野のいわさきちひろ美術館へ。
アルプスを眺める静かな佇まいの安曇野の地に、安曇野ちひろ美術館はあった。
のんびりと芝生のガーデンで、コーヒーを飲みながら静けさを楽しむ。
孫にTシャツを土産に買う。
家内と久しぶりに奥飛騨に宿をとりました。 友人のお薦めで、ネットで予約。
お湯はいい、露天風呂も貸し切りで、ゆっくりできました。
残念ながら期待していた、岩魚の骨酒がなかったので落胆していたところ、宿のご主人の計らいで夕食の卓に準備をして出していただけた。
久しぶりに、ゆっくりとお湯に浸かり休養することができた。
夜の露天風呂は貸切で、浴場の電気を消して夜空の星を眺めて楽しみました。
白川郷の合掌村へ出かける。
とても良い天気で、歩くと少し暑いくらい。
合掌造りの家の大きな梁や、風土に合わせて建築されている建物に感心しきり。
打ちたての新そばや、五平餅に冷えたラムネ。
ここから天生峠を経由して高山から平湯へ向かう。
メールで投稿
退院後、初めての外来診察。
まずは放射線科で胸のレントゲンを撮影。正面と側面の二枚。
現像できたものを受け取って、次に血液検査を行います。五本ほど採血をして、診察を待つ。
入院の原因である病気は、すっかり完治していましたが、此処の所下痢気味なので、診察が終わったら、点滴をすることになりました。
大きい点滴を二本するから、三時間ほどかかります。点滴を刺したまま、食事に出ててんぷらそばを食べてきました。
あとは、終わるまでゆっくり横になって寝ます。
南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経、南無観世音大菩薩、南無地蔵菩薩、南無大師遍照金剛)等々、私たちは日常、南無ということばを言い馴れているし、聞き馴れています。
南無とはサンスクリットの「ナーム」で、それを漢字で音写したものです。ナームは「帰依する」ということです。すべてを任すということです。
南無阿弥陀仏は、阿弥陀様に帰依しますということで、浄土宗(じょうどしゅう)、浄土(じょうど)真宗(しんしゅう)、時宗(じしゅう)などは、六字(ろくじ)名号(みょうごう)といって、このことばを祈りのことばとして、それを称(とな)えることによって、すべての罪も許され、浄土に迎えられると信じます。
南無妙法蓮華経と称えながら太鼓を叩いて勇ましく祈るのは日蓮宗(にちれんしゅう)です。日蓮が釈迦の説かれたお経の中で妙法蓮華経が最もすばらしいとして、それを信仰の中心に据(す)えたからです。
南無観世音は、観自在大菩薩(観音さま)に帰依しますということで、観音さまは現世(げんせ)で我々を幸せに導いて下さると信じ、宗派にとらわれず多くの人々の信仰の対象になりました。
南無大師遍照金剛は、真言宗の人々が称えます。この大師は弘法(こうぼう)大師(だいし)(空海(くうかい))のことです。四国八十八か所の巡礼の時は各札所(ふだしょ)で、必ず、巡礼たちはこれを称えて祈ります。「南無」の会というのが出来て、宗派にとらわれず、僧侶が集まって、仏教を広める運動をして、多大な成果を収めています。「南無」という語はすっかり大衆にとけこんでいて、日本語のように思っているひとさえいます。
中国の求道の心篤い僧侶たちが、国禁を犯して、ヒマラヤの雪山を越え、命がけの苦難の旅をつづけてインドに渡り、そこで仏教を学び、多くの経典を持ち帰りました。
それを中国語に訳したものが、今、私たちが読んでいる漢訳経なのです。それが中国から朝鮮を経て日本に伝えられました。また多くの日本の僧侶たちが命がけで、中国に渡り、経典を写し、持ち帰りました。
南無にこめられた熱い祈り
南無(なむ)ということばにこめられた祈りの熱さは、そうした人々の命がけの尊い努力がこもっています。何宗によらず、信仰の行きつく最後のところは同じだと思います。
「信は任すなり」といいます。任すとは、自我を捨て去って、全身(ぜんしん)全霊(ぜんれい)を仏に捧げ、どうともして下さいと身を投げだして、お任せすることなのです。
