日の本の下で  究極の一点 Ⓢ への縦の道

『究極の一点』Ⓢ 
神のエネルギーの実在を『フライウェイ』の体験を通して知り、
伝えるデンパ(伝波)者

人さらいと、 危機回避能力

2014年07月24日 | 日記

変な話です。  真面目な方はスルーして下さい。

 

夏休みに入り、外で近所の小学生とすれ違うと、

男の子も女の子も向こうから「こんにちわ」と挨拶をしてくれる。

地元の小学校の方針なのだろうが、

昔は当たり前であった事が、

小学生を誘拐して監禁をするような輩がいるご時勢では、

うれしさと共に、少し心配もしてしまう。

 

私の子供の時代は

まだ躾のたとえ話に「人さらい」が当たり前に登場した。

知らない場所や暗くなるまで遅くまで遊んでいて家に帰ると、

母に決まって、「そんな子は人さらいがすぐに連れていってしまうから。」

と言われて怖かったものだ。

そして「人さらいに捕まったらすぐに遠い国に売られてサーカスなんかで

奴隷のように働かされる。」と追い討ちをかけられた。

 

子供が早く死ぬのは戦前ではごく普通の事であった。

親の世代は、形はちがっても子供がいくらでもそのような不注意で

早く死ぬ事を身に染みて知っている世代であるから、

しゃべるせりふも真実味があった。

 

ある時地元の街にサーカスが来た。

木下大サーカスであったか何であったか忘れてしまったが、

子供たちはもう大騒ぎであった。

 

サーカスの興業も当時けっこうな値段であったのだろう。

私は親に一度はねだったが連れて行ってはくれなかった。

 

しかし普段から、サーカスは人さらいにさらわれた子供たちの

売られてゆく先だと思っていたので、心のどこかでほっとしていた。

私はその代わりにサーカスの興業の間は、

テント小屋の外を歩いている団員さんを見に行くのが日課になっていた。

 

「この人たちも人さらいに攫われて、売られてきたのかなぁ。」と

勝手に思い込み、かわいそうなのと怖いのがまぜこぜになったような気持ちで

団員さんが歩く姿をなるべく気づかれないように盗み見るようにしていた。

そしてサーカスが街を去ってゆくと、どこかホットした気持ちになったのだった。

 

昔はそんな話でも子供たちにもちゃんと効果があったのだ。

 

私の子供の頃はまだ田舎なので、街灯も市街地の一部しかなく

ちょっと田んぼのほうにゆけば人工的な明かりはいっさいなかった。

当然日が暮れれば家に帰らなければならず、

暗闇は子供にとっては直接的な恐怖であった。

恐怖は第六感を呼び覚ます。

昔の子供にとって夕闇は、そのスイッチが入る瞬間であった。

 

今の子供たちの環境でそういう本来人間に備わっている感覚を

普段の生活で養うのは難しいとは思う。

しかし現代っ子であろうと子供はそうい環境に一旦身をおくと、

あっという間にそういう感覚に目覚めるものでもある。

 

事故がないように安全な遊びをするのは大前提ではあるが、

折角の夏休み、できるだけ子供たちがそういう感覚が目覚めるような遊びに

夢中になってくれればと勝手ながら思ったりしている。

 

そしてそういう風に子供の頃に養われたシックスセンスは

大人になっても身の危険をあらかじめ回避するのに

大いに役立ってくれるものなのだと、ちょとだけ言っておこうと思う。

 

 

 

 


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