東京の田舎から

日々の雑感や思いを書いています。

青梅丘陵散策

2019-04-22 10:24:04 | 旅行
JR青梅線・青梅駅の北側にある丘陵は「青梅丘陵」と呼ばれている。この丘陵の東の端には青梅鉄道公園がある。そして、この辺りは「永山公園」とも呼ばれている。さて、ここから、ほぼ西へ、丘陵の尾根を伝って、所々青梅の市街地を望みながら、青梅線の軍畑(いくさばた)駅の近くまで林間の散策路が続いている。そして、初心者には、途中で下山できる路がある。
 今回、平成31年4月15日は、永山公園から散策を開始して、宮ノ平(みやのひら)駅に至る経路を歩いた。
同行者は「あざみ」や「スミレ」が大好きとのことである。そこで「あざみ」を探したが、この散策路には全く生えていなかった。また、「スミレ」は、紫色の花の咲く一種類だけで、色違いの白の花のものは全く見られなかった。この丘陵は、植生の多様性が少ないのであろうか? それでも、やはり山である。ふと見るとウラシマ草が生えていた。この草は珍しいが余り気味の良いものではない。
 この散策路は、少し前よりも随分と幅されていた。なにやら、市街地の公園にある散策路の如しである。そして、所々に「熊、鹿の出没注意」の立札が立っている。「注意」と言われても、どう注意したら良いのかは判らない。そのため、立て看板の注意は、取りあえずは「我がこと」という認識はない。それが普通であろうと思っていた。

 そして、この散策路と、その昔に切り通しで作られたと思われる峠道が交差するところに「むらさめばし」という、コンクリート橋が架かっている。この橋を渡った所の藪に、持参していた「カラスウリ」のタネをばら撒いた。このカラスウリは、私宅の庭にいつの頃からか、生えていたものである。昨秋に取っておいたタネを、ここで元気に育ってくれることを願いつつ山に戻した次第である。
さて、そこから更に進むと、「ミイラ」のある場所がある。昔、筆者が子供の頃には、今にも崩れそうな建物があり、その中には「ミイラ」があると、誰からか聞かされていた。そのため、「怖い」と走って通り過ぎたものである。ここを数年前に通った時は、宗教施設と思われる、それらしい建物があり、それなりに整備されていた。説明では「即身仏」が安置されているようである。
   今回、その施設は少し荒れているように感じた。ここを通り過ぎて、暫く行くと、軍畑へ至る道と、宮ノ平に下る道とに分かれる。軍畑まで行きたいとの気持ちもあったが、時間と体力を考えて宮ノ平に下る道とした。この道は通る人も少ないのであろう。随分と荒れている。暗いヒノキの林を下っていると、いきなりの「ギャッ!!」である・・・同行者と鹿とが数メートルの距離で遭遇した。「鹿と眼があった」とのこと、筆者は、鹿が逃げる音に吃驚して気が付いた。しかし、随分と大きな鹿であり、色は殆ど黒であった。そして、逃げて行ったものだと思っていたら、斜面の上の方から、筆者と同行者とを覗っているのである。万一のために道に落ちていた棒切れを持ち、警戒しつつ通った。そして、立て看板を「我がこと」と実感した次第である。
   道を下るにつれて、明るくなってきた。それまでは、余り手入れされていない、杉やヒノキの植林帯であった。この植林帯を出て明るい陽の光を見た時はホッとしたものである。植林帯を出ると明るくなり野生の山吹が咲いていた。随分と綺麗である。しかし、その右手の長い距離はトタンの波板で囲われている。「何なのであろうか?」と、少しの切れ目から覘くと「萱(かや)」が沢山生えている。もしかしたら? 萱の生産をしているであろうか?
 そして、更に下ると、人家が見えてきた。しかし、筆者の子供の頃の記憶では、この辺りは、石灰石の採掘跡で、その穴には青緑色の水が溜まっていた。しかし、それから何十年? 今は採掘跡の面影は全くなく、住宅が立ち並んでいる。そのため「ここはどこ?」という感じである。そのまま進むと「宮ノ平駅⇒」の立札があり、そのまま宮ノ平駅の跨線橋に繋がっている。この入り口の脇には、見事なタンポポの群落があった。
 ところで、この跨線橋が随分と華奢な感じであり、凡そJRの施設とは思えない構築物である。筆者としては「落ちやしないか?」と少々怖かったものである。この跨線橋から改札口もなく、そのままホームに行けてしまった。ホーム上にはSuicaをタッチする機械があった。しかしSuicaを持っていなかったので、そのまま青梅駅まで電車に乗って行くしかない。当然に、宮ノ平駅から乗車したという証明は何もない。そして、改札口で「宮ノ平から乗って来たんですが・・」と言うと、駅員は、「はい140円」とのこと。しごく当然という対応であり、少しばかり不思議な光景であった。過疎地であることは知っていたが、ここは「東京都」である。尤も、線路は単線で、電車は4両編成、1時間に1本ないし2本しか運転されていないところであり、殆どは無人駅である。
今回の散策では、鹿と遭遇し、また、丘陵の植生は杉やヒノキの植林が多く、単純であり、余り豊かな森林・自然ではないということを感じたところである。


