夫出勤の祝日の今日、
私と子どもたちで久しぶりに私の実家を訪れました。
というのも、夫に
「あなたのお父さんとお母さんのほうはいいの?
ちょっとは連絡とったほうがいいんじゃないの?」
といわれたから・・・
「ん~、そのうち電話でもしとくから・・・」
とはいったのですが、便りのないのはよい便りとばかりに、
電話をかけてもなかなかつながらないのがうちの家
私も週末毎にずっと予定があって、
ようやく空いていたこの日に実家にお邪魔することにしました。
毎年、年末か年始あたりには、
クリスマス会なり忘年会なり新年会なりで、
親族で集まるのがうちの家。
夫にも「今年はどうするの?」と聞かれていたのですが、
今年は弟のところに3人目が生まれる予定で、
予定日がちょうどクリスマスあたりだったのもあって、
今年は親族で集まる予定もありませんでした。
(姪っ子は無事、12月19日のキャンドルナイトの日に産まれました☆Welcome~
)
今年、うちの父は脳梗塞で倒れ救急車で運ばれました。
2回目だったのもあって、かなり危ない状態で一時は覚悟もしました。
今も左半身の麻痺は残っていますが、
リハビリの病院も退院でき、自宅へ戻ってこられたのはひとつの奇蹟だと思っています
とはいっても、車
も手放した実家では、
補助の必要な父を連れて、我が家まで来てもらうのも難しく、
それならば、子どもを連れて会いに行こうと思ったのです。
いつも実家へ行くときは車を使っていたため、
実家へ私と子どもたちだけで行くのはこれで2度目。
電車とバスを乗り継いで片道1時間半かかる道のりは、ちょっとした旅です。
子どもたちにとっては、バス
に乗ることも、見知らぬ風景も、
こたつがあること、色のない写真があることも、何もかもがとても新鮮なようです。
実家の近所の公園を、
「ママ!こないだカラスの羽根を見つけた公園だね♪」と覚えていたのには驚きました。
花が学童のクリスマス会の出し物でジャグリングをするらしく、
お手玉を練習していたので、
「それだったら、ばぁばに教えてもらったら?」といったら、
ばぁばに教えてもらうのをとても楽しみにしていました。
孫に頼りにされた母は張り切って花に教えてくれていました。
日露戦争をモチーフにした数え唄を花に教えてくれることは想定外でしたが{
(注:もちろん母はその時代に生きていたわけではありません
)
花は妙にその歌を気にいって、
「覚えたいから、もう一回教えて!」と
メモを借りて、一生懸命歌詞を書いていました。
帰りのバスの中でも、そのメモを取り出して復習していました。
以前の私だったら、
「そんなこと教えないで!」
とキツイことを母にいってしまっていたかもしれません。
(「東郷大将って誰?」とか、「ママは日本とロシアとどっちが好き?私は日本が好き。
“日本の兵は死んでも尽くす”けど“ロシアの兵はさっさと逃げ”ちゃうんでしょ」
というような発言を花がしたので、家庭でのフォローが必要ですが
どんな数え唄やねん!って感じですよね
)
今回はなんだか、それはそれ。母の生きてきた道、通ってきた道と、
すんなり受け入れることができたことで、
私自身の心のキャパが大きくなったことを感じました。
ひとまず「クリスマス会ではその歌を歌ってお手玉はしないほうがいいと思うよ」と
いっておきましたが。
子どもってなんでも素直に吸収してしまいますね。
この数え唄も当時の思想教育が受け継がれているのひとつの形なのでしょう。
モノのない時代を生きてきている母なので、
そういった歌も年配の方に教えてもらった貴重な遊びのひとつだったのかもしれません。
学びの機会や、子どもとそういう問題を考える機会をもらったと思えばいいですもんね。
そうかと思うと子どもたちは、
父のリハビリのために用意してあったパズルを一緒にしたりもしていました。
風が父に、
「じぃじ、手ぇ出して。」
というので何だろう?と思ってみていると、
「風くんの手、ぎゅっとしてごらん?」
「マッサージしてあげるね。」
と、なんとリハビリのお手伝い?をしているのです。
父も風にいわれると、まだ力の入りにくい左手を頑張って動かしていました。
「じぃじ、ちから強くなったね。」
と、ちゃんと承認
も忘れない風です。
父がトイレに立つ時も、
「じぃじ、こっちだよ」と手を引いてあげていました。
その優しさに感動!
「風は優しいね。じぃじも助かったと思うよ。じぃじのお役に立てたね」
というと、嬉しそうにしていました。
こういう気持ち、ちゃんと見ていて育ててあげようと思いました。
そういえばバスの中でも、最初一人席に座っていた風ですが、
「バスが混んできて、おじいさんやおばあさんが乗ってきはったら、
風くんはママのお膝にのってね。」といっておいたら、
風の横におばあさんが立たれたときに、
「風。」と声をかけると、すとんと席を降りて、
後ろに座っていた私の席まですんなりきてくれました。
“えー、なんでぇ?ひとりで座っときたい!”
“ママが立ったらいいやん!”
といわれるかな?とちらっと思っていたのですが、
私が思っているよりずっと、風の心は育ってきていたようです。
いつも一緒にいるのに、意外と気がつかないものですね。
帰り際には、花も風も
「帰りたくない!泊まっていきたい!」と言い出すくらい、
じぃじとばぁばの家が気にいったようです。
父と母も久しぶりに孫の顔を見ることができて、嬉しそうでした。
“ママが子どもの頃住んでいたおうち
”を訪ねることは、
子どもたちが自分のルーツを訪ねることと同じですね。
多分、夫の一声がなければ、
行動に移せていなかったかもしれないし、
電話で済ませていたかもしれません。
今回のきっかけをくれた夫に感謝です