私たち凡夫(ぼんぷ)のはからいなど、たいしたことはありません。人間は生きている上で、考えられないような様々な災難や苦労に遭(あ)います。その時、自分の信じる仏に「南無」といって命も運命もお任せしてしまえば、そしてそれが出来ればどんなに気が楽になることでしょう。そこから必ず道が開けて来るのです。
仏教ではこの世を現世(げんせ)と呼びます。私たちは現世に今、生きているわけですがこの現世に生まれる前に、すでに魂があって生きていたと考えます。生まれる前の時間を過去世(かこぜ)と呼びます。過去世は長い長い、無限の時だったと考えます。
過去世から、私たちは選ばれて現世に生まれるわけですが、生まれたとたん、過去世の記憶は失っていますので、どんな暮らし方を過去世でしてきたか覚えていません。
現世で、八十年か百年生きたら、私たちは必ず死にます。死んでも、魂は生きつづけていきます。死んだ後の世界を来世(らいせ)と呼びます。来世は過去世と同じく、やはり無限のはるかな時間を持っています。
悠久の時にはさまれた現世
私たちの今生きている現世は、悠久(ゆうきゅう)の過去世と悠久の未来にはさまれたほんの短い時間です。せいぜい長くて百年ばかりです。
たとえていえば、サンドイッチのパンにはさまれてたハムよりも薄い短い時間です。
その短いこの世で、私たちは、あれこれと悩み、煩悩に苦しみ、病苦に責められ、死んでいくのです。
どんな金持ちになろうと、出世栄達しようと、死んであの世に行く時は、財物も名誉も何ひとつ持っていくことはできません。この現世だけがすべてだとしたら、なんとはかないむなしい人生でしょう。
私たちが、この世だけの生き物だとしたら、本当につまら
ない。人間はどこから来て、どこへ行くのか、あらゆる哲学
はここから生まれています、あらゆる芸術もそれを追求しつ
づけてきました。
仏教は過去世(かこせ)、現世(げんせ)、来世(らいせ)という三つの世を人間は行きつ
づけると考えたのです。これを三世(さんぜ)の思想といいます。
私たちはこの世での快楽だけに満足しようとしたり、この
世で苦労に不平不満を吐いたりしますが、悠久(ゆうきゅう)の三世(さんぜ)の時
間の中では、現世(げんせ)なんて、ほんの一つの点にすぎないものだ
と思えば、心にゆとりが生まれます。
この世の苦労は、来世でよりよい生活が出来るための修行
だと思えば耐えることができるでしょう。
私が出家して横川(よかわ)の行院(こういん)で行をしていた時三(さん)千仏(ぜんぶつ)礼拝(らいはい)という一番厳しい行がありました。
三千仏の名を称(とな)えながら一日に三千回五体(ごたい)投地礼(とうちらい)をするの
です。三千仏とは何かといえば、過去世(かこぜ)、現世(げんせ)、来世(らいせ)の三劫(さんごう)に出現する三千の仏陀(ぶつだ)だと教えられてきました。三千の仏名はとても覚えられず、教師から口移しに称えながら、無我夢中で五体投地礼をつづけたものです。
三千の仏名はすべて忘れましたが、あの苦しさと、終わったあとの爽快感(そうかいかん)だけは、三十年後の今も、なまなましく身にも心にもありありと残っています。
人生では、生老病死の四苦(しく)の他に、まだ四つの苦があります。愛別離苦(あいべつりく)、怨憎(おんぞう)会苦(えく)、求(ぐ)不得苦(ふとくく)、五蘊(ごうん)(五陰(ごおん))盛苦(じょうく)といわれますこの四つと前の四苦を合わせて四苦(しく)八苦(はっく)と呼んでいます。
愛別離苦とは、愛する人と別れる苦しみです。生別もあれば死別もあります。肉親に死別することも、友人や愛人に死別することもみんな悲しく苦しいことです。また老人が死ぬのは順縁(じゅんえん)といってあきらめもつきますが、自分より若い子供や孫に死なれるのは逆縁(ぎゃくえん)といって、これほど辛いことはありません。
逆縁にあった母親が気が狂うほど嘆(なげ)き悲しむのは、慰めようもありません。もっと辛いのは、愛する人に自殺されることです。また愛するものが殺されることです。不況のためか年に三万人が自殺している昨今です。残された家族の苦痛はどんなに深いことか。
