夏期講習の最終日に今年の愛知の公立入試の国語の問題を解いてもらいました。
国語の読解、みんなどこでつまずいているかというと
「読んでない」
の一言に尽きます。
いや、ちゃんと「読んでいる」
って反論する人がほとんどでしょうけど、
「ちゃんと」っていったいどういうことを指すんでしょうか?
今年の愛知県の公立入試の国語の第1問の(2)から
(原研哉『低空飛行-この国のかたちへ』による)
人が本来持っているはずの自然や環境への感受性
とあるが、その説明として最も適当なものを選ぶ問題を例に紹介します。
「ちゃんと」読むということは、この一文から何を読みとれるかということです。
どの選択肢にも「自然や環境」というワードが入っていますから、それ以外の部分で判断しなければいけません。
まず、文末の「感受性」に着目します。
感受性とは?
文字通り、感じとり受け止めること。
それぞれの選択肢を見ていくと、
ア.気づく力、イ.感じ取る力は、どっちも合っている感じがするので判別が困難です。
が、少なくとも、
ウ.予測する力、エ.取り除く力は、消えます。
高速で消えます。
ウ.やエ.を選んでいる子は、本文どころか、そもそも設問すら読んでいない子です。
この時点で、四択を二択にまで絞り込むことができます。
国語の場合、ほとんどがこのレベルなので、実は五分五分のレベルで点数がとれます。
それ以下しかとれない子は、そもそも読んですらないのです。
さて、この問題、正解がア.かイ.かこれだけでは判断できません。
だから、次に「人が本来持っている」という部分に着目します。
ここを(まるで妄想のように)、勝手に「人の活動が」と解釈してしまう子も少なくありません。
結果的に、イ.が正解ですが、「根拠は?」と言われて答えられる子はそう多くはありません。
勘じゃなく、ちゃんと正解の根拠も答えられて初めて正解です。
実は本文の二行目に、
「生きて活動するということは、環境に負荷をかけることだと、人はたぶん本能的に自覚している」
とあります。
ここ、重要だから線を引いておくように!
って、われわれは指導します(笑)。
アニメなどの授業場面ではよくあるシーンですが、残念ながら学校でこのように教えることはまずないでしょう。
それくらい、今は「正しく読む指導」というのがなされていないのが実態です。
さて、この部分、適当に読んでいると見逃しがちですが、国語が苦手な子は次のように読んでいます。
本文:生きて活動するということは、環境に負荷をかけることだと、人はたぶん本能的に自覚している
選択肢のエ:人の活動が自然や環境に与えている負荷をすぐに取り除く力
(う~ん、たぶんこれかな)
と、一致する単語の数が多い選択肢を、勝手に!妄想で!適当に!根拠=オレ!と正解と思いこんで答えてしまうのです。
つまり、読んでいないんです!
与えられたものをかまずに飲み込んでしまうように、そもそも読んでいないんです。
ここで、一歩立ち止まって考えてみると、
人が本来持っている
ってどういう意味ですか?
・
・・
・・・
生まれつき
とか
先天的な
とか
そんな意味ですよね。
本文にそんな言葉が書いてありませんでしたか?
そう、冒頭の部分にありました。
「本能的に」です。
つまり、
人が本来持っている=本能的に
という言い換えなのです。
一つの段落で言いたいことは一つですから、だらだら長い第一段落も、
結局は、はじめ、なか、おわりの、「はじめ」と「おわり」で同じことを少し表現を変えて、くり返し主張しているのです。
ここまで国語の問題のつくりがわかれば、もう楽勝です。
あとは、イ.の選択肢の文末を読めば、「感じ取る力」ってちゃんと書いてある。
もう、文句なくこれが正解です。
ア.の気づく力を「感受性」かどうかで迷っていると、えいやーの二択で外す羽目になります。
選択問題は、消去法で選択肢をなるべく絞り込んで、最後に本文と照らし合わせて正解を見つけるのがセオリーです。
まさにおあつらえ向けの問題ですが、
「人が本来持っている=本能的に」
という部分まで、読みとれて初めて読解です。
それをやっていない子は、そもそも文章を読んでいないのです。
だから、国語で点が取れないし、読み飛ばすことによるデメリットは他の教科にも波及しているはず。
これでは入試のような一発勝負では安定して得点できませんし、そもそも進学校の勉強についていけない可能性大なのです。
■江南ネクサスの空席状況をチェック
・学年ごとの曜日・空席状況がチェックできます
国語の読解、みんなどこでつまずいているかというと
「読んでない」
の一言に尽きます。
いや、ちゃんと「読んでいる」
って反論する人がほとんどでしょうけど、
「ちゃんと」っていったいどういうことを指すんでしょうか?
