大分発のブログ

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ルーミー/群盲象を評す

2020-11-27 19:30:00 | イスラム/スーフィズム

 群盲象を評す(ぐんもうぞうをひょうす)という有名な寓話があります。


 パーリー経典ウダーナなどに収められている説話で、ジャイナ教、仏教緒派、イスラム教、ヒンドゥー教などでも教訓として使われています。
 この話には数人の盲人(または暗闇の中の男達)が登場します。盲人達は、それぞれゾウの鼻や牙など別々の一部分だけを触り、それについて語り合います。しかし触った部位により意見が異なり、それぞれが自分が正しいと主張して対立が深まり、やがて互いにはげしく争うようになります。


 
 目には見えぬ象

 暗い小屋の中に、一頭の象がいた。見世物にしようと、インドの人達がはるばる連れて来たのだった。目で見ることは出来なかったので、暗がりの中、人々はそれぞれ自分の掌で象に触れ、感じる他は無かった。

 ある人は鼻に触れ、「象とは、まるで水道管のような生き物だ」と言った。別のある人は耳に触れ、「いやいや。象とは、まるで扇のような生き物だ」と言った。また別のある人は脚に触れ、「私は象を知っている。あれは柱のような生き物だ」と言い、また別のある人は背中に触れ、「誰も分かっちゃいない。本当のところ、象とは王座のような生き物だ」と言った。

 小屋から出て来た人は皆、口々に違う言葉で説明し合った。もしも彼ら一人ひとりが、その手に蝋燭の明かりを持っていたなら、言葉の相違など生じなかったことだろう。
   ルーミー「スーフィの寓話」33話


ルーミーの「マスナヴィー」から類話をひとつ。
   

トルコ 1978年 200リラ プルーフ銀貨 ジャラール・ウッディーン・ルーミー没後705周年記念コイン


 四人の男と仲介者

 四人の男が金貨を一枚与えられた。一人めのペルシア人が言った。「この金貨で、アングールを買うとしよう」

 二人めのアラブ人が言った。「いやいや、私はアイナブが欲しい。アイナブを買おう」

 三人めのトルコ人が言った。「アイナブなんてやめてくれ。私はウズュムを買いたい」

 四人めのギリシア人が言った。「私はスタフィルを買いたいのだが」

 それぞれの呼び名の背後に何が控えているのかも知らず、四人の男は喧嘩を始めた。情報だけが先走りし、肝心の知識を得ていなかったためである。

 そこへ賢い仲介者が現れ、四人を和解させた。仲介者は言った。

「あなた方四人全員の必要を満たして差し上げましょう。私を信頼して、一枚の金貨を預けて下さい。四つのものを、一つにして差し上げましょう」

 賢い仲介者は、それぞれの呼び名の背後に控えているものについて知っていた。一枚の金貨で葡萄を買い、四人に与えた。それで初めて、四人は自分達が欲していたものが全く同一であったことを知った。
『精神的マスナヴィー』2巻「四人の男と金貨」より

仏典からも類話をひとつ。

 キンスカの木

 むかし、インドのバーナラシーの王様に4人の王子がいました。ある日、仲のよい4人がいつものようにいろんな話をしている時、「キンスカの木を見たことがない。ぜひ見てみたい」ということになりました。

 そこで、何でも知っている年老いた執事に、キンスカの木を見に連れて行ってほしいと頼みました。

 すると執事は「ああ、そうですか。キンスカの木でしたら、あの森のおくのほうに大木がございます。わたしがご案内いたしましょう。ただし、わたしの馬車は2人乗りですから、おひとりずつ、わたしの都合のよい時にご案内いたしましょう」といいました。

 こうして4人の兄弟は、年老いた執事に連れられて、「キンスカの木」を見に行くことになりました。ただし、見に行ったのは同じ季節ではありませんでした。

 まず長男が連れて行ってもらったのは、冬の終わりのころでした。黒っぽい大きな枝一面に赤い小さなつぼみがいっぱいならんで春のおとずれをまっていました。

 次男が連れて行ってもらったのは、春のはじめのころでした。手の形をした赤い花が咲きほこっていて、藤の花のようにたれ下がっていました。

 三男が連れて行ってもらったのは、夏のはじめのころでした。青々とした若葉が下から上まで生いしげっていました。

 そして、四男が連れて行ってもらったのは、秋のはじまりのころでした。葉はすべて落ちて、大きなつつのようなさやが実を結び、枝一面にぶらさがっていました。

 

 4人は「キンスカの木」について、それぞれ感想を言い合いました。長男は「キンスカの木は黒くて大きくて、まるでもえた柱のように赤いはんてんがいっぱいついていたよ」と言いました。

 すると次男は「ちがうよ。真っ赤な肉のかたまりのようたったよ」と言いました。

 ところが三男は「変だなぁ!ぼくが見たのは菩提樹のように青々と葉っぱが生いしげる大きな木だったよ」と言いました。

 最後の四男は「みんなが言っているのとぼくが見たものはちがうよ。葉っぱは1枚もなく、さやの形をした実のようなものでおおわれていたよ。ネムの木のようだなと思ったけどね」と言いました。

 4人は同じ案内で、同じ森の同じ木を見てきたのに、答えがどれも違っていたので不思議に思いました。

「どうしてなんだろう。父上に聞いてみよう」と、4人は一緒に王様のところへ行きました。

「王様、このたび、わたしたちは執事に案内してもらい、はじめてキンスカの木を見せてもらいました。ところが、同じ場所の同じ木なのに、わたしたちはまるで別々の木を見せてもらったように、まったくその感想が違うのです。キンスカの木は本当はどんな木なのでしょうか?」とたずねました。

 王様は4人の顔を見て、
「おまえたちが見てきたものは、どれもみなキンスカの木なのだよ。しかし、学習の仕方がまちがっている。王子たちよ、ただ自分で見ただけでは自分の考えが中心になって、物事を正しく判断できないのだ。

 おまえたちを案内した執事は、おまえたちより、よくキンスカの木を知っている。いわばおまえたちの先生だ。

 ならば、『この木はいつもこのすがたをしているのですか?』と聞くようにしなければならない。おまえたちは季節によって変化するキンスカの木のすがたを理解していなかったのだ。

 これからはもっとすべての面において、学ぶ心を大事にして、物事の本質、実体を正しく判断できるようにしなさい」と、さとすように言いました。       ジャータカ248

類話(サンユッタニカーヤ35・204話。雑阿含経12。)




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