ネコ型note

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政治家は「人物」で選ぶ?

2009-06-24 | 選挙 ・ 選挙制度
ネコ型新聞にようこそ。
 今回は、「政治家を選ぶ時は人物性を重視」と仰る方々を共産党に取り込もうとして、自紙投稿いたします。
 まずここを変えてもらわないと、共産アピールの有効性(耳を傾けてもらえる可能性)が薄いことに今さら気付きました・・・て元々ほとんど独り言かもしれんけど。
 今が宣伝し時なので少々しつこくてすいません。
 
 ☆私は党員ではありません、ただの支持者です。


「私は無党派」とおっしゃる方の中には、様々な理由からくる、色んなタイプの方がいらっしゃると思いますが、
 信頼できる政党が見当たらないらしい(私としては、共産党を別に全面的に信頼までしなくてもいいとは思いますが・・)ということが共通していて、
 そのせいか、個人に投票する場合、その議員が属する政党の政策よりも、「議員の人物性重視」になってしまうという場合も多いみたいですね。

 そういう方々が、とかく忘れがちになっていることがあると思います。それは

 議員がその政党に属している理由と、属した政党から議員が受ける影響と制限
を見ること。


 あ。。 もしくは 何が言いたい? と思われた方は、お付き合いいただければ、と思います。

 何が言いたいか想像つくけど、共産党支持ではない、あるいは迷っている。という方は、もしよければこちら→日本共産党(当ブログ記事)←へワープしていただけると幸いです。(嫌味な箇所もありますがお見逃しを。。)
 
 
 政党とは、大きくは理念が一致している人が集まり、立案・政策実現に向けて協力するための団体であるはずです。
 すなわち、「みんな同類」とは言いませんが、価値観に共通点があるのは確かです。
 
 一見、偏りが無いように見える人でも、党に属してしまえばそこの慣習や政治理念を受け入れ、普通は協力姿勢を示さざるを得ないでしょう。

 その限りでは、人物には当たり外れがあるにしても、「まずは政党」で選ぶべきであって「まず人物」で選ぶべきではないと思うのです。


 「そうはいっても、やっぱり信頼できそうな人物をちゃんと選びたい」
 「人物が良くないと政治が良くなるわけがないではないか」と思われる方も多いでしょう。
 それはよく分かりますし、当然の心情だと思います。
 ですが、普通の人には、議員の心中を見抜くことは難しいということがあります。

 「私は無党派」とおっしゃる方で、今まで「失敗だった」「騙された」と思ってしまった経験がある人は多いのではないでしょうか。

 そこで、「所詮、政治家なんてハズレが多いから仕方ない」と思わないで(諦めないで)、
 人柄を見たって、見誤る可能性が高いと考えて、本当に選択する価値がある政党がないのかどうか、考えてほしいと思います。
 (何が言いたいか、つまりはあそこへ入れろと言いたい訳です、笑。冒頭ですでに言っちゃってますが)

 性格が良さそう(良い)人が、良い政策判断をするという保障は何もなく、
 性格が悪く見える人(またはちょっと欠陥がある)人が、悪い政策判断をするという確証も何もないということを考えると、おのずと「では政党の政策重視で」となると思うのです。
 
 
 それでも・・とおっしゃる方にしつこく駄目押し。
 
 人物→「人柄」を優先したい とおっしゃる場合・・

 他者に配慮できる人柄ということは、普通は政党内での配慮もするということにもなりますから
(元々、ただの出しゃばり以外は大体の政策に賛成しないと入党もしないはず)
「まずは人物」ではなく、「同時又はそれ以前に、政党の政策も」見なければならないと思います。(政策は、掲げたものだけじゃなく、今までのことを思い出してくださいね)

 繰り返しますが、配慮ができる性格の人が、正しい判断をするという確証は何もないのです。

 
 人物→「個人の政策行動」を見て決めたいとおっしゃる場合、

 そう考えることは素晴らしいと思いますが、自分の選挙区の、各党の候補者それぞれが、今までにどの政策に反対or賛成したか、どんな答弁をしたか、均等な割合で詳しく議事録を調べないと、的確な判断は難しい。
 それは大変なことでしょう。
 それなら、党の傾向や行動パターンを見続けた方が、判断しやすい材料になりませんか。


 「人物重視」の方に言いたい事はこんなところでしょうか・・
 
 共産党の「価値ある部分」が今よりも認められて何かひとつの政策でも変わってくれば、国民の政治参加への意欲がもっと高まって、議員にも、緊張感が走り、段々とすべての党の態度が改善する・・といったことになっていく可能性もあると思います。

