大分発のブログ

由布・鶴見やくじゅうをメインにした野鳥や山野草、県内四季折々の風景などアウトドア写真のブログです。 

不確定性原理とアキレスと亀

2022-06-21 12:07:00 | 哲学

 不確定性原理とは
 量子力学における基礎的原理。原子や電子などの世界では、一つの粒子について、位置と運動量、時間とエネルギーのように互いに関係ある物理量を同時に正確に決めることは不可能であること。1927年にハイゼンベルクが提唱。
   
[補説] 同時に正確に決めることができない位置と運動量、時間とエネルギーのような物理量の組み合わせを不確定性関係という。
(不確定性原理 デジタル大辞泉 )

 この不確定性関係を使った面白いパラドックスが「アキレスと亀」です。

 
画は講談社「アキレスと亀」より

 アキレスと亀

 アキレスと亀の話は有名ですから省略しますがこのパラドックスは位置と運動の関係を利用しています。

 ゼノンの説明のポイントは「スタート後、アキレスが地点Aに到達した時には、亀はアキレスがそこに達するまでの時間分だけ先に進んでいる。」にあります。

 上の文章の「アキレスが地点Aに到達した時点に」という言葉でアキレスの動きを止めているのです。なぜなら地点Aとアキレスの位置が正確に指定できるということはアキレスが動いていないことになるからです。そこですかさず「そこに達するまでの時間分だけ先に進んでいる」という言葉で、亀だけが動くように設定されています。あるいはそのように考えさせるように誘導しています。止まっているアキレスよりもほんのわずかでも動いている亀ほうが先に進んでいるのは当たり前のことです。あとはこの繰返しでアキレスは亀に無限に近づくことはできるけれど追い抜くのは不可能なのです。

 ただし、現実には「地点Aに達した時」という動いている状態での瞬間の位置は確定できませんからアキレスはそのまま亀を追い抜くだけです。


補足 エネルギー保存の法則

 運動エネルギーと位置エネルギーの関係を、振り子で見てみます。位置エネルギーは、おもりが最も高いところにきたとき最大。おもりの位置が低くなると、位置エネルギーは小さくなり、その分、運動エネルギーは大きくなります。反対の端にきたとき、運動エネルギーはゼロに。高さは左端にあったときと同じ。つまり位置エネルギーは再び最大になるのです。位置エネルギーは中央の最も低いところで最少。このとき運動エネルギーは最大となります。位置エネルギーと運動エネルギーの和を力学的エネルギーと言い、その値は常に一定。これを「力学的エネルギー保存の法則」と言います。

 

図でAを0としBを1とすると、動いている状態は0と1の間にあって揺れ動いています。0でもなければ1でもない状態ですが、0にもなり得るし1にもなり得る状態です。このように状態が時間とともに変化するという考え方が「シュレーディンガーの猫像」と呼ばれます。

ただ、「生きている状態と死んでいる状態が重なっている」との表現は、「生きてもいない状態と死んでもいない状態が重なっている」とややぼかした否定形で表現するのが正しいと思います。







シュレーディンガーの猫

2022-06-21 09:04:00 | 哲学
 有名なパラドックスに「アキレスと亀」や「二分法のパラドックス」「飛ぶ矢」などのゼノンのパラドックスがありますが、それと関係のある「シュレーディンガーの猫」というお話です。なお物理的な記述は受け売りです。
  

概要

オーストリアの物理学者、E=シュレーディンガーが考案した量子力学に関する思考実験。

 ラジウムがα粒子を放出すると毒ガスが発生する装置を猫とともに箱に収め、α崩壊の半減期を経過した後に猫の生死を問うもの。

 半減期を迎えた時点でラジウム原子核が崩壊してα粒子を放出する確率は50パーセントであり、量子力学的には崩壊していない状態と崩壊している状態は1対1の重ね合わせの状態にある。



