一頭のロバ
昔あるスーフィーの教師が弟子を相手にかけごとをしました。
師
「わしは毎日のように気がせわしい。おまえとかけごとがしたい。お前がもし勝ったら、センベイを買ってわしによこせ、わしがもし勝ったら、わしがセンベイを買っておまえにやる」
弟子
「どうど、カケをおだしください」
師
「負けることが肝心だよ。勝つことが問題ではない。まず、わしは一頭のロバだといく」
弟子
「わたしはロバの糞」
師
「ほれ、おまえがわしにセンベイ買いなさい」
弟子
「だめですよ、先生がわたしにセンベイを買わなくちゃ。師弟あい争うのは、いけませんよ」
師
「この問題は、戦争や政治と同じだ。役所できめられなければ、村長をよびだして決着つけねばならん。ここに三百人ばかりの人々がいる。その中に誰かいないわけではあるまい。皆の衆よ、わしのために決着つけてくれ。客と主と、どちらに理があろうな」
大衆は決着つけられぬ。
そこで師はいう「目の開いたスーフィーでなくちゃならん」
三日してから、弟子は気がつく。センベイを買って師に持っていった。
ライオン
師は人びとに教えていわれた。
「わしのところには、洞窟に入っているライオンもおれば、洞窟の外に出ているライオンもいる。しかし、ライオンの子がおらん」
ある弟子がでてきて、指をニ、三度はじく。
師はいう。「どうした」
弟子「ライオンの子です」
師「わしがライオンという名をつけることすらまちがいだのに、あんたはそのうえ足蹴にして何とする」
ひとつの灯火
弟子がたずねた。
「一つの灯火が百千の灯火に燃えうつる、と申しますが、もともと一つの灯火は、どんな灯火なのでしょうか」
師は片方の靴をけりあげる。そしていう、
「もしやりてのスーフィーならそんな問い方はせん」
聖とは何か
問い「聖とは何ですか。」
師「凡ではない。」
問「凡とは何ですか。」
師「聖ではない。」
問「凡でも聖でもないときは、どうですか。」
師「おお、見事なスーフィーだ。」
3句
師は説法のおりにいった。
「朝になるがまだ暗い、暗いが明るくなろうとするところだ。あんたらは、どっちにおる。」
ひとりの弟子が答えた。「両方におりません。」
師「それなら中間におるのだな。」
弟子「もし中間にいたら、両方にいることになります。」
師「この修業者はこんな言葉を吐くが、3句の内から出られぬままだ。かりに出られたとしても、やはり3句の内にいる。あんたはどうだ。」
弟子「わたしは3句を使いこなすことができます。」
師「それだ!なぜそれを早く言わんか。」
半句
問い「口を開けたら一句になります。どういうのが半句でしょうか」
師は口をあける。
ロバの神性
弟子が礼拝してたずねた。「ロバにも神性が有るでしょうか?」
師は答えた。
「無いよ。」
迷わされない方法
ある日弟子が礼拝してたずねた。
問い「どのようにしたら他人の言葉に迷わされないでいられるでしょうか。」
師は片方の足を垂れた。
弟子はすぐに靴をさし出した。
師は足をひっこめた。
弟子「・・・」
真実の人
弟子「真実の人の体とは
何でしょうか?」
師「春・夏・秋・冬だ。」
弟子「お言葉は、わたしには理解しにくうございます。」
師「あんたはわしに真実の人の体をたずねたのではないのか。」
四角と円
問い「完全に四角でもないし、完全に円でもないというのはいかがでしょう」
師「四角でもないし、円くもない」
問い「そういう場合は、どうなりましょう」
師「四角であり、円である」
緊急なこと
弟子が質問した。
「人が緊急にしなければならない事とは何でしょうか」
師「小便はささいな事かもしれんが、自分でせねばならぬ。」
呵々大笑
ある晩、修行中のスーフィーが裏山を散歩した。たちまち雲が開けて月のあらわれるのを見てカラカラと大笑した。その笑い声が彼の寺院のいる村の東九十里の中に響きわたった。
その九十里ばかりの村の人々は、その夜同じ笑い声を聞いて、口々にいった。「東隣で人の笑う声がした」
朝になって村人が一斉にたがいに東へ東へと探して、そのまま修行者に来る。
弟子たちはいう、「ゆうべは、山頂で大笑いする人の声が聞こえた」
頂上に誰かいたか
師はたずねた、
「どこにいっていたのだ」
弟子「山歩きをしていました」
師「頂上に行きついたか」
弟子「行きつきました」
師「頂上に誰かいたか」
弟子「いません」
師「それでは頂上に行きつかなかったのだな」
弟子「もし頂上に行きつかなければ、どうして誰もいないとわかりましょう」
師「なぜちょっと待っていなかったのだ」
弟子「わたしは待ってもかまいませんが、ある男がそれを許しますまい」
師「わしはあんたを前からくさいとにらんでいたのだ」
スーフィーの祖
悪事に眼をすえて嫌疑の心を起こすのでもなければ、善事を観察してつとめはからうのでもない。
愚をすてて賢に近づくのでもなければ、迷いをすてて悟りにつくのでもない。
凡聖ともに腰をすえず、すべてを飛びこえているものを名づけて、祖とはいう。