東京の田舎から

日々の雑感や思いを書いています。

恐ろしい時代になったものだ

2018-04-19 01:14:43 | 時事問題
セクハラ疑惑で事務次官が辞任したとの報道である。
しかし、何とも不可解なセクハラである。女性記者にセクハラ発言をしたとのこと。ネットでは、その音声データとやらがネットで公開されている。これを聴いた。不鮮明ではあるが、確かに、余り品の良いとは言えないコトバが録音されている。しかし、女性記者の声は全てカットされている。これでは、仮に、女性記者が挑発して、それに乗せられての発言か否かは不明である。音声では、どうやらお酒の入る店をうかがわせる背景音も入っている。店の接客の女性相手の声かも不明である。しかも、その音声は、切り貼りをうかがわせるものである。裁判の証拠として、切り張の音は証拠になるとは思えない。そして、更に不可解なのは、「被害女性は、弁護士事務所に名乗り出てくれ」と財務省が協力要請をしたのが「問題だ」とされていることである。深窓の令嬢・箱入り娘の世間知らずが、そのまま記者をしているとも思えない。何よりも週刊誌に記事を売り込んでいるのである。当然に騒ぎになることを期待しての行動であろう。それだけの度胸のある人に「匿名でも良いから」と協力要請をしたことが悪いのであろうか? 本人が直接に弁護士事務所へ接触するのが嫌であれば、本人が依頼した弁護士を通じての申し出も可能である。ところが、野党の多くと与党内からまで「女性に二次被害を与える」、「女性のセクハラ被害の深刻さが判っていない」「仮に、その女性が記者ではなく、酒を提供している店の接客の女性であっても許されない」などと財務省の対応を非難している。そうであろうか? これが通るのであれば、「私、痴漢されました」と、被害を申し出られたら、即刻に有罪と同じである。
 なお、続報によれば、女性記者はテレビ朝日の記者とのことである。テレビ朝日の記者として、事務次官に接して、これを無断で録音し、他の媒体である週刊誌に渡してしまうことは問題ではないのか。不思議である。これからは、社会的地位のある人は、酒の入る店で、その店の接客の女性にであっても謹厳実直なる紳士でいなくてはならない。酒が入って「一息」はできない。何とも窮屈なことになったものである。因みに、知人の女性に聞いてみたところ、「お酒の入る店で、この程度のことを言うのがダメとは・・・女性としても変だと思う」とのことであった。
 今回のことで改めて認識したのは、週刊誌の力は途方もなく大きいことである。週刊誌の記事について、筆者は「その程度」の認識で読んでいた。しかし、週刊誌に睨まれたら、切り貼りの音声で疑惑と報じられ、それに対する反論は無視され、何を言っても「有罪」とされて社会的な地位を失うのである。冤罪の強制成立である。さしたる証拠もなく感情に訴えての人民裁判である。マスコミとは恐ろしい。本来は、このような疑惑は、推定無罪の基盤の上に論じられるべきものである。だからこそ、疑惑なのである。しかし、セクハラとされたときは、推定無罪は成立せずに、即刻に有罪である。
 森友・家計学園のことも、そもそもは週刊誌報道が発端である。そして、現政権が大嫌いな多くの新聞によって拡大され、新聞社系列のテレビで連日に渡って報じられて「問題」に仕立て上げられた。韓国の言う、旧日本軍による「従軍慰安婦強制連行」から、「性奴隷」への進化と全く同じ図式である。これは、そもそもが、捏造であった。そして、最初に報じた朝日新聞は、捏造を認めたのであるが、現在では韓国によって、「事実として」国際社会へ発信されている。
 マスコミの力をもってすれば、「火の無いところに煙は立たない」という諺は成立せず、「火がなくても、煙どころか、火を燃え立てられる」のである。そして、マスコミにかかれば、推定無罪という法の原則は跳ね飛ばされて、推定有罪、否、有罪になってしまう。恐ろしいことである。このようなことの繰り返しによって、日本は壊れていく。
 しかし、多くの野党は、他人に厳しく、自分には大甘の輩ばかりである。今回の出来事を国民は忘れてはならない。因みに、筆者は社会的地位は無いので安心であるが・・・。