 昔のように、段々豊かになった時代ではなく、今は国が段々おかしくなっていっているという危機感を大部分の人がもっているのですから、国民の目の厳しさは昔とは違ってくるでしょう。

 
 ここまで読んでくださった方へ・・共産党の存在価値(必要性・有効性)をもっと考えていただきたいので、共産党のホームページや、当ブログの他の記事(ちょっとイヤミな箇所もある・・すいません)もご覧いただきたいと思います。
 
 とりあえず、ここ→日本共産党(当ブログ記事)←でも、クリック♪ 私は内部のことも、政策のデータも分からない、全体的なことを眺めているだけの、ただの無知な支持者ですので、「最低限の存在価値(必要性・有効性)アピール」をモットウとしております(笑)。(だから少々自(党)虐的な箇所もあるかと思いますが、頼りないと思って支持したくないと言わないで。)

なんでだろう・・

2009-06-14 | ピアノ近サート(主に近藤さん)
 先週の「講義」に引き続いて、楽しみにしていたティアラ小ホール、大好きな小ホールでのコンサート・・・
いつものようには楽しめませんでした。なんでだろう。

 今までのワースト5・・には全然入らないけど、今まで味わった小ホールでの感動とはとても比べられないくらい、感激がなかった・・・

 私、近頃の当ブログへの、「レッドカーペッド内でのレッドカードの類」をもらいすぎた関係で、耳(頭)がおかしくなったんかしら??

 いやいや、私ったらそんなタマではないので(こんなの、辛いことの内には到底入らないので。 いやでも、体だけでなく精神も、か弱いですよ。←信じられるかよ)、そんなことは思い出さず関係なく、いつものように期待して会場入りしたはず、、、なんですが。確かに。。。


 前半の大好きな「ワルトシュタイン」を右の前から2列目で聴いてしまったことも、原因のひとつかもしれないけど・・・いや、やっぱりあまり関係ないな。。

 なんだか、いつもより音が「パラパラパラ」って無味な感じ?や、やや叩き方が乱暴な感じにも聞こえたし、近藤さんの間の取り方にも、いつもより「良い味」を感じない箇所が多い・・・何か、ピアノが弾きにくい!という焦りのようなものもよく感じ。。

 そういう「違和感」に踊らされたので、もちろん、「いつも通り」にいい瞬間も何度も認めはしたものの、なーんだか充足感に欠けてしまった・・

 私は、てっきり近藤さんが「なんかところどころあせったり興奮したり、集中できてなかったりしたんだ」と思ってしまった。

 で、終演後、腑に落ちないので、近藤さんに簡単な質問をしてみようと思い、何て言ったら怒られないか分からぬまま、「録音(最新のベトソナ12~15。ティアラ小ホールと同じくベヒシュタインを使用)の時のピアノと、今日のは、違いがありましたか?」などと、よー分からん質問を。

 近藤さんは若干きょとんとして、「空間が違うので、ピアノの大きさは違いますけど、音は似た感じですよ」みたいな(もっと難しい言葉でちゃんと答えてくれたんだけど、覚えられなかった・・)お答え。

 そこでまた、淡々とした近藤さんに「ピアノのコンディションは大丈夫でしたか」とか「お疲れでしたか」などと恐ろしいことを訊くこともできず、
 日本語がいつも意味不明な私、「音が良くて良かったです」と。←苦し紛れにCDのことを言ったつもり

 近藤:やはり若干きょとんとして、「そうですか、ありがとうございます」


 劇的撃沈・・・

 何も解決を得られなかったばかりか、意に反して、「今日の音が良かった」と受け取られることを言ってしまったではないか・・・

 でも、きょとんとしたって事は、近藤さんも「今日の音が良かった」とは思ってないんだ、きっと。
 何バカなこと言ってんだ、こいつ ってな感じなんだ・・・


 このやりとりで、余計に取り乱してしまった私は、あっこさんに軽くやつ当たりした後、Tさんに同意を求めてみた。

 幸い、その感想がほぼ一致したTさんと、あーでもない、こーでもない、と散々苦渋にのた打ち回ってから、やっと落ち着いて、お茶会に参列。

 お茶会でも、楽しいのとやつ当たり入り混じりって感じで、まだ少々取り乱し気味・・
 変な奴ですいませんです。


 しかし、私たちやく2名の釈然としない心持ちをよそに、近藤さんはサイン会でもブログ上でも、いたって上機嫌な様子。

 ソロが終わって感じる、爽快感、充実感も、いつもどおり感じられたと。

 小ホールでは、
 >ダイレクト感がとても強いのが特徴で、
 >意図した表現が即座に聴き手に伝わっているような気がします。
 >聴衆というより、一個人にピアノを聴かせているような錯覚にとらわれます。何だか >自分の表現がディープになる傾向があるかもしれません。

