平成3年5月和泊町は、町制施行50周年を迎えました。
県警察音楽隊カラーガードなどによる市中レードや
町おこし援歌歌手による わどまり音頭や花恋慕などが披露されました。
■式典
■市中パレード
■熱唱する嶺 陽子さん
平成3年5月和泊町は、町制施行50周年を迎えました。
県警察音楽隊カラーガードなどによる市中レードや
町おこし援歌歌手による わどまり音頭や花恋慕などが披露されました。
■式典
■市中パレード
■熱唱する嶺 陽子さん
7期の長期にわたり和泊町の産業基盤の復興・振興や
教育文化の振興等寄与された武田恵喜光町長から、
泉 貞吉氏へと 町政がバトンタッチされました。
泉町政で和泊町の農業は更に急速な発展を遂げた。
泉氏は、長い町議会議員生活の中 副議長や議長の要職を経て
昭和60年の町長選に初出馬 無投票当選。
以来、5期連続無投票当選で20年間の和泊町政に尽力された。
■1985年、昭和60年に町政をバトンタッチ
写真左が 泉 貞吉新町長 右は7期町長を務めた武田恵喜光町長
■初めて当選証書付与式にのぞむ泉 貞吉 新町長
■泉町政のシンボルでもある「農業振興」の実験農場(平成2年)
■社会福祉の充実にも尽力(和泊町社会福祉センター建設)
そして・・・泉町長引退後は伊地知実利氏が町政を引き継いだ。
昭和52年9月9日発生の沖永良部台風被害・・・
観測史上初の超大型台風と言われ 当時の気圧観測
計器類は壊れてしまい正確な数値は どうなんだろう・・
■倒壊した民家
■電柱はほとんどが倒壊し車両通行が不能に・・
■和泊中学校の体育館もメチャメチャに
■風速70Mに耐えられる設計の役場
無線鉄塔も無残な姿に また風速80M
に耐える設計の沖永良部警察鉄塔も倒壊
このような、悲惨な台風被害時に復旧活動で
活躍したのが 自衛隊でした・・
また、全国から多くの支援物資や義捐金が送られ
救助の手が差し伸べられました。
沖永良部島の防災意識は、この沖永良部台風
(台風9号)を境に変わり官民一体となった防災の
町づくりが始まりました・・・
大山の自衛隊基地は 資料によると太平洋戦争末期の
昭和19年に陸軍沖永良部守備隊(1個大隊/越山)から
1個小隊が大山地区に駐屯、海軍電探舞台(1個小隊)が展開し
昭和25年11月に、米軍通信部隊が移住したようです。
そして、昭和28年に奄美群島が日本に復帰、29年に米軍が
レーダーサイトとして運用開始に至っているようです。
昭和47年沖縄が日本に復帰。第55警戒群編成・・・現在に至る。
以上、変遷について補足しておきます。
祝賀会海上のロビーには 多くの写真が展示されていました。
米軍時代の写真、そして自衛隊に引き継がれてからの変遷・・・
■大山分屯基地の変遷の写真パネル
■米軍管理下時代の写真
■立食での祝賀会
■約6時間の取材と式典等に参加した2人・・・お疲れ様でした
・・・以上で、昨日行われた大山自衛隊基地(沖永良部島分屯基地)
開庁40周年の紹介を終わります。
この日は、沖縄の南西航空音楽隊の皆さんが
ヘリコプターによる日帰り演奏会で、開庁40周年
記念式典に華を添えました・・
■演奏中の音楽隊
■取材中のサンサンテレビ、森田カメラマン
■演奏に聞き入る皆さん
この日は沖縄の那覇基地所属第83航空隊の
祝賀飛来もあり基地上空を2周して開庁40周年に
華を添えました・・・沖縄まで約10分で到達するそうです。
■新隊庁舎屋上からは360℃の大パノラマ・・
晴れた日には徳之島・与論・沖縄が望めるそうです。
島の新しい観光スポットとしても活用できそうですね・・
(写真は徳之島方面)
(写真は沖縄県伊是名島方面)
■戦闘機の飛来を待つ皆さん
■待つ間に記念写真のご婦人たち
■戦闘機が飛来・・
■次の取材・祝賀演奏会場に向かうサンサンテレビカメラマン
新隊庁舎落成記念式典も同日に挙行されテープカットの儀式がありました。
■テープカットに並ぶ皆さん
■自民党鹿児島2区選出の徳田毅代議士ら来賓の皆さん
■無事テープカットが終了
■緑色の隊庁舎と空の雲、青空のコントラストがマッチ
■新隊庁舎全景
式典では沖縄基地の幹部や音楽隊が来島しました。
また、来賓には 自民党鹿児島2区選出の徳田毅代議士と
自民党比例全国区選出の参議院議員も来島し 式典を
祝いました。
式典では これまで大山分屯基地に功労があった皆さんに
感謝状が贈られました
■式典では 国家君が代の斉唱
■来賓(左から・・徳田代議士、元自衛官の比例選出参議院議員
平安知名町長、伊地知和泊町長)
■壇上に向かって整列する自衛隊員
■感謝状贈呈
沖永良部島の大山自衛隊基地は 日本が太平洋戦争で敗戦し
米軍統治下におかれ そのあと南西諸島周辺の重要基地として
米軍が精鋭のレーダー基地を整備。
その後、奄美群島が日本に復帰したあとも 大山基地は米軍が
継続使用・・・
そして沖縄返還後 昭和48年1月1日から日本の自衛隊にと
基地機能が引き継がれたようであります。
今年は、航空自衛隊南西航空・沖永良部島分屯基地40年の節目
にあたり記念式典が盛大に開催されました。
合わせて、隊員の宿舎も米軍時代の建物を引き継いでいたが
このたび新しく建て替えを行い、隊員のプライベートタイムも数段
快適になることでしょう・・
今日は このあと 式典等の様子を写真でご紹介します。
おはようございます。
前日 前前日と飲み会等で遅くまで起きていたのに
今日は何故か早く目がさめてしまいました・・
時計を見たら まだ5時過ぎ・・外は真っ暗ですので
2度寝します・・・北海道・関東・関西方面の
夜明けって何時くらいなんでしょうかね・・
起きたら 又沖 永良部情報投稿いたします。