シビリアンコントロール=文民統制

2018-04-11 14:38:39 | 時事問題
国会では、自衛隊の海外派遣の日報が「ない」と言っていたのに「あった」、報告が遅れてケシカランと野党は声を荒げて政府を攻撃している。そして、シビリアンコントロールに対する危機だと煽っている。
 しかし、良く考えてもらいたい。シビリアンコントロール、すなわち、文民統制とは、そんな小さなことまでを国会に報告することなのであろうか?
 文民統制とは、もっと大きな枠組みを言うのである。すなわち、国民に責任を負うとされる文民の意思に軍隊の存在や活動を従わせる考え方、あるいはそのための制度であり、大枠での統制権である。それを守っている限り、日々のこまごましたとしたことの内容を公開することは必要がない。これは前提から間違っているのである。野党は知っていて間違えているのか、本当に知らないのか。
 何れにしても、野党は、政府をこのように攻撃することによって、政府が隠匿しているとか、隠したとかの印象を持たせようと国民を洗脳しているのである。野党の多くは、日本の弱体化を目指している輩であり、「日本人」の敵である。
 自衛隊の日報というような、日々の作戦活動を公開することは、自衛隊の作戦が、敵に筒抜けになるということである。したがって、公開すべき文書ではない。これを公開することと文民統制とは関係のないことである。

 それにしても、首相や大臣、官僚を「嘘つき」呼ばわりして、確かに憲法で保証されている国会内の発言ではあるが、こんな「どうでも良い」案件を1年以上も延々と続けているのである。これ以上やるなら、国会議員は歳費を返上するべきである。「国民」「国民」と国民を使うが、ここに書いている私も国民の一人である。

 こんな警察だか検察だかの「ごっこ」をさせるために国会議員がいるのではない筈である。
 森友や家計学園のことでは首相の関与が証明できなかった。それで、細かいメモがあったとか、そんなことばかりしている。しかし、このような内部文書を入手して騒ぎの火をつけている朝日新聞は、どこからこれらを入手するのであろうか。役人に情報をリークする輩がいるのか。これは、公務員法違反である。違法に収集した資料・・もしかしたら捏造かもしれないことで攻撃しているのである。
これが国会か。甚だ疑問である。それにしても、国会議員は小学生か・・・騒がしい。
 今、世界は激動の時期に入っている。日本もその外にいることはできないのである。国会・国会議員はそのような、国家、国民の命と財産を守るための議論をして、方策を考え、適切な外交、法律を作成するために存在している筈である。検察・警察の真似事をするのが仕事ではない。もう1年以上も国会は、野党の倒閣活動の場にされている。
 野党の目的は、北朝鮮危機を隠すと共に、安倍総理を退陣させて憲法改正を阻止したいのであろう。

差別と区別

2018-04-07 16:21:22 | 時事問題
 大相撲の春巡業の挨拶に立った兵庫県舞鶴市長が突然に倒れた。観客の中にいた看護師(女性)が救命のために土俵上にあがったのを行事が館内放送で「土俵から降りるように」とのアナウンスがあったとのこと。加えて、土俵上の現場でも相撲協会関係者から「降りるように促された」との報道があった。結果として、その看護師の女性らは、その「促し」を無視して市長の救命に尽力して救命に成功した。見事である。
 このアナウンスについて、批判があったためであろうか、後になり、相撲協会の理事長は「不適切であった」と認めて謝罪した。
 このことは、大相撲の慣習と緊急時の対応ができないアホさ加減が現出した出来事であるが、取りあえずは、相撲協会理事長からの謝罪で幕引きである。
 問題はその後である、次の巡業地である兵庫県宝塚市の市長が女性であったため、相撲協会は土俵上での挨拶を認めなかった。このことに対して、宝塚市長は「女性という理由で(土俵上での挨拶が)できないのは悔しい」と、この挨拶の中で述べたとのこと。
しかし、報じられた写真を見ると、土俵の脇に、赤色の台を置き、土俵とそうは変わらない高さにして挨拶をさせているのである。これは伝統を配慮した上での相撲協会の好意である考えるべきである。
 この女性市長は、日本の伝統・文化を理解できない御仁である。男性と女性とは、区分である。大相撲が神事としての伝統を公称し、土俵に女性を上げないというのは、相撲協会の自由である。それを換えろというのは傲慢である。別段、土俵に上がれないからといって、女性に迷惑はかけていない。土俵脇の台の上が嫌なら、市長は挨拶をしなければ良いだけの話である。
 海外からもこのことについて、「日本は女性蔑視している」などの非難がされたとのことであるが、欧米式の考え方と日本の考え方の違いがあることは、日本の自由である。文化や伝統の異なる国の人にとやかく謂われる筋合いはない。この市長は、異なる文化に染まり、それが正しいと信じてしまっているアホである。
 そもそも、大相撲は、国家の機構の一部でもなく、税金で運営されているわけでもなく、営利的かつ職業的な相撲興行を全国規模で開催している「相撲興行を行う団体」である。公益財団法人でありながら、営利的かつ職業的な相撲興行を全国規模で開催している法人でもある。確かに、公益財団法人に移行する前は、文部科学省スポーツ・青少年局競技スポーツ課所管の特例財団法人であったが、それでも所管官庁であったというだけであり、国家との機構ではない。民間の興行団体である。市長は嫌なら挨拶をしなければ良いだけである。
  