 とのことで、こういうところは、今回としてもとても納得できるのですが。
 確かに、ディープでしたもん、最後のハンガリアン・ラプソディ2番と、アンコールの愛の夢と、超絶技巧10番へ短調(すべてリスト)。

 ハンガリアンは、燃焼しすぎて?時々流れを放棄したようにも感じたし、アンコール2曲も、怖い位にディープでしたとも。
 この3曲は、怖いながらもよかったけどね


 やっぱり、私の乗り方があの方の気分と合わなかったのね。
 ディープだったと言えば、すべて丸く収まる気がするわ。
 たまには、ここまで「完全燃焼発散系」の興奮モードの近藤さんも、いい。
 ということにしておこう。

 結局、今回は「深い感動」とまではいかなかったけど、最後は集中できてよかったよかった。
 

 前回講義で「価値観や認識がほぼ一致」などと書いた矢先に、
 早くも、フィーリングと認識の不一致。
 ってか、一週間前、P,PP,PPPの世界を重要視したいって、仰らなかった??
 前は、同じピアノと同じホールで、もっとP,PPが綺麗だった気がするけど?
 わからん。
 ま、言えることは、やっぱり、あかの他人だわね(笑)←あたりめぇ


 ・・・まったくの分からず屋主観でひどい風に書きましたが、決してキライになった訳じゃぁございません。
 書いたようなひどい演奏でもなかったはずです。
 ちょっとところどころ、集中しがたい箇所があって、私の頭のおかしさのせいで、それを増長して感じてしまったのでしょう。
 こんな日もあるよね、と納得しながらも、近藤さんのご機嫌がよろしいのが、ちと腑に落ちなくて困る。
 

 取り乱し、プログラムも書いてなかったわ・・・

 バッハ=ブゾーニ  シャコンヌ(無伴奏ヴァイオリンのパルティータの編曲)
 ベートーヴェン   ソナタ21番「ワルトシュタイン」

 シューマン     アラベスク
 ショパン      ノクターン第8番
 ショパン      バラード1番
 リスト       ハンガリー狂詩曲第2番

 アンコール2曲   (上記) 

魅力凝縮

2009-06-12 | ピアノ近サート(主に近藤さん)
 やっと書く気になりました。6/6(土)in新宿朝日住友ビル のこと。かるーくね。

 いつもブログで軽妙洒脱な感じを受ける実力派ギタリスト・鈴木大介さんと、我らがお慕い申しあげますピアニスト・近藤嘉宏さんによる、
 仲良し対談。

 いやー、楽しかった。
 一応予定では「ベートーヴェン中期ソナタを語る」と銘打った講義・・だったと思うんですが、まるでファンがセッティングし直したような、(いや、ただ集合しただけなんですけど)ファンが寄るファンのための2人座談会、みたいな感じになっちゃってました。

 いいのか? ファンとしては、別にいいだろう、良いんだとも。ですがね。

 お二人、ちゃんとファンが多いことを目視で確認してから(?)、最初はちょっと恭しい感じで、大介さんが話を始められました。

 箇条書き(手抜き)みたいでもうしわけないっすが、

1、二人の出会い (ファンは知っている、初対面での警戒から早急に打ち解けるまでの過程)

2、大介さんプロデュースで「ベトベンソナタ全曲」という価値ある箱物CDを今、作っておこうと思った経緯
(レコード会社の供給が音楽配信の方向に傾きつつある昨今、recoupできそうなCDしか作らなくなる時代にさしかかっていることも見越して、今、近藤さんの真価を見せ付ける(?)パッケージ化に相応しい録音に取り掛かろうと考えた。というようなお話)

3、2からの流れで、体調を崩したこともあって、「近藤さんの表現も変わったしね」というお話
(弾けなくなるかもという不安からも、一瞬一瞬が大事に思え、瞬間的な音のニュアンスを、より大事に感じられるようになった)

