松平元康 のちの徳川家康、生誕の城がここ、岡崎城。
三河国を治めていた守護・仁木氏の守護代・西郷稠頼(さいごう・つぎより)が龍頭山という丘陵を利用して享徳元(1452)年または康正元(1455)年に築城。その後、家康の祖父である松平清康がこれを奪取、整備拡張し、ほぼ現在の規模とした。
家臣の謀反により祖父・清康、父・広忠が相次いで殺害されると、隣国駿河国の今川家に乗っ取られ、嫡男竹千代(のちの松平元康、さらにのちは家康)は人質となり、この城を去らねばならなかった。その元康は、桶狭間の合戦で今川義元が憤死した事でようやく岡崎城に戻って来たのであった。このあたりは以前読んだ宮城谷昌光『風は山河より』に詳しい。
とにかくこの岡崎城は家康にとって特別な意味をもった城な訳です。
松平元康が徳川家康となり、三河支配の中心とした頃は
東海地方で名古屋、駿府に次ぐ規模の城だった岡崎城。
明治維新の廃城令施行の際に破却された天守を1959(昭和34)年に再建し、
往時の1/3か1/4程度の本丸を囲む一郭が“岡崎公園”として整備されて現在に至る。
ちょっと分かり難い路地を右往左往して駐車場に車を停めると、
ムダに広い芝生エリアの向こうに掻き上げた土塁の上に東隅櫓が見える。
途中の公園口には三浦友和さんの手形レリーフが…
これはNHKのテレビ小説「純情きらり」のロケ地だったことで記念のレリーフ。
ということはもうちょっと探せば主演の宮崎あおいチャンの手形とかもあったのかも。
探しませんでしたがw
なぜならちょうど時刻はお昼時、かなり空腹だったからです。
早速公園に入ってすぐにあったお食事処で味噌カツ定食(1,210円)を頂きました。
今日は磐田で試合なので敵にカツ、で縁起担ぎです。
さてお腹も膨れたのでお城見学です。
案内板を見ると龍城神社があって、すぐ天守。
けっこう深い空濠
空濠のある木立ちの向こうに天守が見えます。
ゆるやかな坂を少し行くと、改修中の龍城神社。
この神社の名前は岡崎城の別名“竜ヶ城”に因んだものでしょう。
龍城神社
そしていよいよ天守です。
岡崎城 復興天守
岡崎城の天守は外観3層、内部は5階という構造です。
もちろん鉄筋コンクリート製です。天守としては中くらいですね。
黒塗の板張りと白漆喰がほぼ半々で良いバランスのお城という印象を受けます。
写真を撮ろうとすると前面に2本の松の木があってちょっと邪魔。
なんでわざわざこの場所に植えたんでしょうか?
左:天守入口前の神君出生の城の碑文 右:東照公遺訓碑
天守への入城料は200円。併設されている資料館「家康館」の入城料とセットだと510円。
せっかくなのでセットの510円にしました。
岡崎城天守の中はおなじみの刀剣、甲冑などが展示される資料館となっています。
城内は撮影禁止でしたのでそこは想像してください。
かなり順路がきっちり決められていてあまりウロチョロは出来ません。
最上階に上ると展望台となっています。
そもそも平城で高さもそんなにはないので岡崎市内を一望…というほどではありません。
この最上階には撮影用の家康&本多忠勝のボードが設置されています。
家康が江戸に幕府を開いた後、徳川四天王の一人、本多忠勝の子孫が城代となったので、
家康と共にアピールしている様です。忠勝なかなかのイケメン。
天守内部の見学を終え、天守の周辺をひと巡りしました。
天守の建つ石垣は半分天然の岩をそのまま使っている様です。今風に言うならばハイブリッド石垣w
この石垣のそば、天守の裏手に東照公(家康の事)産湯の井戸があります。
東照公産湯の井戸
天守の北側には家康を始め、名だたる三河武士の歴史資料を展示した家康館があります。
ここの入場料もさっき払ってるのでしっかり観ておきます。
家康館の中は「三河物語」で有名な大久保彦左衛門が案内役となり、
三河武士の戦いの歴史を説明するという体裁で
家康が天下統一を成し遂げるまでの歴史を解り易く紹介しています。
その中でも面白かったのが関ヶ原の合戦を可動式ジオラマで説明してくれる「決戦!関ヶ原」。
東軍、西軍それぞれの布陣から、移動、退却までがジオラマ上で解説してくれる優れモノ。
これを観るだけでも価値があります!岡崎城に来られたら是非ココは観て下さい。
最後に、家康館周辺に設置された石像、銅像のの数々をご覧頂きます。
左:三方ヶ原で敗れた家康の有名なしかみ像 右:徳川四天王・本多平八郎忠勝公銅像
徳川家康公銅像