 一方、これを猫の生死と結びつけると、生きている状態と死んでいる状態を1対1の比率で重ね合わせた状態にあると解釈される。量子力学的な効果を巨視的な現象に結びつける際に生じる奇妙さを指摘したものとして知られる。

(デジタル大辞泉「シュレーディンガーの猫」の解説)

実験

箱と猫を用意する。
箱に放射性物質(ラジウムなど)を入れる 。放射性物質は完全にランダムにアルファ崩壊し、その際放出した放射線を検出する装置(ガイガーカウンター)と青酸ガス発生装置を入れる。 検出装置は青酸ガス発生装置とつながっており、もし放射性物質がアルファ崩壊した場合青酸ガスが発生し、猫は死ぬ。 猫を入れ、蓋を閉め中を観測できないようにする 。


この実験の場合、猫の生死は放射性物質のミクロな振る舞い(アルファ崩壊)にのみ決定すると仮定する。 さて、一定時間経過したら箱の中の猫は死んでいるのか生きているのかどっち?

  この実験で箱のなかの猫は、放射性物質のアルファ崩壊という量子力学的な振る舞いにのみ生死が決定するため、観測者が箱を開けて中を観測しない限り、猫は量子力学の確率的解釈により生きている猫と死んでいる猫が1:1の重ね合わせで存在している事になる。 つまり箱の中の猫はふたを開けて観測するまで、生きてもいないし死んでもいないことになる。


   
 不確定性原理

「物質の位置を正確に確定しようとすると物質の速度が不確定になり、逆に物質の速度を正確に確定しようとすると物質の位置が不確定になる」という原理です。

 この「不確定性原理」により、ラジウムの波長と速度を正確には確定出来ません。その為、量子物理学では、ラジウムのアルファ崩壊の過程を正確に計算することが出来ず、アルファ崩壊が実験時間内に一つでも起こったかについて、イエス・ノーの結論は出ません。 ただ、確率的に、ラジウムのアルファ崩壊は50%起こり50%起らなかったとしか言えません。

 つまり、ある現象が起こったか起こらなかったかと言う相容れない2つが重なり合った状態として結論を表現するしかありません。

 この様に、実験に使用するラジウムの全ての粒子の波長と速度を正確に記述することが出来れば、その中で所定時間内にアルファ崩壊する粒子があるか否か計算し結論が出ます。実験後、猫は生きているか死んでいるかはっきりします。


 しかし、量子力学の手法では「不確定性原理」により、ラジウム全ての粒子の波長と速度を正確に記述することが出来ず、所定時間内に実験に使用するラジウムの中の粒子がアルファ崩壊を起こすか否かは確率でしか表現出来ません。従って、猫は50%死んでおり50%生きていると言う矛盾した結論となるのです。

 シュレーディンガーは、量子力学の確率的表現を巨視的に見ると矛盾に陥ることを「シュレーディンガーの猫」の思考実験で表現しました。



    inserted by FC2 system


 






























重ね合わせと混合

 重ね合わせと混同しがちなものとして混合状態がある。状態1と状態2を「混合した状態」の期待値は、状態1の期待値と状態2の期待値の線形結合で表せる。つまり混合をした場合は、量子的な干渉が起こらない。また干渉が起こらないような重ね合わせもあり、この場合は重ね合わせによって混合状態ができる。このことを超選択則があるという。(重ね合わせwiki)ほ



行方不明の自分

自分を発見した時、初めてその生死が確認できるのです。それまではなんとも表現できない不安の中で日々を過ごさなければならないのです。

思考の原則

2022-06-12 00:22:00 | 哲学
以下は古代ギリシャに端を発する伝統的な思考パターンです。

 同一律

  論理学で矛盾律,排中律とともに三大原理と呼ばれるものの一つ。〈自同律〉,〈同一原理〉ともいい,この原理は,主語と述語の関係を基軸にした伝統的論理学では〈AはAである〉と定式化され,自明な*命題の代表例。
 百科事典マイペディアの解説

