ついでに言うと、山本薩夫監督も共産党員だそうですが。山崎豊子の白い巨塔も・・反体制映画をよく撮った人。
今井正監督と同世代で、2010年に生誕100年記念番組(NHK 2010年8月)があったそうです。
では、しんぶん赤旗1月17日文化面より。
1月8日は今井正監督の100回目の誕生日だった。
1939年に
「沼津兵学校」でデビューして、91年に
「戦争と青春」を撮って亡くなった。52年間に47本の作品を残した。
私は55年、定時性高校生のとき、地方の交響楽団が自分たちの音楽を続けていく
音楽映画「ここに泉あり」に感動した。
聴衆のあり方にがっくりした団員たちに女の子が一輪の花をそっと差し出す。白黒画面にそれが赤く見えた。今井正の映画は野に耐え咲く花だと思った。
「にごりえ」で3人の女の生き様に明治という時代を知った
。「真昼の暗黒」。刑事の暴力的取調べ。無実を主張する青年の最後の叫びに涙があふれた。
裁判進行中の事件に正義を求める日本映画の勇気を見た。
戦時・現実・封建 作品に描き続け
「また逢う日まで」のガラス越しのキス・シーン。愛するものを断ち切る戦争の冷酷さを感覚的に表していた。
「ひめゆりの塔」は女学生たちの未来が奪われていく姿に沖縄戦の無残さをリアルに告発した。
「純愛物語」は、原爆症に引き裂かれていく少年少女の純愛に引きつけられて封切館から三番館まで追いかけて見た。
「キクとイサム」では黒人兵との混血姉弟に戦争の傷跡をとらえ、人種差別とそれをかばう祖母の愛情に泣かされた。
「男はつらいよ」の渥美清が製作・主演した
「あゝ声なき友」は、生き残った元兵士が戦友の遺書を遺族に配達する行為をとおして戦後になっても戦争は終わっていないと主張する。遺作
「戦争と青春」で東京大空襲のあの日と現代を結びつけ、忘れてはならないことを訴えた。
現実描写は、
「青い山脈」で戦後の開放感をうたいあげ、
”民主主義の教科書”とまでいわれた。
レッドパージが吹き荒れる中で、共産党員として前進座と組んで撮った「どっこい生きてる」は、独立プロ映画運動のさきがけとなる。
「山びこ学校」で山村児童と教師が貧乏をなくそうと考え、
「米」で農村女性が働いても貧困が覆いかぶさってくる現状を切なくとらえた。また、北林谷栄、ミヤコ蝶々、東山千栄子たちの喜劇
「にっぽんのお婆ちゃん」は面白く悲しく老人問題を早くも現代に突きつけた。
封建時代ものはまず
「夜の鼓」。不義をした妻を斬った武士が、妻の相手をも討つむなしさ。中村錦之助の「武士道残酷物語」と「仇討」がともに壮絶。
「武士道~」は7代にもわたる主君と侍との非情関係をとらえ、
「仇討」は武士道という形の殺し合いをあばく。
「婉という女」は藩命で40年も幽閉されて耐える一家の生死と女の根強さを描いた。
”民衆は死なず” 信念にあふれて
このほかに大作
「橋のない川」がある。未開放の一家の子どもから青年までに加えられる差別の数々。「差別を生み出す社会を憎み怒りを燃やしてこれを打ち破りたい」という迫力で、監督は暴力的上映妨害とたたかった。
今井正監督はずっと弱者を描いた。とりわけ子ども、女性、老人たちを見つめる。それに襲い掛かる戦争、圧力、暴力、差別を激しく静かに否定した。貧乏でつらい現実を描く社会派監督であり、格調高い演出としみるような叙情タッチで、ベスト1監督として日本映画をリードし高めた。
74年2月、映画
「小林多喜二」の撮影中の今井監督にインタビューした時、「何か暗い印象を突き破ったような明るさの映画にしたいと思いますね」といった。この言葉は今井作品全体に脈打っている。たとえ追い詰められても民衆は死なないという信念にあふれている。
1月23日から東京で生誕100年の回顧上映が始まる。今の時代だからこそ今井正の映画を多くの人々に見ていただきたい。(いしこ・じゅん)
ー東京・銀座シネパトス = 1月23日~3月2日 「生誕百年 今井正監督特集第一部」
大阪・シネ・ヌーヴォ = 上映中。1月27日まで。 「生誕百年記念、巨匠・今井正の世界」
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同日同面の~朝の風~より。
作曲家の林光さんが1月5日に亡くなったことが報じられた。
林さんで思い出すのは、”たたかいのなかに 嵐のなかに 若者の魂は鍛えられる”と歌いだされる「たたかいの中に」の歌だ。1952年の
メーデー事件で警察隊に射殺された東京都職員の高橋正夫さんの詩を作曲したものだが、時代に真向かって生きようとする若者の心情が、美しく響く。
(中略)
最近は、聞く機会が少なくなったように思うが、若者に歌い継がれてほしい歌の一つである。
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2011年12月20日の~朝の風~
<芸術家の良心は暴力で踏みにじれない>
こう題された映画監督・今井正の手記が1974年12月の「赤旗」に載っている。
今井監督は、いわれなき差別に苦しむ部落住民の水平結成に至る姿を「橋のない川」(第1部・69年、第2部・70年)で描いた。
この製作・上映に、「解同」朝田派(当時)が暴力的脅迫を交えた理不尽な”差別映画”攻撃をし、妨害に告ぐ妨害を重ねたが、監督はそれに対し徹底的に抗し抜いた。
手記は、監督の不屈性を伝える貴重な記録であり、映画と共に日本映画史に刻まれる。
本紙で今井監督の映画人生の回顧「悔いなし映画人生」を連載したのは89年。その取材の折、「『橋のない川』についてだけはよくがんばったという気がする」と語っていた。自己評価の厳しい監督の言葉であるだけに心に深く残った。
この連載では、戦前「戦争協力映画」をつくらざるを得なかったことについて、率直な自省も語られている。
監督は、47年に日本共産党に入党。戦後、叙情性をたたえた、反戦、ヒューマニズムの数々の名作を送り出した土台にあるものを考えさせられる。
1作ごとにたたかい続けた映画人生。 その結晶の作品群に生誕百年記念の上映で出会えるのがうれしい。(響)
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ついでに、
2012年1月22日、
八王子市長選挙は、投票率は34,95%・・。
候補者は3名。
黒須隆一現市長の後継者の石森たかし孝志候補が当選。得票率48,05%。
もろずみみのる(両角穣)候補が得票率40,55%、峰岸ますお益夫候補が11、40%でした。
現市長は、八王子駅南口再開発に何百億円も税金を使いながら、放射能測定器購入の25万円を出さないなどなど散々で、後継者の支持率もだいぶ下がったそうですが、競ったのはみんなの党などから支援されるあまり変わらなさそうな両角氏で、「市民の手で市長をつくる会」が擁立、日本共産党推薦の峰岸ますお候補は例によって惨敗。
吾輩、選挙受付のバイトをしてきました。なぜか派遣H社でですが・・・なんで派遣なんでしょうねぇ。わざわざ登録させて頂きましたがにゃぁ。