山里の春・・・南澤あじさい山

2019-04-21 17:28:47 | 旅行
 「南澤あじさい山」は「あきる野市」にある。あきる野市は、秋川市と五日市町とが合併したもので、その面積は広い。秋川地区は平野部であり、五日市地区は山間部である。なお、JR五日市線の終点武蔵五日市駅はこの地名からきている。

 今回訪問した「南澤あじさい山」は、武蔵五日市駅のすぐ脇にある郵便局の横から入っていく。細い道を、凡そ2.5km程入る。なお、道案内には独特の、「赤帽子のポール」が建てられているので、これに沿って行けば到着できる。


    案内のポール (昨年行った時の写真)


 この「南澤あじさい山」は、この山の所有者である南澤忠一氏が、今から40年余前に、「お墓参りに行くのに花の中を通って行けたらいいな」との思いから、2株のあじさいを植えたのが始まりとのことである。それから、挿し木やあじさいの愛好家からの寄付、購入するなどして増やし、今では、1万株を超える「あじさい」が咲く名所となっている、個人で作り上げた「あじさい山」である。昨年の季節には、このあじさいを見ようと約1万人もが訪れたとのことである。

 今回訪問したのは、平成31年4月17日のことである。未だあじさいの季節には早い。しかし、この山には、「あじさい」ばかりでなく「1年中花を咲かせる山を作りたい」との南澤氏の思いから、「花桃・菊桃、山桜」なども植えられている。これらの花が満開とのことで、拝見しに行った次第である。

 当日訪れたのは、筆者らだけであったようである。花桃・菊桃、山桜の山は「少し遠い」ので、南澤忠一氏が車で「連れて行ってくれる」とのことで、有り難くお世話になった。
林道を凡そ2km進むと、「それはあった」。いや見事な花桃・菊桃、山桜の連続である。
なお、桜もいろいろあり、未だ枯れ枝の如くのものもある。これは、他の桜が散った後に咲くとのことである。













 余談であるが、花桃・菊桃、山桜などは、さくらんぼが実るとのことでことである。ところが、このサクランボは自然に落下したものは、芽を出すが、これを畑に蒔いても「間違えて発芽」程度にしか芽を出さないとのこと。自然とは微妙なものである。

 ここで、菊桃・花桃、桜の山の上に登り、これらを見下ろしたのであるが、ヒノキの植林の間には水仙も植えられていて、奇麗である。樹間の水仙には、何かしら随分と清楚な趣がある。

 ここで、また余談であるが、植林のことを少しばかり教えて頂いた。
 写真にあるように、樹の幹にペンキで書かれているのは、所有者の印で、関係者は「どこの誰」と判るのだそうである。また、次の写真にあるように幹に紐が結ばれているのを見たことがある人もいるかと思うが・・・。
 この紐は、単に結んであるのではなく、紐の結び目のある方が、樹の所有者側との意味があるとのこと。また、雑知識としては面白い。







 花桃・菊桃、山桜を見た後に、山を下り、「あじさい山」を通り越して、隣の沢筋にある「真光寺」へ案内してくれた。
 この真光寺は、入り口の石碑によれば、「東照山真光禅寺」が正式名称のようである。この石碑は明治12年建立とあった。見た感じはもっと古いものと思ったが、石でも僅か100年余でこのようになってしまう。



 この寺は、然程大きな寺ということではないが、一つだけ「非常に珍しいものがある」とのこと。
 
 この写真にあるように、普通の垂木は、平行に並べられているが、ここの垂木は、放射状に並べられている。南澤氏によれば、「真光寺を見て、この垂木を見なければ見たことにはならない」というような趣旨のことであった。



 その後、「五日市憲法」の原案が発見されたという「深沢邸跡」を見学させてくれた。(注、明治期における多摩の自由民権運動の過程で憲法草案が起草された)深沢邸の母屋は既になく、土蔵と少しばかりの付属建物がある。なお、ここは、映画「五日市物語」の舞台となった場所でもある。






 咲き誇る花はどれも素晴らしかった。次は、5月20日頃には「やどりぎ」(寄生木)の花が咲くとのこと。「やどりぎ」自体が珍しいところ、その花を見られるとのことである。

 さて、素晴らしい花を見て、帰りには、丹精のスミレなどを、お土産に頂いた。

 そして、帰りの道路である。これらも素晴らしい花・花・花である。南澤氏は、道路の脇にも沢山の花を植えている。このように、この山里は花に囲まれていて、まさに「山里の春」・「春爛漫」の景色を堪能した一日であった。









 帰りの景色も素晴らしく、春爛漫の中、「いや~綺麗だった・・・」との思いで帰ってきた次第である。                                               了