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人々をありのままに受け入れる。 ケネス・ワプニック Ph.D.

2025-01-16 09:53:15 | 奇跡講座

人々をありのままに受け入れる。 ケネス・ワプニック Ph.D.

Accepting people where they are.
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https://www.youtube.com/watch?v=rcdodajwm6I

私はこの夢について長い間考えていませんでしたが、このワークショップやこれから話すことについて考えていたときに、その夢を思い出しました。そして、テストに合格するというアイデアについて私が言ったことと関連して、その夢を初めて突然理解したのです。そして、これは採点されるようなテストではありません。

これは、誰かが準備ができているかどうかを判断するテストなのです。

夢の中で、中年弁護士が現れるのですが、夢は、私が大勢の人々、まるで若いスタッフたちのような人々と一緒に部屋にいるところから始まりました。彼らは私よりも若かったです。部屋は図書館のようで、周りに本棚がありました。すると、一人の女性が現れ、私を脇に連れて行き、部屋の別の場所か、別の部屋に連れて行ったのです、どこだったか忘れてしまいましたが。

そして彼女は私に質問しました。
その質問とは、「もしあなたの家族がお金を持っていて、あなたに力があったとしたら、あなたの過去の人生で何かを変えるだろうか? 」というものでした。

私が答えたのは、「いいえ、何も変えないでしょう。なぜなら、起こったことすべては、より大きな道の一部だからです。そして、過去のその時に何らかの意義を知ることは不可能だったとしても、振り返ってみると、人生の狂気、自分がした良いことだけでなく、間違いにも、ある種の筋道があったことがわかる」ということでした。

そして、それらはすべて、当時は誰も理解も評価もできなかった、より大きな全体に貢献していました。そして、夢の中の中年弁護士が正しいと認めたその答え、それが正解でした。 

今、その夢を振り返り、ヘレンについて私が言ったことと、私にとってヘレンが夢の中の女性であると特定したことを踏まえると、私が言っていたのは、人々をあるがままに受け入れることだということだったがはっきりしました。

何も変えようとしないことです。 何かを変えようとしたり、人々を変えようとしたりすることは、コースの中でイエスが私たちに警告していること、つまり誤りを現実のものにすることの一例です。

何かが間違っていると思わない限り、何かを変えようとはしません。 それが現実であり、それが自分に影響を与えていると思わない限り、何かが間違っているとは思いません。
そしてもし何かを変えたり、誰かの行動を変えたり、気に入らない誰かの特性を変えたりすれば、何か意味のあることをしているという魔法のような考えがあります。
そのため、相手のことをあまり気にしなくても、変えようとすると気分が良くなります。それは、ヘレンの真の自己と自我の両方を完全に尊重する方法で、ヘレンと一緒にいる準備ができていると言っているようなものでした。

そして、それがテストでした。私が失敗した例として、ある土曜日の午後、私たちはいつも土曜日は買い物に行くのですが、その代わりに土曜日の午後にカトリック教会でミサに行くことになったことがありました。それがいつもの私たちの土曜日だったのですが、この日はとても悪い日でした。

雨が降っていて、外はあまり良い天気ではなかったので、私たちは一日中ヘレンのアパートで過ごしました。そして、ヘレンは誰かに激怒していました。これは、どこからともなく現れたコースの教師の一人で、明らかに自分の小さな王国を築いていて、ヘレンは彼と彼がしていることを嫌っていました。彼女が嫌っていたのは、この人が実際はエゴ帝国を築いていて、コースを全く理解しておらず、コースへの愛は全くなく、ただそこから得られるものだけを求めている、明らかなスピリチュアルな偽善でした。

そして、ヘレンはこの人についてわめき散らし、ビルについてもわめき散らしました。これがその日の午後の流れでした。 最後に、夕食後だったと思いますが、その頃は、いつもヘレンが静かになれるのは夜遅く、夕食後だけでした。その後、夫のルイスが寝て、私たちはソファに座りました。 コースの編集している時は、通常はここで編集は終了でした。

その後、私たちは話したり、一緒に祈ったりするのですが、その時点でヘレンは静かになれました。そこで私はこのチャンスをつかんで、ヘレンが経験したこと、つまりコースの前の夏に彼女が見たもう一つのビジョンに基づいて、彼女と考察(構築)してみようとしました。

彼女はビルと一緒に祭壇にいるという経験(ビジョン)をしました。そこにはヘブライ語で神を意味するエロヒムという文字がある巨大な祭壇があり、祭壇の後ろからイエスが現れ、イエスが彼女の方へ向かって歩き始めました。

このビジョン全体を要約すると、彼女はイエスの前でひざまずこうとしましたが、イエスは彼女を止め、代わりに周りに出て、真ん中に立ち、片側にヘレン、もう片側にビルがひざまずき、三人は神の祭壇の前でひざまずいたのです。

私は、ヘレンにとって非常に重要なそのイメージを取り上げ、「一緒に祈りませんか? そして、あなたは片側にビル、もう片側にこの他の人がいると想像してみませんか? そして、静かにしてみましょう。私が一緒にいます」と言いました。