北朝鮮の理不尽な拉致によって、家族が引き裂かれ、別れなければならなかった悲劇は、まだ解決を見ないまま、私たちの前に存在しています。生きていれば、いつ、私たちにふりかかってくるかわからない愛別離苦です。
怨憎会苦(おんぞうえく)は、それと反対に、怨み憎む(うら にくむ)ものとこの世で会わなければならない苦しみです。
どうしても好きになれない横暴な上司や、生意気な部下と毎日顔を合わせ、厭々(いやいや)仕事をしなければならない場合もあります。
しまいにはいやな気持ちが嵩(こう)じてノイローゼになってしまいます。
子供の不登校なども、いじめっ子に会うのが原因という場合も多いのです。
求不得苦(ぐふとくく)というくるしみもあります。これは欲しいものが手に入らないという苦しみです。
自分はあの人が好きで、こんなに需(もと)めているのに、相手は自分の方をちっとも向いてくれず、他の女と仲良くなってしまったというのも求不得苦です。
もっと大きな家が欲しい。車を買い替えたい。ブランドのハンドバックが欲しい。ダイヤが欲しい。あの豪華な着物が欲しい。しかし、お金がなくて、何も買えない
そんな物をプレゼントをしてくれる男が欲しい。しかし一向にあらわれない。人間の欲望は限りなくあるので、欲しいものも限りなくあります。そのほとんどが手に入らないのが、現実の世の中です。それが、苦しい。
欲望が敵(かな)えられない苦しみ
五蘊盛苦(ごうんじょうく)という苦しみが残っています。五蘊とは人間の体を構成
している五つの要素をさします。つまり、人間の体や心の中で欲望
が燃えさかり、それが敵(かな)えられないので苦しむことです。
体のかもしだす苦しみといえます。過食(かしょく)、アルコールの依存症(いぞんしょう)、薬物(やくぶつ)依存(いぞん)、セックスの苦しみ、すべて五蘊(ごうん)盛苦(じょうく)です。
この四つを、前の四苦(しく)と合わせて四苦(しく)八苦(はっく)というのです。
生きているかぎりついて廻(まわ)るこの世の苦から逃れるには、仏(ぶつ)、法(ぽう)、
僧(そう)の三法(さんぽう)に帰依(きえ)して、八正道(はっしょうどう)を実践するしかないと仏教は教えています。
釈迦(しゃか)は、この世は「苦の世」だと断定されました。この世はまず、生(しょう)、老(ろう)、病(びょう)、死(し)という四苦(しく)があると教えられました。
生まれる時のことを覚えている者はいません。でも、狭い産道を通ってくる時、苦しくなかったとは言えません。鉗子(かんし)で頭をはさまれたり、逆子(さかご)で出てきたり、また帝王(ていおう)切開(せっかい)でこの世に生まれてきたり、色々怖いめにあいます。それに苦の世と定められたところに生まれてくるのだから、生まれるということが苦にちがいありません。
さて、生まれたその瞬間から、人間は老いに向かって歩き出します。いやだといっても、人はすべて老いるのです。体が弱り、不自由になり、目が薄く、耳は聞こえなくなり、肉は落ち、しわが出来ます。頭も鈍くなります。
誰だって老いを恐れ、いやがります。
また生きていたら、さまざまな病気になります。どんな丈夫な人でも、伝染病(でんせんびょう)がはやれば防ぎきれません。SARS(さーず)のような得体(えたい)の知れない病気に脅え(おびえ)なければなりません。
交通事故や天災や人災、戦災で、死なないまでも、ひどいけがや病気になることもあります。長生きしても痴呆(ちほう)になったり寝たっきりになるのは、苦痛でしかありません。
そして人生の最後は、一人残らず死への旅立ちです。
死は誰も経験したことのないない未知のものです。あの世とは果たしてあるのか、ないのか、誰にもわからない。地図のない国への旅立ちは不安と恐れがあるばかりです。また死に至るまでの病苦はたまらない。
生きるということは、これら四つの苦しみで成り立っているのです。
この四苦は、人の身分、貧富(ひんぷ)の差など関係なく味わわなければならないのです。
「般若心経」は、大乗諸経典の中でもよく釈尊の真意に適っているとして、開祖が、最初期から「金剛禅教典」の一つに加えられたものです.
