ずいぶん記事にするのが後回しになってしまいました。他にもネタはいっぱいあるのですが、記事書くの苦手なものでなかなか・・・
今回は、時節柄、日本共産党支持者としましてちょっと社会派っぽく書かないといけないかな、なんて勝手に思ってしまいまして今頃に。←勘違い
この映画「蟹工船」、私としては、もっと辛い映画かと思いきや、ポップな感じに少々拍子抜け感もありました・・・
が、終わり方は気に入りました。 ネタバレですが・・
1度目の労働者反乱で代表が射殺されるのですが、「代表者なんか立てなければよかったんだ・・」と後悔し、もう一度立ち上がるのです。
もう一度言いますが、「代表なんて立てなければ・・」ですよ。。。
みんな一人では何もできない。賛同者・協力者・同志が必要なのですわ。。。
>「もう一度、立ち上がれ!」は現代社会へのメッセージ
>集団自決のシーンは「自分で決める」という前向きな団結として描いた
>「言い訳しても進まない、どうなりたいか考えて行動すればどんどん良くなる」というメッセージを込めた
・・とは監督の言葉。
劣悪な労働環境に縛られ気力・体力を奪われ、労働者が「団体」から「個」へと分解される方向にどんどん進んできたという、今の日本の問題と階級格差政治との関係性を結びつける思想的役割を担う、小林多喜二への興味を引き起こすという点と、
「”団結”という方法もあったはずなのだ」「”閉塞感”、”変えられないのでは…という思い”に押しつぶされてはならない」などと思い起こさせる「励まし」という点では、この映画は意味があると思う。
私の好きな西島秀俊さん(労働者を管理する鬼監督役)も、
>辛くても考えることを放棄してはいけない、続けることが大事だというメッセージを強く感じた
という意味のことを言ったらしい。
が、この映画、もともと原作に忠実に作られたものではないようだが・・
多喜二が示したであろう「帝国主義の階級被差別意識の自覚化」といった趣旨、劣悪な条件下で酷使される労働者たちが団結し、集団として立ち上がろうとする必然性は伝わったであろうが、
「被害者面するな、お前も悪い」「不平ばかり言わず自分で考えろ…」といった台詞がちりばめられる映画では、「自己責任論」との繋がりも思わせ、、
「労働者の職場内団結」だけでは根本的な解決にはならず、階級格差政治を変える必要がある(体制が変わらなければ、誰かはそのような状況に陥らされる)ということを強烈に示唆させるにはもの足りなかった気がする。
ま、それを商業映画に求めるのは筋違いなんだろう。
観る人が、「単なる昔の徹底した人権無視の階級社会・帝国主義の犠牲者と今の自由競争社会とを照らし合わせるのは違う」とでも思ってくれる余地を残しておく必要もあったのかも。
>「原作は悲惨な状況の中、『疲れたから寝る』を繰り返すモノクロイメージを持っています。 でも、命の軽さや悲惨さを描いたら暗くなるだけで、そのままではつらい。
一方で、本を読み込むとそこには真面目なだけじゃなくユーモアもある」と分析。 そして「文化としての『蟹工船』と映画としての『蟹工船』は別物。多喜二をも超えて、文化と映画の美しいコラボレーションとなったと思います」とSABU監督に称賛を贈った。
といった、某氏の言葉は、そこに触れないで、この映画を ”ただ美しく”捉えただけのような印象を与えられる気がしないでもない。。
特高警察に拷問死させられた共産党員・小林多喜二が命を捨てる覚悟で書いた小説「をも超えて」という表現は、「映画としての独立性」を言いたかったのだろうけど、少しいけ好かない。 「蟹工船」を通しての多喜二は”知るべき史実”であって、”美しい映画”の次元で”超える”ようなものではない。
「多喜二をも超えて、」というよりは、「多喜二の告発を後世まで伝え、全国民に帝国主義と共産党弾圧の史実を知らしめるという点で、文化的にも意義のある」作品だというふうに言ってほしいもんだ。 そこまで求めても無理か?