 男性と女性の区別を言うなら、例えば女子大学に男性は入学できない。また、宝塚歌劇団は未婚の女性だけで構成されている。男性は歌劇団には入れない。逆に歌舞伎は男性だけである。これを差別というのであろうか? これらは、差別ではなく男女の区別である。
 差別と区別の差異も判らないで政治家をされては困る。その違いも判らない程度の政治屋(や)に、日本の文化の破壊活動をされることは甚だしく迷惑である。
 今回の兵庫県宝塚市の市長は、まさに宝塚歌劇団の所在している自治体の市長である。「宝塚歌劇団が未婚の女性しか入れないのは男性に対する差別である」との申し入れをしたのか?聞いてみたいところである。お笑いである。市長はもっと他にすることがあるのではないか?

自衛隊イラク派遣の日報が発見されたとの“問題”

2018-04-06 13:03:12 | 時事問題
自衛隊のイラク派遣時の日報が「今になって発見された」とのこと。そのことが公表されるまで1年も掛かったとかで、野党の多くは「問題だ」と騒いでいる。
 しかし、これは、それ程に問題にすることであろうか?
 すなわち、従来は紙の文書であった。ところが、今はパソコンのデータである。この違いは、紙の場合にはコピーは面倒であり、また保存にも厄介である。そのため、例えば、「回覧」のような場合には、見ただけで済ませてしまう。しかし、パソコンで送られてきたデータは、読むだけで済ます程度のものであっても、「後で読もう」と簡単にコピーしてしまう。そして、余りに簡単にコピーできるためにコピーしたことを、本人も忘れてしまうことは多いであろう。すなわち、これらの「発見されたデータ」は偶然に残っていたデータである。
 それが、後になって発見されたとして、故意に隠していたが如くに野党の多くは攻撃する。そして、このように激しい攻撃が予想されることから、偶然に保存されていて、後に発見されたとき、関係者は公表を躊躇する。これは当然の反応である。元々、保存されているべき場所にではなく、偶然に保存されていただけのものである。そこに残っていたことは保存した本人も忘れていたものである。
 このように考えると、「本来保存されているべきところ」にあるデータが廃棄されたときは、その他のコピーされたものは当然に廃棄されていたデータの筈である。廃棄しなかったのは、単に偶然に残っていたものであり、これが後から発見されたとして問題視することは、そのこと自体が不当であり問題なのである。
 このように、騒ぐ人達のパソコンにあるデータは、それ程に整理されているのであろうか? パソコンに保存されているデータをそこまで整理することは不可能である。突き詰めれば、消去したデータの復元も可能なのである。
 したがって、国の機関等では、原本を保管するべき場所においてそのデータが廃棄されたときは、そのコピー・副本は、廃棄されたものとして扱うべきである。但し、年金問題のように、直接に個人の利害に関わるものは、コピーであろうと何であれ、正確なデータの復元に利用するのは当然である。
 少なくとも、偶然に保管されていたデータが「後から発見された」と、騒ぐことは、有害にして無益なことである。野党は、些末な問題を騒いで、鬼の首を捕ったが如くに騒いでいるが、有権者を馬鹿にするのもいい加減にするべきである。マスコミもしかり。こんなことを大ニュースの如く報じるから、「マスゴミ」などと揶揄されるのである。

 それよりも、野党にある「二重国籍問題」とか、「野田中央公園の問題」などの野党に関係する疑惑はどうなっているのであろうか?
 野党の多くは、「他人には超厳しく」「自分には超優しい」。何かと言うと「国民に対して」と「国民」を利用するが、選挙の結果が国民の意思である。結果からは、多くの野党は国民から支持はされていないことを自覚すべきである。「国民が・国民が」と利用されるのは多くの国民にとって不愉快な筈である。
 

秩父長瀞「法善寺のしだれ桜」

2018-04-02 23:30:24 | 日記
3月28日(木曜日)、初夏を思わせる陽気である。この日、知人がリハビリ病院に入院しているお見舞いに秩父・長瀞まで知人と共に行った。帰途、通りすがら見事な「しだれ桜」を発見して、これを見物した。何というお寺? と入り口の石塔を見ると「臨済宗妙心寺派 法善寺」とあった。この「しだれ桜」、拝見するのは何と無料であった。
 駐車場には多くの車と共に人がいる。また、庭には水仙が咲き、まさに春爛漫の景色であった。