その11「餃子という記号」
あなたは餃子、好きですか?
いまフェイスブックの仲間で盛り上がって
いるのが餃子。徳島の美人女性社長がはじめ
たグループだが、6月7日にできて1ヶ月ほ
どで、知り合いだけで100人超、毎日、朝
から晩まで餃子談義をしている。
どこそこの餃子が絶品、ここの餃子が好き、
という話から、今日は海老餃子を作ったとか
100個作って6人で食べたとか、はては餃
子専用冷蔵庫に、材料をストックしている男
性が、赤唐辛子の皮の餃子を作ったとか。
情報のるつぼのわりに、写真にひとことそ
える程度の情報で、コメントが20も30も
つく。なんと闇餃子パーティなるものも、徳
島で開催されたそうだ!
さらには「もしわたしが餃子屋をやるとし
たら」、というトピックは妄想が妄想を呼び、
立地から原価計算、店内イベントにシフト案
まで、あやうく開店してしまいそうである。
なぜ「餃子」だけでこうも話がはずむのか。
餃子好きの脳には、餃子回路がある。餃子
→ビール、餃子→白いご飯、餃子→にんにく、
餃子→空腹、餃子→お出かけ、餃子→手作り、
餃子→家族の思い出、餃子→休日のご馳走…。
つまり「餃子」というと、ほわ~んと幸せ
なイメージがわくのである。
わたしは、父が満州生まれなので、小さい
ときから中華料理に親しんできた。家では定
期的に餃子を山ほど食べる日があり、4人家
族なのに100個作って、夕食で全部食べき
っていた。母が餡を作り、新聞紙を茶の間に
広げてわたしが皮をならべる。餡を分配する
速さとつつむ速さをむきになって競う。
笑点が終わるころ包み終わると、父のビー
ルのおつまみが出てくる。餃子がやけるまで
のとりあえず、一杯。
フライパンに一杯にならべられた餃子は、
じゅーっという音とともに焼きあがる。
母は大きな皿をフライパンにかぶせて、え
いやっとひっくり返し「さあ次いくわよ!」
と、台所で大汗をかきながら焼き続ける。
次から次へとわんこそば状態だ。
やっと最後の皿ができて、母も座って食べ
る。父はとっくにリタイア、姉も気がすんで
しまっている。でも母はやっと食べられるの
で、わたしはもうおなかいっぱいだが、ひと
りで食べるのがさびしかろうと、母につきあ
う。休日のご馳走で、イベントだった。
結婚した今でも家で餃子を作る。外でも食
べるので、週一回以上は、餃子を食べている。
きっと一生、わたしにとって餃子という記
号は幸せを意味するのだ。
そして友人と餃子について語り合うことで、
それを口実に飲み会をすることも増えそうだ。
フェイスブックの仲間にも、十人十色の餃子
の幸せがあるのだろう。幸せは家から外へ、
冷えたビールグラスで乾杯しながら、餃子愛
を語り合う仲間が増えて嬉しいこの頃である。
(2011年8月9日)
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後日談
進化し続ける餃子コミュニティ、
オフ会も開催され、
10月になったきょうも餃子の話でもりあがってます