例 犬は犬である。
 

「あるものはあり、ないものはない」 バルメニデスの名言
 

 矛盾律

 論理学の法則であり、アリストテレスによれば「ある事物について同じ観点でかつ同時に、それを肯定しつつ否定することはできない」こと。

  
  アリストテレス
例 
彼は生きていると同時に死んでいることはできない。

 排中律

 形式論理学の用語。 あるものについて,その肯定と否定とがある場合,一方が真ならば他方は偽,他方が真ならば一方は偽であり,その両方のどちらでもない中間的第三者は認められないという論理法則をいう。 「第三者拒斥の原理」とも呼ばれる。その一般的形式「全ての判断は真または偽である」 これはライプニッツの非常に単純な定式化である 。(排中律wiki) 

「全ての判断は真または偽である」 ライプニッツ

 

  

*アリストテレス論理学において命題は、主題の叙述するものを肯定または否定する、特定の種類の文である。アリストテレス的命題は「全ての人間は死ぬ」「ソクラテスは人間である」というような形を取る。(命題wiki)

  • 同一律

    「AはAである。」

  • 矛盾律

    「Aは非Aでない。」

  • 排中律「AはBか非Bかのいずれかである。」


 (ある、ない) (肯定、否定)(真、偽)といったように、古典論理学では、二つの概念を対立させて扱います。この二分性が西洋型思考の特徴になっていて、それは「二元論」とか「二項対立」とか呼ばれ、同一律、矛盾律、排中律はそこから派生したものです。


 二元論(にげんろん)

•多元論の一つで,一元論に対する。 世界や事象を,二つの相互に独立の根本原理によって説明する立場。 神話や宗教では,光と闇,天と地,善神と悪神,神と被造物など。 哲学史上では,プラトンやアリストテレスの形相と質料,デカルトの精神と物質,カントの理性と感性などの対立にみられる。(百科事典マイペディアの解説)

•二元論とは、世界や事物の根本的な原理として、それらは背反する二つの原理や基本的要素から構成される、または二つからなる区分に分けられるとする概念のこと。例えば、原理としては善と悪、要素としては精神と物体など。二元論的な考え方は、それが語られる地域や時代に応じて多岐に渡っている。(二元論wiki )

 二つの対立概念に分けるとき、そもそも、その二つの概念が互いに相手の補完になっていなければ論理そのものが成り立ちません。

 

二項対立

2022-06-12 00:21:00 | 哲学
 動と静、生じることと滅すすること、有と無、これらは二項対立の関係にあるといわれていますが、それに関する記事や解説をいくつか選んでみました。 

二項対立 dichotomy

 二項対立(にこうたいりつとは論理学用語の一つ。二つの概念が存在しており、それらが互いに矛盾や対立をしているような様のことを言う。元々は一つの概念であったものを二分することにより、それを矛盾や対立をする関係へと持っていくことを二項対立と言うこともある。

 陸と海、子供と大人、彼らと我々、臆病者と英雄、男らしさと女らしさ、既婚者と独身者、白と黒、運動と静止、明と暗のように、相対立する一対の概念を二項対立という。 (二項対立 wiki)

 この解説には違和感がありますね。陸と海が対立し、子供と大人が矛盾する云々とは考えにくいのでwikiの解説は疑問。

 つぎはデジタル大辞泉の解説 
 
✧二項対立(dichotomy)

 論理学で、二つの概念が矛盾または対立の関係にあること。また、概念をそのように二分すること。内側と外側、男と女、主体と客体、西洋と非西洋など。二分法。

 内と外が対立し男と女が矛盾しているとは考えにくいのでこの解説も疑問。

 これも難しい言葉をつかってますがこちらのほうがよいと思います。

 ✧対概念(ついがいねん)

 互いに対照的な要素を持ち、一方が言及される場合には自ずと他方の存在が前提されている、といった関係の概念。対をなす二つ一組の概念。
     「実用日本語表現辞典 」

