素晴らしい作品が秋篠宮さまにも愛され、
私も馬越さんの素晴らしい詞に作曲させていただいたりと大変お世話になった
世界的にも活躍された石彫家の馬越正八さんが
先日、令和元年6月5日にお亡くなりになりました。
子供たちのこともあり、葬儀に駆けつけられないのでせめてもの想いで、馬越さんを想いながら追悼の即興演奏をしました。
クリックでお聴きいただけます。
出会いはたしか11年ほど前、私がまだ松山にいた頃、コンサート本番の数時間前に生出演したラジオを、馬越さんは今治で聴いておられ、
「お客様との即興連弾コーナーもあります」
にピンときて今治から松山まで急いで車を運転してコンサートに来られ
「ピアノを弾いてみたくて来ました!」
と即興連弾コーナーに出てきてくださいました。
初対面で自由に奏でていただくと
芸術的な素晴らしい心のメロディを奏でてくださりその行動力にも感動しました。
それからも何度もコンサートに来てくださったり、お宅で一緒に陶芸させていただいたり、
馬越さんの作られたかわいい童の像を
秋篠宮さまが気に入られお渡ししたときのお写真をみせてくださったり、
人生で大切なすごく貴重なお話をたくさん聞かせていただき、その前向きな生き方にたくさん学ばせていただきました。
そして病で突然耳が聞こえなくなってからは、
さまざまな障がいを明るく乗り越えていく素晴らしい詩『今日もおいらは生きている』を書かれ、
その大切な詞に私に作曲を依頼してくださり、
素敵な歌が誕生し神戸の子供たちが歌って喜んでくれたこと、
馬越さんは聴こえないけど、自分も歌いたいとなんとか頑張られていた姿、
おいしいお寿司屋さんに連れていってくださり一緒にお食事した幸せな時間、太陽みたいにいつもおおらかで明るく優しい笑顔、、
昨日のことのようにはっきりと覚えています。
別れ際にはいつも握手して再会を楽しみにし、
私が神戸に引っ越しても何度もあたたかいお便りをくださっていたのに
突然の訃報。
いつか会わせたかった娘に話したら、会ったこともないのにすぐに号泣し、不思議な感覚でした。
大好きだった亡き祖父と似ていたこともあり、ショックで泣いてばかりいましたが、
最後のお別れに松山まで飛んでいけない歯がゆさの中、せめてもの想いで馬越さんを想いながら即興しました。
悲しい気持ちで弾き始めたので暗い曲になるかと思いきや、馬越さんのあたたかな優しさ、
ありがとうと感謝の想いが溢れてきて優しい曲になりました。
また、『今日もおいらは生きている』は
神戸のかわいい子供たちSMYLE STARS(あえてsmileはsmyleにしてます)に明石の博物館やコンサートなどでも歌ってもらいましたが
もう、1曲作曲させていただいたものの、歌い手がまだ見つかっていない『夢の城』共々、
いつかまたみなさんに何らかの形で聴いていただけるよう馬越さんの意志を引き継ぎ、
作品を輝かせられるようがんばります。
馬越さん、出会ってくださり本当にありがとうございました。
どうか、安らかに、そしてまた素晴らしい作品を作りにいらしてくださいね。
馬越さんに届きますように。