この作品は、娯楽性と監督の個性が発揮される引き替えとして、コミカルな部分もあり、悲惨さ、リアリズムには欠けていた。
ただ、誰にでも見に行きやすい、青少年の取っ掛かりが生まれやすいという点では大きな役割を果たす可能性があり、いいのかも。
皆様もどしどし見に行ってやってください。西島さんは、やはり悪を感じない上品さが拭い去れなかったが、松田龍平さん、TKOのお二人、高良健吾君、新井浩文さん、、とフレッシュな俳優陣でっせ。
※ 「蟹工船」に描かれた「北洋漁業」というのは、暴利を生む国家的事業で、帝国海軍に守られていた。 それはまたロシア領海における侵略的掠奪でもあった。
原作「蟹工船」は、国際的な視野から、このような独占資本と帝国軍隊の本質および その植民地的展開を暴露し、支配の構造を見据えたうえで、労働者集団の階級的覚醒、連帯と抵抗を描いた稀有の作品だったのである。
(※引用元:万華鏡というサイトさん)
当ブログ関連記事 もよろしければ。多喜二についても。
今回は、時節柄、日本共産党支持者としましてちょっと社会派っぽく書かないといけないかな、なんて勝手に思ってしまいまして今頃に。←勘違い
この映画「蟹工船」、私としては、もっと辛い映画かと思いきや、ポップな感じに少々拍子抜け感もありました・・・
が、終わり方は気に入りました。 ネタバレですが・・
1度目の労働者反乱で代表が射殺されるのですが、「代表者なんか立てなければよかったんだ・・」と後悔し、もう一度立ち上がるのです。
もう一度言いますが、「代表なんて立てなければ・・」ですよ。。。
みんな一人では何もできない。賛同者・協力者・同志が必要なのですわ。。。
>「もう一度、立ち上がれ!」は現代社会へのメッセージ
>集団自決のシーンは「自分で決める」という前向きな団結として描いた
>「言い訳しても進まない、どうなりたいか考えて行動すればどんどん良くなる」というメッセージを込めた
・・とは監督の言葉。
劣悪な労働環境に縛られ気力・体力を奪われ、労働者が「団体」から「個」へと分解される方向にどんどん進んできたという、今の日本の問題と階級格差政治との関係性を結びつける思想的役割を担う、小林多喜二への興味を引き起こすという点と、
「”団結”という方法もあったはずなのだ」「”閉塞感”、”変えられないのでは…という思い”に押しつぶされてはならない」などと思い起こさせる「励まし」という点では、この映画は意味があると思う。
私の好きな西島秀俊さん(労働者を管理する鬼監督役)も、
>辛くても考えることを放棄してはいけない、続けることが大事だというメッセージを強く感じた
という意味のことを言ったらしい。
が、この映画、もともと原作に忠実に作られたものではないようだが・・
多喜二が示したであろう「帝国主義の階級被差別意識の自覚化」といった趣旨、劣悪な条件下で酷使される労働者たちが団結し、集団として立ち上がろうとする必然性は伝わったであろうが、
「被害者面するな、お前も悪い」「不平ばかり言わず自分で考えろ…」といった台詞がちりばめられる映画では、「自己責任論」との繋がりも思わせ、、
「労働者の職場内団結」だけでは根本的な解決にはならず、階級格差政治を変える必要がある(体制が変わらなければ、誰かはそのような状況に陥らされる)ということを強烈に示唆させるにはもの足りなかった気がする。
ま、それを商業映画に求めるのは筋違いなんだろう。
観る人が、「単なる昔の徹底した人権無視の階級社会・帝国主義の犠牲者と今の自由競争社会とを照らし合わせるのは違う」とでも思ってくれる余地を残しておく必要もあったのかも。
>「原作は悲惨な状況の中、『疲れたから寝る』を繰り返すモノクロイメージを持っています。 でも、命の軽さや悲惨さを描いたら暗くなるだけで、そのままではつらい。
一方で、本を読み込むとそこには真面目なだけじゃなくユーモアもある」と分析。 そして「文化としての『蟹工船』と映画としての『蟹工船』は別物。多喜二をも超えて、文化と映画の美しいコラボレーションとなったと思います」とSABU監督に称賛を贈った。
といった、某氏の言葉は、そこに触れないで、この映画を ”ただ美しく”捉えただけのような印象を与えられる気がしないでもない。。
特高警察に拷問死させられた共産党員・小林多喜二が命を捨てる覚悟で書いた小説「をも超えて」という表現は、「映画としての独立性」を言いたかったのだろうけど、少しいけ好かない。 「蟹工船」を通しての多喜二は”知るべき史実”であって、”美しい映画”の次元で”超える”ようなものではない。
「多喜二をも超えて、」というよりは、「多喜二の告発を後世まで伝え、全国民に帝国主義と共産党弾圧の史実を知らしめるという点で、文化的にも意義のある」作品だというふうに言ってほしいもんだ。 そこまで求めても無理か?
この作品は、娯楽性と監督の個性が発揮される引き替えとして、コミカルな部分もあり、悲惨さ、リアリズムには欠けていた。
ただ、誰にでも見に行きやすい、青少年の取っ掛かりが生まれやすいという点では大きな役割を果たす可能性があり、いいのかも。
皆様もどしどし見に行ってやってください。西島さんは、やはり悪を感じない上品さが拭い去れなかったが、松田龍平さん、TKOのお二人、高良健吾君、新井浩文さん、、とフレッシュな俳優陣でっせ。
※ 「蟹工船」に描かれた「北洋漁業」というのは、暴利を生む国家的事業で、帝国海軍に守られていた。 それはまたロシア領海における侵略的掠奪でもあった。
原作「蟹工船」は、国際的な視野から、このような独占資本と帝国軍隊の本質および その植民地的展開を暴露し、支配の構造を見据えたうえで、労働者集団の階級的覚醒、連帯と抵抗を描いた稀有の作品だったのである。
(※引用元:万華鏡というサイトさん)
当ブログ関連記事 もよろしければ。多喜二についても。