今年の愛知県の公立入試の国語の第1問の(2)から
(原研哉『低空飛行-この国のかたちへ』による)
人が本来持っているはずの自然や環境への感受性
とあるが、その説明として最も適当なものを選ぶ問題を例に紹介します。
「ちゃんと」読むということは、この一文から何を読みとれるかということです。
どの選択肢にも「自然や環境」というワードが入っていますから、それ以外の部分で判断しなければいけません。
まず、文末の「感受性」に着目します。
感受性とは?
文字通り、感じとり受け止めること。
それぞれの選択肢を見ていくと、
ア.気づく力、イ.感じ取る力は、どっちも合っている感じがするので判別が困難です。
が、少なくとも、
ウ.予測する力、エ.取り除く力は、消えます。
高速で消えます。
ウ.やエ.を選んでいる子は、本文どころか、そもそも設問すら読んでいない子です。
この時点で、四択を二択にまで絞り込むことができます。
国語の場合、ほとんどがこのレベルなので、実は五分五分のレベルで点数がとれます。
それ以下しかとれない子は、そもそも読んですらないのです。
さて、この問題、正解がア.かイ.かこれだけでは判断できません。
だから、次に「人が本来持っている」という部分に着目します。
ここを(まるで妄想のように)、勝手に「人の活動が」と解釈してしまう子も少なくありません。
結果的に、イ.が正解ですが、「根拠は?」と言われて答えられる子はそう多くはありません。
勘じゃなく、ちゃんと正解の根拠も答えられて初めて正解です。
実は本文の二行目に、
「生きて活動するということは、環境に負荷をかけることだと、人はたぶん本能的に自覚している」
とあります。
ここ、重要だから線を引いておくように!
って、われわれは指導します(笑)。
アニメなどの授業場面ではよくあるシーンですが、残念ながら学校でこのように教えることはまずないでしょう。
それくらい、今は「正しく読む指導」というのがなされていないのが実態です。
さて、この部分、適当に読んでいると見逃しがちですが、国語が苦手な子は次のように読んでいます。
本文:生きて活動するということは、環境に負荷をかけることだと、人はたぶん本能的に自覚している
選択肢のエ:人の活動が自然や環境に与えている負荷をすぐに取り除く力
(う~ん、たぶんこれかな)
と、一致する単語の数が多い選択肢を、勝手に!妄想で!適当に!根拠=オレ!と正解と思いこんで答えてしまうのです。
つまり、読んでいないんです!
与えられたものをかまずに飲み込んでしまうように、そもそも読んでいないんです。
ここで、一歩立ち止まって考えてみると、
人が本来持っている
ってどういう意味ですか?
・
・・
・・・
生まれつき
とか
先天的な
とか
そんな意味ですよね。
本文にそんな言葉が書いてありませんでしたか?
そう、冒頭の部分にありました。
「本能的に」です。
つまり、
人が本来持っている=本能的に
という言い換えなのです。
一つの段落で言いたいことは一つですから、だらだら長い第一段落も、
結局は、はじめ、なか、おわりの、「はじめ」と「おわり」で同じことを少し表現を変えて、くり返し主張しているのです。
ここまで国語の問題のつくりがわかれば、もう楽勝です。
あとは、イ.の選択肢の文末を読めば、「感じ取る力」ってちゃんと書いてある。
もう、文句なくこれが正解です。
ア.の気づく力を「感受性」かどうかで迷っていると、えいやーの二択で外す羽目になります。
選択問題は、消去法で選択肢をなるべく絞り込んで、最後に本文と照らし合わせて正解を見つけるのがセオリーです。
まさにおあつらえ向けの問題ですが、
「人が本来持っている=本能的に」
という部分まで、読みとれて初めて読解です。
それをやっていない子は、そもそも文章を読んでいないのです。
だから、国語で点が取れないし、読み飛ばすことによるデメリットは他の教科にも波及しているはず。
これでは入試のような一発勝負では安定して得点できませんし、そもそも進学校の勉強についていけない可能性大なのです。
■江南ネクサスの空席状況をチェック
・学年ごとの曜日・空席状況がチェックできます