今日は今時聞かなくなった機体名である。
その名は ダグラスDC-9 ... 設計は古く、40年前に生産が始まった機体だ。
とにかく、この機体の胴体周りは、今日のB717型機に辿るまで、ほぼ同じ形状
できているという、すごーく長いロングセラー機のはじまりでもあった。
この機体の開発コンセプトは現在大型機でも当たり前になった、乗員2名による
操縦を可能にすることが、前提として開発された。
ところで、当時のアメリカは旅客機の2名乗務は機体重量約36トン以下でないと
認めなかった。 で、この機体は重量ありきの設計となり、定員は80名規模と
いうことで仕様が決定した。 とにかく開発期間も短く、約3年で初飛行に
こぎつけ、最初に買ってくれた会社はデルタ航空だった。
すごく、短い期間の初期設計だけど、今日のB717までの40年の間、
胴体基本設計が、ほぼ同じだったと言うのもすごい話だし、ここまで
ロングセラーになるとは作られた当初では、思いもしなかっただろう。
あと、最大重量の条件をクリアーしながら、胴体延伸も考えていた
らしきこともオボロゲに見えてくる。
当時ダグラス社は、DC-8の胴体延伸化の機体で儲けつつあった。
ということで、設計思想に盛り込まれていたのかもしれない...
ちなみにB707は胴体が太すぎて、延伸すると胴体のシリモチが発生、
延伸化が困難だった。 ボーイング社は、こんな状態からジャンボ機
の生産を開始した....(現時点では成功したと言える...)
さて、
アメリカ国内は厳しい決まりで、今では当たり前の2名乗務(パイロットのみ)の、
操縦は..機体重量36トンいかしか認めてなかったので、
これより大きい飛行機は米国内就航機として作れなかったけど、
そんな決まりが無い海外輸出向けには
燃料増量の41トンクラスの燃料タンク増量タイプを
同一機体のスタイルで販売されていた。(航続距離が長い...)
その後、米国内で..このルールが撤廃 されると、
待ってましたとのごとく..この機体の胴体延長を開始。
(推測だが..営業的に計画的に予想の上で作ったと思う...
そんな過去の時間経緯を見ると..すぐに胴体延伸タイプは出現した。)
※ちなみに..同じ頃の日本の時代的背景をいうと..2乗務反対運動真っ盛り...
この胴体延伸タイプのDC-9-30に至っては600機越えの販売に大成功。
この機体の改良型
DC-9ス-パー80 と呼ばれる MD-80 シリーズへと展開する。
このMD-80シリーズは搭載エンジンの静粛性が高く買われ、
この飛行機しか離発着を認めなかった空港が結構あったそうだ。
何セ..このころは空港騒音問題は世界中で大問題になった頃で..
そんな中で..営業的にタイミングよく出現した機体であった。
専門家の中にはDC-9-30のエンジンとアビオニツクスを換装しただけ..
と比喩する人もいるけど..
それだけDC-9というボディが..がシツカリした玉だったということ。
とにかく、この時代も..かなりの機体が売れたらしい。
その一例だけど、当時門戸を開放してなかった中国にも輸出した。
しかも、上海の自国飛行機生産工場でOEM生産まで行っている。
現在、中国にMD80型機が残っているのは、このようにして販売された機体なのだ。
と同時に..
現在RJ機として完成したARJ-21は..まさに太いボーディなんか視ると
DC-9のよみがえりみたいな機体だ..この話は後述する。
ところで、このDC-9という機体は短距離を飛ぶ飛行機と思われがちだが、
MD-83型は、航続性能がすごい機体になり、
なんと大西洋横断線で、この機体で運行した航空会社もあったとのこと。
とにかく色々な意味で、当時にして高性能な機体だったらしい。
さてさて、MD-80シリーズの最も後期に当たるのが、MD-88型と呼ばれる
機体である。
この機体の操縦席コックピットが..最新のグラスタイプに変わった。
実はこの機体、このあと引き継いだ
MD-90型の試作機的な要素もあったと言われている。
とにかく、こう考えていくとDC-9から設計の連続性を感じるし
良い部分はそのままにしておこうという、安全思想みたいな物も感じる。
最後のシリーズになったMD-90シリーズも、それなりに人気があったが、
この新シリーズ機体の販売には紆余曲折の逸話が残っている。
というのも、最初に試作で作ったMD-90デモ試作機は
現在のジェットエンジンではなく、
アリソンの開発したプロップファーンエンジンを搭載した。
理由は石油ショック明けの状況で燃料が高騰..
航空会社の負担になるだろうと..
燃費を改善する目的から急遽開発したのだそうだ。
しかし..お客はその当時はそんな話に振り向きもせず..燃費改善より信頼性を重視。
よく考えてみると..その当時いくら燃料代が2倍になっても..
運行経費に占める燃料代の割合は微々たる物..
何セ...現在の1/10程度で買えた時代だった..
よっぽど..保守性とか巡航速度や巡航高度を性能的に確保できた方が
都合がいい時代だったのだ...
結局
ジェットエンジンにも燃費を改善した日欧共同開発V2500エンジンが登場して
お客の意見でエンジンを換装して現在のスタイルになった。
ちなみに最近になってプロップファーン機が登場している。
軍用ではあるがエアバスA-400がそれ..
プロップファーンを世間が認めたのは、MD90の試作機から30年後の話であった。
その後
マクドネルダグラス社がボーイング社に吸収合併した結果、
B737とマーケットがあたるMD-90は販売を中止。
DC-9時代のよきライバルだった B737は販売当初は苦戦してたみたいだけど
35年後、まさか同じ会社の販売機種になるとは... 夢にもでなかったのでは...
そんなことで、MD-90の胴体を短くしたMD-95型のみ販売することになった。
これが、現在のB717型機である。
まぁ、長きにわたり同じ生産ラインが活用できたことも含め、
最後は寂しい結末だったけど、DC-9はYS-11と同じ頃の設計機体だという
ことを考えると、初期設計の方々の優秀さを感じてしまうがいかがなものか...
★2008年に追記..
その後B717の生産が止まり、DC-9シリーズの生産が終わったと報じたが、
なんと中国で、このDC-9の流れが蘇ってしまった。
その機体がARJ-21...今話題の70人/90人RJ機である。
この機体は、以前中国でOEM生産していたMD-83/90Tの生産技術と製造設備が
ベースになって作られた機体。
そんな特徴としてボーディがライバル機より太めである。
これって...最初に作った80人乗りDC-9-10にある意味そっくりである。
まさかDC-9の流れを汲んだ機体が蘇るとは...偶々だとしても...
とにかく..飛翔とニックネームがついた。
本当はDC-9に対して付けた名前かもと、穿ってしまう。
フェニックス....
このシリーズ機体は当面不死鳥らしい...