*調べると「dichotomy」は二つに分ける、分類する、くらいの意味で、対立とか矛盾の意味はあまり含まれていないようです。単なる分類、区別、あるいは差異くらいの意味合いの言葉だと思われます。対立を強調する、「二項対立」というより比較の対象によって使い分けできる「二項関係」のほうが関係を考える上ではよいと思います。

やや難しい言葉を使ってますがこれなら納得。

✧反対概念

 論理学で、同一の類概念に属する概念のうち、その内包上最も対立度ないし差異の大きな概念。例えば、白と黒の関係。両者の間に灰色という中間の概念が介在する点が矛盾概念と異なる。

 内包はある概念がもつ共通な性質のことを指し、外延は具体的にどんなものがあるかを指すものである。 これらは互いに対義語の関係をもつ

デジタル大辞泉

対義語・反対語辞典
対義語・反対語・反意語・反義語とは、意味の上で互いに反対の関係にある語をいう。「善」⇔「悪」のように全く反対の概念を表す語を反対語、「右」⇔「左」のように、組になる語を対義語と区別することもある。

 わたしとしてはこれが一番よかった。

✧はんたい言葉

 




 矛盾概念には両者の中間にあたる概念がなく、反対概念には中間の概念があるので区別できます。

○✕  ○(△)✕
生死  生(病老)死
生滅  生(住異)滅

 二項対立の考え方を解消する方法のひとつに弁証法があります。「正」「反」の対立関係から、より高次の「合(ジンテーゼ)」が導かれることを、ヘーゲルは「アウフヘーベン」という言葉を用いて説明します。
 たとえば男を「正」とするなら女が「反」なります。これを結びつけると夫婦になります。さらに子供が生まれると家族になります。アウフヘーベンには高次にすると同時に保存するという意味があります。男女、子供と老人を含む概念としては「家族」という概念があります。そして男、女、子供、老人という個々の存在はそのまま保たれています。各自がその性質を保ちながら統一されるのがアウフヘーベンです。

 弁証法的にみると、陸と海はつながっています。子供と大人もつながっています。彼らと我々も臆病者も英雄も同じ人間です。男と女は結びついているもの、やがて結ばれるものです。白と黒は連続しています。運動と静止、明暗も連続しています。

 内と外はつながっています。男と女は結びついています。主体と客体も切り離せません。西洋と非西洋だけは矛盾概念です。

 このようにすべてのつながっているもの、結びついているもの、連続しているものを分断するのが二分割思考、二項対立、二元論です。では、二項対立の反対は何でしょうか。量子力学の概念ですがこれかな。

✧相補性

 相補性とは、光や電子の粒子性と波動性や、古典論における因果的な運動の記述と量子論における確率的な運動の記述のように、互いに排他的な性質を統合する認識論的な性質であり、排他的な性質が相互に補うことで初めて系の完全な記述が得られるという考えのことである。

✧相補関係

 複数の人や物事が、互いに相手を非常に重視する関係にあること 。緊密な関係、2つで1つ、一心同体、相補的な関係、相補的関係、互いを補い合う関係、2人で1セット等
Weblio類語辞書

これで決まりですね。


✧表裏一体

 相反する二つのものが大もとでは一つであること。また、二つのものの関係が密接で切り離せないこと。

 表裏一体とは、「密接に結びついていて決して切り離せないこと」を意味します。 コインの表と裏は本来別々の面であっても、決して切り離すことはできないことから、二つのものが密接に結びついた関係にあるなら、それは一つであるという考えのもと用いられる言葉です。

 表裏一体の類義語・対義語 類義語には、決して分けられないという意味の「不可分」などが挙げられます。また「陰と陽」などの考えかたも表裏一体と同じだといえます。
 また対義語には「二律背反」が挙げられます。互いに矛盾し、決して交わらない二つのことを指す言葉です。