「不立文字」を旨とする禅宗でも、達磨以来、この経は「観音経」と並んで、よく読誦されています。
金剛禅では、日常の鎮魂行にも、儀式行事にも「般若心経」を唱和する習慣はありません。
ただ、開祖が、この経典を数ある諸経の中から選択されて、わざわざ「教典」の中に取り上げられた意義を理解し、この経の意味を学ぶことは大切です。
[参考]般若心経
仏教の基本聖典で、大乗仏典の一つ。詳しくは《摩訶般若波羅蜜多心経》という。
サンスクリットの原題は、《プラジュニヤーパーラミター・フリダヤ・スートラ》(般若波羅蜜の心髄たる経典)。サンスクリット原典(大品・小品の2種)のほか、チベット語訳と7種の漢訳が現存する。一般に唐の玄奘(げんじよう)の訳する276字の漢訳(小品に相当)が知られ、同じ玄奘の《大般若経》600巻の精髄とみられた。
内容は、表題のとおり、広大な般若経典の心髄をきわめて簡潔にまとめたもので、観自在菩薩(観音)が般若波羅蜜多(完全なる智慧)の行を修めて五薙(ごうん/存在の五つの構成要素)が空(無実体)であると悟ったことから説き起こし、仏弟子舎利子に対し、一切の存在が空であることを説き、最後に真言を説いている。
とくに物質的存在は無実体であり、無実体なるものが物質的存在であるという意味の(色即是空、空即是色)という文句はよく知られる。
サンスクリット原典は古くから日本に伝えられ、とくに法隆寺に伝わる小品の貝葉(ばいよう/609年将来)は貴重な文化財となっている。《般若心経》は中国と日本を通じて、各派で日課経として誦(よ)まれたため、玄奘門下の慈恩をはじめ、空海の注釈など、多くの注釈が書かれて、その数約300、近代の講義も200種を下らず、今も盛んに作られつつある。
とりわけ禅では、達磨のものという 《心経疏》をはじめ、古くは四川の智潰と南陽忠国師、日本では大覚禅師、一休、盤珪、白隠のものが特色をもつ。
「道訓」は金剛禅運動の実践綱領というべきものです。 「天」と「人」とのつながりを踏まえ、“霊止”としてどう行動すべきかが説かれています。 「道訓」は、「人道」を説いています.「人道」とは、人の踏み行うべき道であり、道徳規範です。
しかし、「人道」は、ダ←マに発する「天道」の裏付けがあり、一体となってこそ、いつの時代でも、どこの地域社会においても天地に恥じない行動の源泉たり得ます。ある意味では万人共通の「道徳律」ともいえる「道訓」ですが、その奥にはしっかりと金剛禅の教えが息づいていることを忘れないようにしたいものです。
そして、金剛禅は行動の宗教です.「道訓」は、その実践の具体的な教えであり、行としての規範そのものです。実践してこそ価値があるのです。(意訳) 人の踏み行う道は、人間社会の都合でこしらえたものではなく、宇宙にあまねく大いなるはたらき、即ち大真理・大法則の象徴であり、「天」(ダーマ)に基盤を置くもので、人として等しくよりどころとするべきものである。
そのような本来の道の在りように気づいたならば、人はまっしぐらに進むことができるが、それに気づかなければ生きる道を踏みはずすことになってしまう。だから、道というものはたとえ一瞬の間でも忘れてはならないのである。
人間としてこの世に生を受けた以上、この、天道に基づく道を迷わずに歩むことほど尊いことはない。せいいっぱい人道を尽くしてこそ、胸を張って堂々と生きられるというものである。
仮にも、人間として生まれながら、仁(他者への思いやり)・義(仁を実践する勇気)・忠(自己を偽らない誠実さ)・孝(両親先祖への敬愛報恩)・礼(社会的規範や礼儀の遵守)などの徳を尽くさなかったならば、肉体だけは生きていても、心は死んでいるのも同じである.これはまさに、いのちを天から盗んでいるとしか言いようがない。
もともと、(ダーマの分霊である)人の心そのものが神や仏なのであり、神仏とは人の本質である「たましい」でもある。心に疚しいことがなければ、なんら神仏にも恥じることはないのである。
