本事業は皇太子の御成婚を記念し
国内の青年たちに国際交流で視野を広め、本事業に参加後は地域等でリーダー的存在になり、活動してもらう事等を目的に行われているようです。
私は、昭和51年10月にアメリカ、カナダを視察交流する[短期北米班]に参加し各1週間ずつ、貴重な体験をして来ました…
因みに私達の頃の事業は、現在の天皇陛下が皇太子時代に御成婚成された記念事業でした。
県内から一名だけ採用で、受験者は約30名の中、県庁や市役所教員などの中で、英会話が出来ない私が受かる確率はゼロを覚悟していたものの、なんと合格でした。
この事から私はなにごとにも諦めない、チヤレンジ精神が生まれました。
青年の皆さん、海外交流に興味のある方は是非応募してみませんか!!
子どもたちの成人式に ワクワクしながら参加しましたものです。
子供らも久しぶりの同級生との再会や恩師の
先生、タイムカプセルを開ける楽しみだったでしょうね・・
何年前の成人式だったかな・・・来年は末っ子の成人式だ(^-^)
■タイムカプセル
■中身はお酒やランドセルなど色々・・
■久しぶりの再会・・夜の祝賀会
平成生まれの児童達の小学校卒業生恒例の
歩行会・・・今頃 何歳になっているのかなぁ
■ポスターで自分たちを元気づける
■元気に歩く子どもたち
■校長先生も元気に・・
■お母さんたちも劇よく・・
■ランチタイム
■ゴール後は・・・親はこのとおり
■お汁粉が美味しい
昭和58年に 「花」を核として産業・観光等に取り組む
自治体で フラワー都市交流連絡協議会が発足
■最初は3市1町で始まる
今朝は青空が広がりいいお天気になりそうです!!
室内温度は14℃、室外温度計は13℃です。
今日から1週間の始まり、そして2月最終の週になりますね…
1日1日が大事な今週です!
平成3年5月和泊町は、町制施行50周年を迎えました。
県警察音楽隊カラーガードなどによる市中レードや
町おこし援歌歌手による わどまり音頭や花恋慕などが披露されました。
■式典
■市中パレード
■熱唱する嶺 陽子さん
7期の長期にわたり和泊町の産業基盤の復興・振興や
教育文化の振興等寄与された武田恵喜光町長から、
泉 貞吉氏へと 町政がバトンタッチされました。
泉町政で和泊町の農業は更に急速な発展を遂げた。
泉氏は、長い町議会議員生活の中 副議長や議長の要職を経て
昭和60年の町長選に初出馬 無投票当選。
以来、5期連続無投票当選で20年間の和泊町政に尽力された。
■1985年、昭和60年に町政をバトンタッチ
写真左が 泉 貞吉新町長 右は7期町長を務めた武田恵喜光町長
■初めて当選証書付与式にのぞむ泉 貞吉 新町長
■泉町政のシンボルでもある「農業振興」の実験農場(平成2年)
■社会福祉の充実にも尽力(和泊町社会福祉センター建設)
そして・・・泉町長引退後は伊地知実利氏が町政を引き継いだ。
昭和52年9月9日発生の沖永良部台風被害・・・
観測史上初の超大型台風と言われ 当時の気圧観測
計器類は壊れてしまい正確な数値は どうなんだろう・・
■倒壊した民家
■電柱はほとんどが倒壊し車両通行が不能に・・
■和泊中学校の体育館もメチャメチャに
■風速70Mに耐えられる設計の役場
無線鉄塔も無残な姿に また風速80M
に耐える設計の沖永良部警察鉄塔も倒壊
このような、悲惨な台風被害時に復旧活動で
活躍したのが 自衛隊でした・・
また、全国から多くの支援物資や義捐金が送られ
救助の手が差し伸べられました。
沖永良部島の防災意識は、この沖永良部台風
(台風9号)を境に変わり官民一体となった防災の
町づくりが始まりました・・・
大山の自衛隊基地は 資料によると太平洋戦争末期の
昭和19年に陸軍沖永良部守備隊(1個大隊/越山)から
1個小隊が大山地区に駐屯、海軍電探舞台(1個小隊)が展開し
昭和25年11月に、米軍通信部隊が移住したようです。
そして、昭和28年に奄美群島が日本に復帰、29年に米軍が
レーダーサイトとして運用開始に至っているようです。
昭和47年沖縄が日本に復帰。第55警戒群編成・・・現在に至る。
以上、変遷について補足しておきます。