三河国を治めていた守護・仁木氏の守護代・西郷稠頼(さいごう・つぎより)が龍頭山という丘陵を利用して享徳元(1452)年または康正元(1455)年に築城。その後、家康の祖父である松平清康がこれを奪取、整備拡張し、ほぼ現在の規模とした。
家臣の謀反により祖父・清康、父・広忠が相次いで殺害されると、隣国駿河国の今川家に乗っ取られ、嫡男竹千代(のちの松平元康、さらにのちは家康)は人質となり、この城を去らねばならなかった。その元康は、桶狭間の合戦で今川義元が憤死した事でようやく岡崎城に戻って来たのであった。このあたりは以前読んだ宮城谷昌光『風は山河より』に詳しい。
とにかくこの岡崎城は家康にとって特別な意味をもった城な訳です。
松平元康が徳川家康となり、三河支配の中心とした頃は
東海地方で名古屋、駿府に次ぐ規模の城だった岡崎城。
明治維新の廃城令施行の際に破却された天守を1959(昭和34)年に再建し、
往時の1/3か1/4程度の本丸を囲む一郭が“岡崎公園”として整備されて現在に至る。
ちょっと分かり難い路地を右往左往して駐車場に車を停めると、
ムダに広い芝生エリアの向こうに掻き上げた土塁の上に東隅櫓が見える。
途中の公園口には三浦友和さんの手形レリーフが…
これはNHKのテレビ小説「純情きらり」のロケ地だったことで記念のレリーフ。
ということはもうちょっと探せば主演の宮崎あおいチャンの手形とかもあったのかも。
探しませんでしたがw
なぜならちょうど時刻はお昼時、かなり空腹だったからです。
早速公園に入ってすぐにあったお食事処で味噌カツ定食(1,210円)を頂きました。
今日は磐田で試合なので敵にカツ、で縁起担ぎです。
さてお腹も膨れたのでお城見学です。
案内板を見ると龍城神社があって、すぐ天守。
けっこう深い空濠
空濠のある木立ちの向こうに天守が見えます。
ゆるやかな坂を少し行くと、改修中の龍城神社。
この神社の名前は岡崎城の別名“竜ヶ城”に因んだものでしょう。
龍城神社
そしていよいよ天守です。
岡崎城 復興天守
岡崎城の天守は外観3層、内部は5階という構造です。
もちろん鉄筋コンクリート製です。天守としては中くらいですね。
黒塗の板張りと白漆喰がほぼ半々で良いバランスのお城という印象を受けます。
写真を撮ろうとすると前面に2本の松の木があってちょっと邪魔。
なんでわざわざこの場所に植えたんでしょうか?
左:天守入口前の神君出生の城の碑文 右:東照公遺訓碑
天守への入城料は200円。併設されている資料館「家康館」の入城料とセットだと510円。
せっかくなのでセットの510円にしました。
岡崎城天守の中はおなじみの刀剣、甲冑などが展示される資料館となっています。
城内は撮影禁止でしたのでそこは想像してください。
かなり順路がきっちり決められていてあまりウロチョロは出来ません。
最上階に上ると展望台となっています。
そもそも平城で高さもそんなにはないので岡崎市内を一望…というほどではありません。
この最上階には撮影用の家康&本多忠勝のボードが設置されています。
家康が江戸に幕府を開いた後、徳川四天王の一人、本多忠勝の子孫が城代となったので、
家康と共にアピールしている様です。忠勝なかなかのイケメン。
天守内部の見学を終え、天守の周辺をひと巡りしました。
天守の建つ石垣は半分天然の岩をそのまま使っている様です。今風に言うならばハイブリッド石垣w
この石垣のそば、天守の裏手に東照公(家康の事)産湯の井戸があります。
東照公産湯の井戸
天守の北側には家康を始め、名だたる三河武士の歴史資料を展示した家康館があります。
ここの入場料もさっき払ってるのでしっかり観ておきます。
家康館の中は「三河物語」で有名な大久保彦左衛門が案内役となり、
三河武士の戦いの歴史を説明するという体裁で
家康が天下統一を成し遂げるまでの歴史を解り易く紹介しています。
その中でも面白かったのが関ヶ原の合戦を可動式ジオラマで説明してくれる「決戦!関ヶ原」。
東軍、西軍それぞれの布陣から、移動、退却までがジオラマ上で解説してくれる優れモノ。
これを観るだけでも価値があります!岡崎城に来られたら是非ココは観て下さい。
最後に、家康館周辺に設置された石像、銅像のの数々をご覧頂きます。
左:三方ヶ原で敗れた家康の有名なしかみ像 右:徳川四天王・本多平八郎忠勝公銅像
徳川家康公銅像
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