だから、自己のあらゆる行動は、ことごとくダーマと内なる神仏が見守っているのであって、(善因には善果、悪因には悪果)結果は自ずから明らかで、ごくわずかな過ちも見逃さないのである。 それ故、大自然には敬意をはらい、外なる神仏には礼を失せず、祖先には追慕の念を絶やさず、両親には孝養を尽くし、社会の規範には従い、師の教えには背かず、兄弟妹を愛し、友人を信頼し、親族は仲良く、地域社会では互いに協力し、夫婦はともに和やかに添い遂げ、他者の難儀には手を差し伸べ、危急を救い、道を踏み外す人には、正道に戻るよう諭すべきである。
このように心を尽くして人道を歩み、仮にも過ちに気づいたならば、新たな心でやり直し、よこしまな思いを断ち切り、あらゆる善事を敬虔な心で実行すれば、たとえ他人は誰も見ていなくても、自己の心にある神仏には、すべて見通しで、幸福へ向かう原動力ともなり、身心ともに健やかとなり、子孫への良き手本ともなり、思い患って、わざわいや病に侵されることも少なくなろう。これをダーマに守られるというのである。 ダーマと「天」「神仏」「霊」 「道訓」では、末尾の「ダーマの加護を…」という表現以外は、「ダーマ」の語は用いられていません。その代わりに、「天」「神仏」「霊」など、東洋思想 (中国・朝鮮・日本等東アジアに通底する思想・信仰などの精神文化)の用語が用いられています。
しかし、「道訓」は、行じるべき「道」(実践)の「訓え」です。儒教や道教の教典などではありません。 <思想としての普遍性>
これらの用語が用いられているのは、一つには、金剛禅はおろか、仏教という枠さえ越えた、思想の普遍性によるものです。
それは、どのような信仰の対象を持っていようと、人がみな大いなるはたらきによって生かされている事実は変わらない。「天」であれ、「神」であれ、「仏」であれ、大いなるはたらきの根元は一つである。人は、この偉大なるものの「分霊」として存在する。という開祖の考えによるものです。
<開祖の体験を反映して>
もう一つは、金剛禅が開祖の全体験から発する宗教だからです。開祖は、幼少のころから大陸にあこがれ、長じては中国大陸を縦横に馳せ、中国人とともに過ごしました。その風土、生活、思考など、総じて東洋文化のエキスが開祖の思想形成に大きく作用したであろうことは疑いありません。
しかも、開祖は達磨を祖師と仰ぎ、達磨ゆかりの行法を主行と定めています。達磨の思想は中国において開花結実したものにほかなりません。達磨に始まる中国禅は、儒家や道家の思想と互いに影響しあい、やがて広い意味での東洋思想の一翼を担うに至ります。「道訓」の背景には、達磨と開祖を通じて、東洋思想の影響も強く存在する所以です。 よって、「道訓」には、「儒家」や「道家」が多用する文言が使われてはいますが、それらは、東洋思想に共通する「漢字」本来の語義として用いられています。
金剛禅の教義は、あくまで釈尊の悟りの本質「ダーマ」を中核とします。だから、東洋思想の根元ともいえる「天」も、開祖にとっては「ダーマ」の同義語であり、「霊」も死後の「霊魂」を否定しつつ、「ダーマの分霊」のように、生身の人間の存在を規定する語とするのです。また、「人心は、即ち神なり、仏なり」の句も、大乗禅たる達廉の「見性成仏=悉有仏性」と重なり、ダーマの無限の可能性を主張しているのです。
“人道’’と“天道”(道徳と宗教)
人間社会にとって、道徳が極めて大切であることはいうまでもありません。昨今の世相を見るにつけ、何とかしなければ、人類に、日本に未来はないと考える人々は、先ず道徳復興、道徳心の向上を叫びます。
しかし、いくら声高に叫んだからといって、自然に道徳心が広がり深まるというわけではなさそうです。実際、何年も何年も前から言われ続けているのに、退廃はいっそう進行しています。何故でしょう。
結論からいえば、「天(宗教)」に基盤を持たない「道(道徳)」には限界があるからです。
道徳は、特定の時代、特定の社会で、その構成員で決められた、いわば人間だけのルールです。現代社会には現代社会の道徳があるように、たとえば封建時代には封建時代の道徳がありました。そこには、士・農・工・商の差別があり、斬り捨て御免の特権さえ認められていました。人間扱いをされない人々は道徳の範疇外だったのです。
古代の奴隷も同様でした。現在でも、正義や人道という道徳の名の下に、戦争でさえ正当化されかねません。
