我 老境に入れり

日々の出来事をエッセイと写真でつづる

惣滝

2024-11-15 03:44:23 | 写真 及び絵画
                   妙高高原 惣滝

ブログの更新が空いてしまった、
少々焦りを感じて
友人がLineグループに投稿した写真と記事に
刺激され自分の写真を探した、
14年前に妙高山に登った時に撮った
写真である、
登山の途中だったので時間の関係で
あまり近くまで行けなかったが
見事な滝であった。

テネシー・ウイリアムズの死

2024-11-08 05:47:06 | ノンジャンル
               ガラス細工の人形
日本エッセイスト・クラブが
ベストエッセイ集と名付けた本を
世に出したのは1984年、
出版元は文藝春秋社、
前年に新聞や雑誌をはじめとする様々な
出版物に掲載されたエッセイを厳選して
年間ベストエッセイ集として本に纏めたもので
20数年間続いた、
将に珠玉の数々、
様々な業界の人々がその名を連ねる、
私は毎年暮れ頃に出版されるのを
心待ちして買い求めた、
先のパソコン不調でこの本を再読する機会を得た、
追々紹介していきたいと思う、
期待に副うものと思っている、
2年目の本の中にこんな記事を見つけた、
作者は黒柳徹子、
タイトルは「テネシー・ウイリアムズに逢って」
今でこそその名を耳にすることなど滅多にないが
20世紀アメリカを代表するひとりに
その名を挙げてもいい劇作家であり詩人?
黒柳はこの彼に逢った時のことを
印象深く書いている、
出会いは黒柳が休暇でニューヨークに
滞在していた1971年、
彼女はブロードウエイで活躍する或る作曲家と親交があり
アメリカでのホームステイ的な滞在先になっていた、
ある日その作曲家夫妻に連れられて参加したのが
ある演出家兼映画監督の誕生パーテイー、
黒柳のエッセイに登場する人物も作品名も超一流、
人物はパーテイーに参加していたという訳ではなく
超一流の作品に関わった人々ということで
驚くばかり、
この道に詳しいわけでもないこの私が知ってる
作品だけを挙げると、
エデンの東、王様と私、アニーよ銃をとれ、南太平洋
などなど
こんなパーテイーで彼女は
テネシー・ウイリアムズに会ったという訳だ、
黒柳は当時女優、
ウイリアムズは
日本における舞台でのロングラン記録を塗り替えていた
「欲望という名の電車」の原作者、
ウイリアムズは黒柳に
日本の演劇界のことや
彼の作品の主役を演ずる杉村春子のことを
あれこれ知りたがっていたという、
盛り上がったパーテイーの中で
そんな会話を続けていると
若い男が二人に近づいてきた、
痩せて中背の髪の毛の長い25歳くらいの
男性だった、
黒い革の手袋に
しゃれた絹の黒いシャツを着ていた、
ウイリアムズの知り合いだとはっきりわかる
態度であった、
青年はウイリアムズの横に立って周りに
無表情に会釈をした、
黒柳にはあまりに場違いな青年に見えたという、
そにて気になって仕方がなかったという、
何故なら青年は手にキー・ホルダーを持っていて
終始カチャカチャ音を立てて
ウイリアムズを急かせるような態度をとっていたという、
それはまるで無言のうちに
ウイリアムズは俺の言うなりになるんだぜ
とでも言いたげな態度であったという、
黒柳はニューヨークに1年間滞在中に
何度も才能ある芸術家が若いジゴロ・タイプの
ホモの相手に同じように弄ばれているのを見たという、
その場に溶け込む雰囲気のない若い男に向かって
彼は諦めたかのように
“今 帰る”と言ったという、
そして彼女の正面に立ち
“会えて嬉しかった、また会いたい”と
暖かい手を差し伸べ
次いでハグをして別れたという、
数日して
ニューヨークのホテルの一室で
目薬か何かの蓋をのどに詰まらせ
たった一人で酒瓶と一緒に
転がって
死んでいるのが見つかったという。
                 箱根ガラスの森美術館

曹洞宗廣澤山、大雄院

2024-11-04 00:57:02 | 日記
この美しい三重塔との出会いは
偶然のような必然のような、、、、、
と言うのは存在は知っていた、
しかし現代建築と書いてあった、
やはり三重塔となれば歴史を感じる建造物、
それを必須条件のように感じていたので
ここの三重塔への興味は一歩外でしかなかった、
そんな感じで前回書いた
高勝寺三重塔の写真撮影を終えての帰途
国道50号線を走っていた、
信号が赤に変わって停車した、
広沢町の交差点だった、
あれ?
桐生市の三重塔はこの交差点から
入って行くんじゃなかったかな、
と急に思い出して曲がった、
10分ほど走ったところにそのお寺さんはあった、
曹洞宗廣澤山大雄院
里山の麓に広い駐車場があり車を止めた、
山門を潜って石段30段ほど登っていく、
堂々とした立派な本堂だ、
傾斜地に広がる寺内全域樹木に至るまで
綺麗に整備されて心が洗われるような
お寺さんだ、
先ずは本堂に参拝してから
三重塔に向かった、

