「心の哲学」のまとめによく整理された記事があったので紹介します。
ヘーゲルは心身問題について、『精神現象学』『精神の哲学』『エンツュクロペディー』において述べている。
■反省作用による分裂
我々は子供の頃には心身二元論者ではなく、自然との統一を直感的に、当然のこととして感じている。しかし、我々は成長するに従い、自分の経験を合理的に反省するようになる。この反省作用こそが、主観的で心的実体としての自己と、客観的で物理的実体としての自然、という見かけの分裂を生じさせるのである。また反省作用によって主観と客観という二つのものが存在するよう思えるのである。
■心身二元論は幻想
ヘーゲルにとって反省作用は自己意識の構造のひとつである。「ほとんどの場合、自己や主観、観察している自分は意識に現れない」と彼はいう。自己意識という作用が働いている間だけ「自己」は現れるのである。それを前提に、二元論は自己意識に依存していると考える。また反省から生まれた心身二元論は、幻想であるという。
■カテゴリーの錯誤
ヘーゲルは心的なものと物理的なものがいかにして相互作用するかを説明するのは誤りだと考える。ひとたび心身二元論を認めてしまえば、相互作用の説明は不可能なのである。よって二つの実体が存在するのを否定する。二元論の誤りは心を一種の「物」として考えたことにある。こうした考えに至らせた作用が反省である。ヘーゲルによれば反省は「悟性」に属する。悟性の役割は経験世界、つまり時空にあるものごとを理解することである。その悟性を心的なものを理解するため、つまり「物」「不可分性」「統一」といった概念を心に用いるからデカルト主義の誤りに陥るのである。
■相互依存の論理
ヘーゲルは観念論と唯物論をそれぞれ批判していた。それらは非弁証法的で一方向的だからであり、また観念論は物理的実在の意味を最小にして、それを心に還元する試みであり、唯物論は心的実在の意味を最小にして、それを物質に還元する試みなのである。実はそれらはお互いに依存した理論である。観念論は唯物論の否定として定義され、その逆も真だからである。
■絶対的観念論
「物質的なものと非物質的なものとの区別は、根本的な両者の統一をもとにしてはじめて説明しうる(『精神の哲学』)」という。これはヘーゲルの方法論である弁証法的な主張である。
二つの要素が対立状態にあるよう見えるのは、実は心身が一つの根本的実体の二側面だという考えである。これは中立一元論的な考え方のようにも思えるが、ヘーゲル自身は自分を「絶対的観念論者」であると言っている。ヘーゲルにとってその根本的実体とは精神的なものである。バークリーの唯心論との違いは、心的なものと物理的なものが「精神」という新たな綜合において存在しているという見方であり、これがヘーゲルの「絶対的観念論」の特徴である。
(ヘーゲル 心の哲学 wiki)