また、人間だけの約束事なら、悪いとわかっていても、人が見ていなければそれでいいという風潮もあります。 これが、「一動一静、総て神仏の監察する処」で、「人見ずと錐も、神仏既に早く知りて」だとしたら、衿を正さずにはおれないはずです。「道は天より生じ」とは、このことを言うのです。そして、これこそが、宗教の世界なのです。
とりわけ仏教では「すべて悪しきことをなさず、善きことを実践し、自己の心を浄むること、これ諸々の仏の教えなり」(『七仏通戒偈』)といって、人が見ていようと見ていまいと、悪事はなさず、善事をなし、そのことを通して自己の心を向上させるのが仏教の基本であると説いています。
[参考]道徳 人のふみ行うべき道。ある社会で、その成員の社会に対する、あるいは成員相互間の行為の善悪を判断する基準として、一般に承認されている規範の総体.法律のような外面的強制力を伴うものでなく、個人の内面的な原理。(『広辞苑(第五版)』)
仏教の経典 仏教の典籍(書物)は、通常、「経」「律」「論」の三種に分類されます。「経」は釈尊の教説をまとめたもの、「律」は出家僧侶の生活規則を定めたもの、「論」は教義上重要な項目に解釈や解説を施したものを指します。 釈尊の入滅後、弟子達は、釈尊の教えを正しくとどめるために、「けつじゅう結集」という経典編纂会議を開いて、教えの定型化・共有化を図りました。このとき成立した最初期の経典群は、“伝承された教説”を意味するアーガマの漢訳語で「阿含」と呼ばれます.金剛禅の「聖句」の二句は、ともにこの阿含経典群の一つの「小部」に属する「法句経」から開祖が選ばれたものです。 仏教経典には、この「阿含」経典群だけでなく、膨大な数の経典が伝えられています。その大部分は、釈尊から数百年後に成立した大乗仏教の時代になって作られたものです.仏教が、出家僧侶中心の学問仏教となり、人々を救済する布教力を失っていったことに猛反発して、世俗の悩める多くの人々を救済してこそ真の仏教であると興起したのが大乗仏教でした。 大乗仏教は、釈尊の真意を明らかにしようと次々と多くの経典を生み出しました。そのためか、ほとんどの大乗経典(「般若経」「維摩経」「華厳経」「法華経」「無量寿経」等々)は、「仏説」と銘打たれ、釈尊の法話を直接聴聞したという形式をとっています。「如是我聞(このように私は聞いた)」です。[参考]宝諒の経典 中国・朝鮮・日本など東アジアヘは、大乗仏教が伝わりました.大乗経典群もほとんどが漢訳され、これらの大乗経典をもとにして宗派が成立します. 中国の仏教者たちは、インドから伝えられる大量の経典のすべてを、釈尊自身によって説かれたものと見なしました.ところが、それらの経典群の内容を検討すると、教義的に矛盾する点があるのに気づきます。そして、その理由を釈尊の「応病施薬」(人々の能力や悩みに応じて、それぞれにふさわしい教えを説く)の結果であると判断しました。そこで、すぐれた他教者たちは、自身の抱えている問題意識をもとに、経典を分類し位置づけしたのでした。 このように、すべての経典を釈尊一代の説法として、それぞれの形式や内容を分類し、体系づけ、価値を決めて釈尊の真意を明らかにしようとすることを「教相判釈」といいます。また、それによって、これこそ釈尊の本意中の本意であると判断した経典を「正依の経典」又は「所依の経典」とし、その経典を拠り所として各宗派が誕生していくのです。 なお、このような経典の扱い方は、以下のように日本の各宗派にも受け群がれています。<日本の主要宗派の「正依の経典」> 天台宗‥・法華経 真言宗‥・大日経(他に金剛頂など四部) 浄土宗…無量寿経・観無量寿経・阿鉢陀経(浄土三部経) 浄土真宗… 〃 (特に無量寿経) 日達宗・日蓮正宗…法華経 臨済宗・曹洞宗・黄檗宗・‥「不立文字」の故に、特に定めないが、金剛経・大般若理趣分・般若心経等を用いる。
[テーマ番号] [テーマ]
L1 開祖が少林寺拳法を創始するに至った経緯
(留意点) 開祖の少林寺拳法創始の目的が、武道の一流一派を立てることにあったのではなく、「人づくり」にあったことを歴史の中から整理し論述すること。
L2 宗教法人金剛禅総本山少林寺が設立された経緯