竣工は2009年、
大手ゼネコン:清水建設、

なんと!
バランスのいい三重塔だ!
やや小振りなのがいい!
三重の屋根の描く曲線が美しい!
水煙をはじめ各所に貼られた金箔が
建物全体を際立たせている!
市街を見下ろすかのような立地条件は
建物の存在感を高めている、
これぞ現代建築でなければ為し得ない
美しさではなかろうか?
本堂と三重塔を隔てる間には
今は花のない睡蓮の葉っぱが生い茂る池がある、
花の時期に又来たくなる心配り、
憎いばかりだ、
考えられる美しさの総てが込められた
美の結晶 と言えばオーバーか!

門前の幼稚園では
子供たちを指導する先生の元気な声が
響き渡っていた。



岩船山・高勝寺三重塔

2024-11-03 01:22:25 | 写真 及び絵画
それはパソコンが壊れてブログが書けなかった
10月初旬のこと、
私は暇を持て余して写真撮影に出かけることに決めた、
行く先をスマホの検索で
“栃木県の三重塔”と音声検索した、
すると栃木市にある岩船山高勝寺をはじめ
他に2っほどの名前が出た、
この寺に行くことに決めて9時ころ家を出た、
ナビを使って高速道を走り途中の休憩も入れて2時間ほどで
ナビに案内する目的地付近にたどり着いた、
そこは里山の淋しい町はずれって感じの曲がりくねった山道、
舗装は剥がれてがたがた、
道の両側から大きく成長した雑草が行く手を塞ぐ、
どう考えてもこの先に寺などあるはずがないと判断して
引き返すことにした、
やや下って住民を見かけたので聞いてみた、
なんとこの道を行けば寺はあるというのだ、
私の経験から言えば
こんな参道見たことない、
これほど荒れ果てた山道は地元民が山に入る作業道か
山登りする登山道以外考えられないほどの荒れ模様、
最も奥にあった人家から更に車で10分ほど
上るのだからこんな所にお寺さんが有るなんて
誰も思わないだろう、
運悪く雨も降ってきて気分を一層暗くした、
駐車場には他県ナンバーの乗用車が1台あって
私を安心させた、
駐車場わきにペット供養の
看板が目立っていた、
来た道からイメージした予想に反して
歴史を感じさせる山門、
本堂に通じる整備された石段、
本堂も鐘楼もそれなりの歴史を感じる建物だ、
先ずは本堂にお賽銭を挙げてお参りした、
三重塔の案内板に従って山道を少し歩いた、
朱塗りの三重塔が雨に降られながら建っていた、
正面には
県指定文化財建造物 高勝寺三重塔
と刻まれた石柱が立っているだけで
何時頃のものかなど詳しい情報を
明らかにするものは何もなかった、
これだけの建物を擁しているのだから
嘗ては地域の崇拝を集めていたに違いない、
それがなぜ人々から見放されて(?)
置き去りにされて(?)しまったのだろう、
悲しい現実が潜んでいることを感じてしまう。





インフルエンザの予防接種

2024-11-01 16:54:45 | ノンジャンル
3日前にインフルエンザの予防接種を受けた、
途端に体調不良、
体がだるい、
頭も正常に機能しているのか心配、
そんな中で翌日は
運転免許の認知症機能検査を受けた、
記憶を試す色々な絵を見せられて
やや時間をおいてから
先ほど見せた絵を
覚えているだけ書きなさい、という問題、
なんと16問中答えられたのは6問だけ、
問題はほかにもあったので何とかなると思うが
内心36点の及第点に及ばないのではないかと
心配している、
予防接種を受けて
3日目の今日(11月1日)も
咳は止まらない、
あちこちの関節が痛い、
頭はふらふらしてやる気が起きない、
もう一つ厄介なことがある、
排尿障害だ、
もともと前立腺肥大で排尿に苦しみ
薬を飲んでいるが益々ひどくなった、
トイレに行っても出ないのだ、
排尿の際の痛みに耐えながら
長時間かけて用をたしている、
こんな状態が何時まで続くことやら、
情けないったらありゃしない。

            埼玉県行田市の田圃アート