私たちはそうしました、そして実際に、それはうまくいきました。ヘレンは気分が良くなり、怒りは消えました、そして私が夜になって帰る時、何かがあったと感じました。

私は翌朝やってきて、通常ヘレンがドアベルに答えるとき、彼女は私にちょっとしたキスとハローなどを言ってくれるのですが、今回は、彼女は軽蔑と怒り、その最大限の権威をもって私を見て、「二度と私にそんなことをしないで!」と言いました。

それが彼女の言ったことすべてでした。

私は彼女が何を言っているのか分かりませんでした。彼女は私に滅多に怒ることはなかったのですが、今回は殺気立っていました。とにかく、彼女が私に説明してくれたのは、私が帰った後、少ししてから寝たのですが、真夜中に激怒して目が覚め、ビルとこのもう一人の人を殺そうと思ったということでした。

そして、彼女は激怒していたので、再び眠ることができませんでした。そして、一晩中寝返りを打ち、ずっと怒っていたのです。そして、それは私がしたことのせいだったのです。

さて、ある意味では、これはちょっと、かわいい話です。ヘレンの反応からすると、当時は無論、かわいい話ではありませんでしたが、私はその時、そして、これらの出来事の順序がどうだったか定かではありませんが、私がそんなことをするべきではなかったと悟ったのです。

つまり、正当に見え、愛情深く見え、確かにコースを中心に見たとしても、それはヘレンが望んでいたことではなかったのです。ヘレンは怒りたかったのであり、怒りを奪われたくなかったのです。もちろん私は彼女に無理強いはしていませんでしたが、確かに彼女を促していました。

そして、それは私には非常に明確であり、そしてそれは私には非常に明らかで、何か、それが原因だったのか、それとも私に関係のないそれに似た何かが起こったのかはわかりませんが、彼女との関係の最初の数年かそこらのある時点で、私はヘレンは決して変わらないことに気づきました。そして同時にヘレンが変わる必要はないということもわかりました。 そして、それが重要なことでした。その時点から、私は基本的に、彼女にビルやルイスや他の誰かを赦させようとするのをやめました。 ヘレンに対して最も愛情深い方法は、彼女をありのまま受け入れることであるということが、改めて明らかになりました。つまり、ヘレンに対して最も愛情に欠けることは、彼女を変えようとすることでした。

コースがより広く知られるようになり、ヘレンがますます多くの人々と出会うようになりました。 ヘレンに会うことは非常に印象的でした。なぜなら、ヘレンは実は大学時代に、彼女の人生について初期の作品を書いていて、それを「天国とヘレン」と呼んでおり、それは素晴らしいタイトルでした。ヘレンは言葉を扱うのがとても上手だったのです。
そして、それがヘレンでした。

天国と地獄、それがヘレンでした。天国、地獄。彼女は両方を持っていました。そして、それは人々にとても印象的でした。私は、数えきれないほど、多くの人々が彼女を変えようとしたのを見てきました。そして、私は私が知っているそれらの人々に懇願しました。「そんなことをしないでください。あなたは彼女を助けていません」と。そして彼らは、伝統的な心理学的なわけのわからないことを言ってきました。

「あなたは彼女を幼児化している、これは特別なことだ」と。(それがコースの意味不明な言葉です。)「あなたはこれを助長すべきではない」と。当時は共依存(co-dependency)という言葉は使われていなかったと思いますが、彼らが言っていたのはそういうことでした。そして、私は彼らに、彼らはポイントを見失っているのだと説明しようとしました。彼らは愛情深く接していなかったのです。 ヘレンは変わりたくなかったのでした。

「まあ、それは愚かなことだ。誰も変わりたくないなんてことはない。それに、ヘレンはコースを書き取った女性だ。そして、彼女はイエスの声を聞いている人だ。そして、彼女はこれらのすべての人々を助けているし、彼女はとても聖なる人だ」と、彼らは続けます。

そして、それらの試みの多くは、私は本当にほとんど残酷だと感じました。意識的に残酷な意味で、意図したものではありませんでしたが、「自分の善意を信じてはいけない。それだけでは十分ではない」というフレーズをほとんどの人が知っているでしょう。

善意のある人々は、自分が助けようとしている人々のためではなく、自分自身の意図のためにそれを行っているのです。自分自身にどうアプローチするか、そして他の人にどうアプローチするかという点において、受け入れることが非常に重要です。それは、あなたが形式のレベルで人々を助けないという意味ではありません。それは、彼らが変わりたいと思わない限り、彼らを変えようとしないという意味です。

そして、彼らは自分が変わりたいと思っているかどうかをあなたに知らせるでしょう。人々は、自分が何を望んでいるかをあなたに知らせるのが非常に得意ですが、あなたは耳を傾ける必要があります。なぜなら、彼らは常に言葉でそれを行うわけではなく、常にそれを意識的に知っているわけではないからです。しかし、もしあなたが耳を傾ければ、彼らはあなたに教えてくれるでしょう。私がヘレンと一緒にいて1、2年後に、彼女は変わりたがっておらず、彼女に変化を押し付けようとすることは、決して助けにならないし、愛情深くも優しくもないと気づいたように。

 



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