4、ここ数年、建築基礎の土台を取り払った後のような、より自由度や味わいある音楽を作れるようになった。とか、
 楽譜から音楽を読み取り、感じ取り、それを自分の音楽表現にしていく重要さ、巨匠の借り物やエゴにならないようにする難しさ、などのお話。
 (楽譜は、できる限り作曲者に近い原点版を使い、そこからインスパイアしたい、とも)

5、97年録音のベトベンCD → 数年前の4大ソナタCD → 今回発売の12番~15番のCD
 の聞き比べコーナー
 (表現も、録音の状態も明らかに違い、音楽表現の深まりの程が見えます。今回のは、音が近く丸みがありキレイで、傍で弾いてもらってるような感覚が味わえます。その点、パッケージ写真の雰囲気←どっちかいうと、こんなポーズ がマッチしていて、女子ファンにはうれしい感じ。ただ、よく知らない人には写真でイメージとジツリョクを誤解されそうな心配がありますが)

6、録音時のエピソードなど
 (近藤さんは、音楽作りが「禁欲的」で、「整えよう」とするので、大介さんがいいところを残すようにしている、とか、やっぱり、人間が認識できる音の感覚のすべてをCDに託すことはできないし、感動を伝えるための調整が難しいといったような話)


 こんな話題で、軽妙な大介さんリードで和やかに、進行されました。
 
 近藤さんの、超真っ直ぐに音楽に向かわれる魅力が凝縮され、大介さんに乗せられ素も覗かせるような楽しいお話。

 ピアノは、上から弾くので、感情がそのまま出るような造りになっている、だがそれでも、やってるつもりで実はそうなっていない場合も多いとかいう話のとき、アチョー(←もちろん近)などという語も飛び出しておりました。

 あ、その流れで、ギターはなかなか雄たけびはできないから、たまには雄たけんでみたいよ!という大介さんのセリフがあり、近藤さんはフォルテよりp、pp、pppまでいくような、小さい音でのニュアンスを何倍も重視しているというお話も。
 ま、そりゃそうだわな。
 ・・私は、ピアノの先生が、オルガン専攻でしかも激しい性格だったから、「フォルテが足りない、盛り上がりが足りない」とよく言われて、「私は大げさは嫌いなんじゃー! ニュアンス変えてんのが分からんのか!」と、何度かぶち切れそうになりましたけど・・
 ・・伝わらなかったってことは、独りよがりだったんだろうけどね。
 それにしても、もっと理論的なこと、細かいことを教えてほしかったけど。

 
 閑話休題、(←覚えたて四字熟語。使いたがり)

 うーん、それにしてもやっぱり、近藤さんと私は価値観がよく一致するわぁ
 お話を聞くと、いつも共感するばかりだけど、今回もやはり「いいと思うこと・感じ方・考え方の過程や内容」がほぼ一致。だから近藤さんの音楽が自然に心に浸透するのね。 
 私の場合、頭と言動が一致しない、うまく表現する力がないところが、近藤さんとは全く違うんだけどね だから、ま、誰も信じないだろうけどね(笑)


 とりあえずいい加減なレポですが、何か思い出したら、また補足・メモ改訂など、いれるかもしれません♪

 

引き倒しの罪滅ぼし

2009-06-10 | 橋下維新の会 ・地方政治 / 共産叩かれ記
 なにやら、私もおバカな活動をしていますな。
 当たり前のことを、一生懸命記事にしたりして(笑)

 この「バカが頑張る」姿勢こそが、贔屓の引き倒しを招くのでしょうかね

 でも、一部の(?)支持者がバカだから、又は性格悪いからって、それで判断する人は、
 性格的に、場合によっては適切な判断をしそこねる才をもつ人だとも言えると思います。
(接する支持者との出会い運が悪くなければ、支持される場合も多いと思いますが、それでは流動的でしょう・・)
 
 そういうわけで?、そういった不的確なご判断を防ぐためにも?、引き倒しの罪滅ぼしに??一句。

 ~~↑↑で、いち共産党贔屓人の今までの苛立ちを強調するため、わざとイヤミな言い方をすることを、私の了見の狭さだと思ってお見逃しください。この記事だけにしますので~~
~~そして共産党支持者にも、軽蔑するような人間も普通にいるということを、どうか当前だと受け止めてください。みんな自分のために、支持するのですから~~



 学者の街 支持率高いの なぜだろう (京都市の一部、左京区など)

 もう一句。

 山田○次、井上ひ○し、みんなバカ?


