人形と動物の文学論

人形表象による内面表現を切り口に、新しい文学論の構築を目指す。研究と日常、わんことの生活、そしてブックレビュー。

歩行と舞踏のあいだで―夏目漱石『それから』から尾崎翠『第七官界彷徨』へ:その1

2013-04-20 21:44:46 | 書評の試み
 昨日と今日は、1日仕事だったからちょっとしんどい。
 お仕事いちおう、5月いっぱいで辞める予定にしてたから、いい気になって7月に学会発表の申し込みをしたんだけど、あたらしい人が見つからなかったら6月いっぱいくらいは辞められないかもしれないです(泣)。
 大丈夫か、私…。言っとくけど、発表前ははんぶん人間やめてて、仕事どころじゃないんだからね。

 ここ数日、何かの式典らしく、自衛隊で空砲鳴らしたりヘリコプターが飛んだりしてて、犬が怖がって大変です。訓練所の人の話によると、犬が雷や花火や大砲の音を怖がってパニックに陥るのは、しつけではどうしようもないらしいですね…。


 今日はちょっと真面目に小説の話を。『それから』と『第七官界彷徨』のインターテクスチュアリティを、「詩」と「散文」をめぐる言説、植物の受粉、においをめぐる表現から辿ります。
 きちんとした論文にしようかとも思ってたネタなんですが、ネタはいくらでもあるし、すべてのネタを論文にできるわけでもないしね。ブログに書いてしまいます。もし、中途半端にブログに書かれても引用しづらくて困る、というご要望が複数あれば、がんばって論文にしましょう。

   *   *   *   *

 尾崎翠『第七官界彷徨』は、「第七官」に響く「詩」を書くことを志す、小野町子の「あるひとつの恋」をめぐる物語である。物語は田舎から兄弟たちといとこの住む小さな家に町子がやって来るところから始まり、兄一助と「柳氏」との議論を片付けるために、一冊の書物を届ける場面で終わる。この小さな家の住人は、「分裂心理病院」に勤める医師の小野一助、植物の恋愛について研究する小野二助、音楽学校に受験するために勉強している佐田三五郎、そして「第七官」に響く「詩」を書きたいと願っているヒロインの4人で、ヒロインは一家の炊事係、ということになっている。
 当初町子と三五郎のあいだに、恋愛じみた雰囲気が漂うものの、隣家に越してきた少女との、垣根の蜜柑をめぐる心の交流(三五郎から少女への片恋)を経た後、町子が外部の医師(一助のライヴァル)と出会うところで終わる。三五郎ときたら、どうしようもない若者で、一助に言付かった『ドッペル何とか』を買うためのお金でマドロスパイプを買ってしまうし、そのためにヒロインは少し予定を早めて上京するのだが、ヒロインが「くびまき」を買うように祖母から貰ったお金もボヘミアンネクタイに使ってしまう(ボヘミアンネクタイは当初ヒロインの髪に巻かれるが、最終的には「肘当て」に化ける)。最後にヒロインは一助のために『改訂版分裂心理辞典』(=『ドッペル何とか』?)を柳氏宅に届けるのだが、柳氏に「くびまき」を買ってもらう。だからこれは、三五郎が使い込んだお金と、ほんらいそのお金で買うはずだったものをめぐる物語でもある。物語のなかでヒロインが恋愛めいた感情を抱くのは、三五郎と柳氏と二人いるにも関わらず、「ひとつの恋」をしたようである、と語られるのも、そのためだろう。
 この小説の登場人物は、誰も彼もが失恋している。蜜柑は満足に実をつけず、三五郎が練習するピアノは、調律不能な調子外れなもので、一助や二助は不思議な論文を書き、家のなかには二助の研究する、大根や蘚を育てるためのこやしのにおいが漂っている。
 そして不思議なことに、蘚が花粉を飛ばすのだ。

  そしてついに二助は左手の人さし指と拇指に二本の蘚の花粉をとり、一本ずつ交互に鼻をあてて息をふかく吸いこんだ。
 (94頁)
 

 なぜ、胞子で繁殖するはずのコケが、花粉を飛ばすのか。ここで手がかりになるのが、実は『それから』なのだ。

 代助は曲んで、花の中を覗き込んだ。やがて、ひよろ長い雄蕊の頂きから、花粉を取つて、雌蕊の先へ持つて来て、丹念に塗り付けた。(361頁)

とある、「アマランス」を受粉させる場面。あるいは、

 彼は立つて百合の花の傍へ行つた。唇が瓣に着く程近く寄つて、強い香を眼の眩う迄嗅いだ。(557頁)

とある、白百合をめぐる場面。『それから』でも、植物の受粉とにおいに関わる場面が、重要な機能を果たす。
 詩や歩行に関する意識も共通しており、『それから』とのインターテクスチュアリティを考察することは、『第七官界彷徨』の読解に有益であると考える。

   *   *   *   *

本文引用は、『尾崎翠集成(上)』(ちくま文庫、2002年)、『漱石全集 第四巻』(岩波書店、1966年)による。

 今日は疲れたので、この辺で。ではまた。つづく