(留意点)様々な選択が可能な中で、自らの教団を仏教系禅門の宗教団体として定めたりゆうについて考察し論述すること。
L3 社団法人少林寺拳法連盟が設立された経緯
(留意点)社団法人設立の背景について論述し、また、金剛禅布教と社会教育との共通部分とその違いについても述べること。
L4 財団法人少林寺拳法連盟が設立された経緯
(留意点)少林寺拳法連盟設立の背景について論述し、また、宗教法人の観点から見た同連盟設立の意義と、教団にとっての今後の課題についても述べること。
L5 支部道場の発足にいたった経緯
(留意点)支部道場と道院の違いをあきらかにし、支部道場の歴史的役割について考察し論述すること。
L6 黄卍教団の思想と金剛禅総本山少林寺の思想
(留意点)黄卍教団設立時の思想と祖師貴、そして金剛禅教団とを比較し、その中で変わった部分と変わらない部分について論述すること。
L7 三法人(宗教法人 金剛禅総本山少林寺、財団法人 少林寺拳法連盟、学校法人 禅林学園)の設立の趣旨と活動から見た独立性と共通性
(留意点)三団体の独立性と共通性について論じ、また、各団体の連携による今後の金剛全布教の可能性や課題についても述べること。
「科目」宗論(宗教論)4 仏教の歩みと金剛禅(上)
以下より2題を選択する。
[テーマ番号] [テーマ]
M1 釈尊の教えと金剛禅の接点
(留意点) 当時と現代の社会思想的背景の比較を踏まえ、仏教発生と金剛禅成立との接点について考察し論述すること。
M2 金剛禅が「釈尊の正しい教えを現代に生かす」教えであるとはどういうことか
(留意点) 釈尊の正しい教えとはなにか、またそれを生かすとはどういうことかをまとめ、金剛禅では「釈尊の正しい教えを現代に生かす」という表現をとることの意義も論述すること。
M3 釈尊の時代のインドはどんな社会だったか
(留意点) 当時のことを説明するだけでなく、釈尊の教えが人間の普遍的な問題に対する視点を持ちつつも、当時の社会における問題を解決し得る思想であった点についても述べること。
M4 釈尊の生涯
(留意点) 釈尊の生涯を簡単にまとめるか、または強い印象を受ける時期・出来事について論述すること。
M5 釈尊の説法の方法に共通して見られる特徴
(留意点) 釈尊の説法について考察し、その自他の関係についての考え、他者への働きかけ方、物事がわかるということについてなど、教育、人間関係、認識などについて論述すること。
M6 釈尊の教えの中核
(留意点) 「中道」「四諦」「八正道」のいずれかの要約を含めて論述すること。
M7 釈尊の悟りの本質について
(留意点) 「ダーマ(法)」「縁起(因縁)」「三(四)法印」のいずれかの要約を含めて論述すること。
「科目」運動論(実践論) 布教のお手引き 教団編
以下より2題を選択する。
[テーマ番号] [テーマ]
N1 仏教の僧伽
(留意点) 原始仏教教団の「僧伽」の性格を整理し、金剛禅教団が継承すべきことと現代に対応するため考察すべきことについても論述すること。
N2 道院の役割とその公共性
(留意点) 「道院」と「寺院」の考え方の違いを整理し、専有道場の役割にも触れながら公共性ある道院活動の展開について考察し論述すること。
N3 宗教法人と教団運営
(留意点) 宗教法人法が規定する世俗的な面、すなわち信教の自由や政教分離の原則、財産の所有、維持管理などと教団運営の関係について考察し論述すること。
N4 教団の共有経済
(留意点) 原始仏教教団の現前僧伽や四方僧伽などの共有経済について考察し論述すること。
N5 金剛禅修行者にとっての教団の存在意識
(留意点) 修行者の意志と教団規範の関係において、いかに自己確立・自他共楽の人間完成の道を歩むのか、教団の存在意義から考察し論述すること。
N6 教団組織における教区の役割
(留意点) 原始仏教教団の界(シーマ)や四方共有などについて考察し、金剛禅教団組織の中核としての教区の役割について論述すること。
「科 目」布教演習(阿羅漢行)2 自己評価演習Ⅱ
[方 法] 「少法師補任講習」受講の際に、「自己評価演習 自分史年表」を作成し提出する。