 センスと品の有無は、いちいち問わないで、言ったとおりの想像をしてみてください。

 これらの人々は、理想を追い求めるだけの、世間知らずだと思いますか?
 私は、学者以外の人より経験値に限って比べても、世間知らずだとは思わないし、真理を見抜く力は平均より勝っていると思います。
(↑この2文は分けないで下さい。意味が全く違ってきます↑。苦笑)

 そして、世間を知るのと同じ、もしくはそれ以上に、真理を考えることは大事だと思います。私が言っても説得力はないですが。

 それと、学者は「金儲け」をあまり考えていないという要因もあるんじゃないかな。
 

 あと、私が思うに、今の日本人の生活レベルでは、セーフティネットが拡充してもしなくても、頑張れる人は頑張るし、怠ける人は怠けると思います。
 人間にはもともと、知的探求心も向上心もあるし、名誉欲も競争心もあります。むしろ、多くの人の頑張りたいと思う気持ちを萎えさせる(環境的に無理な人もいる)社会であるほうが、問題だと思います。力が発揮できない人が増えるし、安全な社会にもならないでしょう・・
 
 そして、科学的社会主義~~共産主義の考え方は、世界レベルで学び、取り入れる価値があるものなんじゃないかな。。


 ※ しつこく言いますが、私の嫌味度と、日本共産党のそれとは一切関わりはございません。
(たまにこういうことを言いたくなるだけの部外者、ただの贔屓人です)

 ※ もし支持者に嫌味な人が多いとしたら、その原因は「失望」が招いたところも多いのではないでしょうか・・・
 
 最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。

共産党の役割は「人間教育」ではない

2009-06-05 | 橋下維新の会 ・地方政治 / 共産叩かれ記
 前回6/1の、共産党の体質 と言う記事で、
「共産党の体質(内部のいざこざがあるとかないとか)を気にする以上に、他の党にはない共産党の理念を、日本の標準・指標として浸透させるような、投票行動を考えることを大事にするべき」という意味のことを書きました。

 舌っ足らずな説明でも、お察しのよい方は、その言葉の表面には出ていない、私の考え方が伝わるかもしれませんが、
 肝心な表現を忘れていたように思います。

 (☆この太字部分の表現が誤解を招くという指摘を党員の方からコメント欄にいただきました。よって、この太字の部分を変更しました。そしてこれはあくまで私見です。)
 共産党の役割は、「社会の仕組みを整える」ことであって、「人間教育」のために活動するのではない
(党幹部がすべての党員の人格を把握・改善できるとも思えない)

  外部の人が、党員の方々に「人格者であること」を強要するのは不自然
 (党員個人の元来の性格は共産党が作るものではない、そして支持することは人格に関わらず、誰でもできるので、問題のある人がいる=共産党はダメと早合点するのは不自然)

 そして、党内、党員が起こした問題の源泉は、「人間の性+社会状況」であって、共産党の考え方や、教育方針の間違いではない
 と、私は言いたいです。



 これだけでは意図が伝わりにくいだろうと思うので、説明します。

 よく、接した共産党員の人柄が悪かったから、党を支持できないとおっしゃる方がいますが、
 共産党の党員たちの人格がどうであれ、
 それが嫌な人は、その近くに寄り付かなければいいのであって、
 ((勧誘が嫌なら、共産党関係の職場を選ぶのを避ければいいですし、
  考え方が合わないのに、まちがって党員になってしまっても、さっさと除名処分を受けるなり、自分から辞めるなりできる))

 嫌になった人がそこに関わり続ける必要はまったくないのです。

 そしてなにも、共産党関係者に睨まれたからって、国の基本的人権を奪われるわけでも何でも無いので、関わった人(加害者)が悪かったというだけの問題だと思うのです。

 もちろん党中央の理念的には、憲法の「基本的人権」を大事にするというものなので、(政府の改悪に反対するという行動も、それに則ってますし)、

 善良な党員はそれを守ろうとしますが、人間社会なので、人権をないがしろにするような行動がとられることは、共産党系団体だって、多かれ少なかれ発生するでしょう。



 そして、人権無視などと言われたりしますが、党の連帯のために「党が処分する」という場合は、それは「党に支障がある行動をしないように指導する」「除名する」というだけであって、
 その指導・指令で嫌気がさした場合は出て行けば問題ないですし、