 なんのことはない、人間が表裏一体そのものでした。
    
  
  画 ルネ•マグリット






奇妙なもの

2022-06-09 09:11:00 | 哲学
 プラトンの対話篇「パルメニデス」において、主人公のパルメニデスと若きアリストテレスの「一なるもの」に関する対話のさいに出てくる話ですが、動いているものが静止に、あるいは静止しているものが動きに転換するさい、そこには何か非常に奇妙なものが現れると言います。
 
 忽然(こつぜん)

 •••それは〈たちまち〉(忽然)というものだ。というのはそれから両者いずれへでも変化できるような、何かそういうものを指し示しているように思われるからだ。というのは、止まっていることからの変化は、ものがまだ止まったままでいるうちは起こらないし、動きからの変化も、それがまだ動いているままでは起こらないからだ。

 ところがこの〈たちまち〉というのは、本来的に何か奇妙なあり方をするものであって、動と静の中間に座を占めて、しかもいかなる時間のうちにもないものなのである。

 そして動いているものが静止に変化し、静止しているものが動きに変化するのには、まずこの〈たちまち〉に入り、またこの〈たちまち〉から出なければならないのだ。

 「一」もまた、それが静止したり動いたりするなら、その両者どちらへも変化できるものであろう。なぜなら、そういう変化によってのほか両者いずれをもなすということはできないからだ。しかしそれの変化は、忽然ととして変化するという仕方でなのだ。

 そしてそれが変化するとき、それはいかなる時間のうちにもないだろう。また、その場合、動いてもいなければ、静止してもいないだろう。21−156D

 無限進行

 26)では無限進行について語られています。もし「一」がなく「多」だけがあれば、始めのさらに始め、終わりのさらに終わり、中間のさらに中間が現れると言います。


 思考の上だけの存在

 いつでもそれらの何かを、あたかも実在するかのように、人が思考の上だけでとらえるとしたら、その始めに対しては、いつもそれより先にもっと別の始めが現れるし、またその終わりにたいしては、その後にまた別の終わりが残されているのが見られ、その中間のところには、それよりももっと中になるーもっと小さなーものがいくらも現れるだろう。それは「一」は実際には存在しないのだから、それらのそれぞれを「一」としてとらえることはできないという理由によるのである。

 つまり人が思考の上だけでとらえる存在なるものはすべて、くだけて細分されなければならないものなのだとわたしは思う。なぜなら、そこでとらえられるのはいつも統一性を欠いたかたまり(集塊)なのだろうからね。
 
 もし一がなくて多があるとすればという前提を置くことによってだがね。(26―165B)
 プラトン「パルメニデス」より

 このように、「一」なしに「多」を考える場合、始まりにはさらにその前の始まりがあり、終わりにはさらにその後の終わりがあり、中間にはさらにその中間が現れる。それはもろくてくずれやすいかたまり(集積、集塊)となって現れる。そしてそれは夢の中の幻のように、ただそう見えているだけで、実際はそうでないことが、語られます。

 有ると無いは同じ

 物語の最初のほうに、
万有が「一である」ことを主張する師のパルメニデスにと、それが「多ではない」ことを主張する弟子のゼノンに向って、二人のそれぞれが、同じことを言っていながら、同じでないような言い方をするのは、世人には分からないように密かに師の説の証拠づけを行っているのだとソクラテスが指摘する場面があります。2―12B

 背理法(はいりほう)

   
  画 ルネ•マグリット

 人を正面から見るのと背後から見るのとでは違うように、正面からの命題を反対側から見た命題です。大まかな流れは、以下のようになります。


「○○である」という命題Aを証明したい

命題Aを否定する、つまり「○○ではない」という仮定を立てる

「○○ではない」という仮定を立てたことで起こる矛盾を探す

命題Aの否定(=「○○ではない」)はおかしい、と言える

命題Aは正しい!(=「○○である」)と言える

「一である」と「多ではない」。意味はほとんど同じですが、紛らわしいものです。

背理法には「矛盾が生じたならそれは正しくない」という前提がありますが、この前提そのものに疑問があります。矛盾が生じるからといってそれが間違っているとは断定できないものだと思います。