 その上で、もし「事件」になるような問題があったのだとしたら、他に助けを求めればいいのです。

 ここまで読まれた方で、「支持者の開き直り」と思われる方もいらっしゃるでしょうが・・・もう少しお付き合いを。

 
 私は内部のことはよく分かりませんが、共産党のように、世の中を良くしようと躍起になっている人が集まりやすいところなら、「考え方の合わない人、自分達のしようとしている事を分かってくれないと思う人を排除したくなるという人たち」も、中にはいるのは、自然なことでしょう。(もちろん、間違った考えではありますが。)

 何せ、「自分達は正しいことをしようとしているのに」と、多かれ少なかれ被害者意識を持つ人が多いので(私も含めてね、笑)、その内心は変えるのが難しいかもしれない。


 そういうことを、反共の人は「党の考え方がおかしい」「あんな、言ってることとやってることが違う団体が信用できるわけがない」と捉えるのでしょうけど、

 私から見ると、それらの問題は「人間の性」+「社会の状況」が作り出すものであって、共産党の考え方自体が作り出すものではないと思うのです。



 私が、問題を起こすような共産党員の思考回路を想像するなら、

 「世の中を良くしようと願っている」→ 「くそ真面目。ときに、人の都合より目的達成が最優先で迷惑をかけていることに気付かない」

 もっと悪い場合では、

 「世の中を良くするだろう活動をしているという自負がある」→「思い上がり、自分が認めない奴はどうなってもいい」

 中にはこういう人もいる、色んな人がいるでしょう。

 (ちなみに、共産党員になるのには、ただ署名して、わずかな党費を自己申告で払うだけなので、はっきりいって、人情だけで入る人も多いです。)

 
 でも、そういう人がいたからといって、党の理念が覆るわけではありません。

 こういうと、「党の幹部たちは、えらそうな理念を言う割には、共産系社会で起こった問題に対して責任を取ろうとしないし、中央だって、それを見逃してやってるではないか」
 と言われると思いますが、


 私から見ると、「それも人間の性+社会の状況」であって、党幹部団体だって、中央だって、
「自分達は正しい仕組みの世の中を作ろうとしているのだから、末端・中間管理職の党員たちが血迷って問題を起こしたとしても、それはその中で解決してほしい、自分達は党拡大のためにやることがいっぱいあるから全部感知できないし、人間関係で起こった問題を、「党の問題」としないでもらいたい」

 という不可抗力的放任に、結果的になってしまう(仮)としても、それは分かるし、

 「それを「党の問題」として外部に漏らす人を、「党の不利益になることをした」として、「除名処分」にする」

 という考えに至るのも理解できます。


 要するに、冒頭で言った、

 共産党の仕事は、「社会の仕組みを変える」ことであって、「人間の教育」ではない
 (有権者の信頼の為に、党員の教育も重視はするが、教育自体が目的ではない)
 ということだと思います。


 例えば、法律の中身がおかしければ、社会はおかしくなる。
 法律が優れていれば、社会秩序が保たれやすくなる。
 「理念」を優先するのは、それと同じ考えからだと思います。


 だから私は、共産党の「理念」を広めるべきだと言いたいのであって、
 「共産党や、支持者を信じろ」と言いたいわけではないのです。

 なんだったら、本当に変な奴「ばっかり」な団体なら、後で壊してもいいと思いますよ(笑)
 私にとって、多くの支持者にとって、「社会の仕組み」さえ整えば、何も困ることはないはずですから。
 
 そして、共産党の内部活動に不信感をもつ人は、なんだったら、選挙に行く時は、「共産党の発展」じゃなく、「社会の仕組みの是正」を目的に、投票行動をすればいいと思います。

 
 政策や理念は、政治家しか変えられないし、作れません。(だから、政策重視で慎重に)
 でも、そこから先は、国民全体の性質(行動)で決まることです。
 国民ひとりひとりの性質の根本は、どこの政党が政権を握ったって、変わらないのだから、洗脳さえされなければいいのです。
 日本人は、経験・知識を積んでいるので、そこまで従順ではないでしょう・・・
 
 

 ~~共産党、みんなで入れれば(投票すれば)恐くない~~

 一人でも、恐くないですが(笑)
 きっといろんなことがいい方向に動きます。
 民主国家である限り、変な体制に動きそうなら、即引きずり降ろせばいい(笑)
 
 
 ~~多勢なら、体質なんて 関わらない~~

 多勢なら、「共産党の体質」ではなく、「国民の体質」になりますから。
 なんだったら、そうなってから、気にくわない方は党中央の編成を変えるように働きかけてください(笑)


 いつも、拙い表現ですみまちぇん。

  ↓↓コメント欄に、この記事に対する党員の方の見解があります。