今日はざっくり近年の傾向を。近年の傾向、と言っても、3年分しか見れないのですが。以前受験した(年齢制限に引っかからなかった)ときにプリントアウトしたぶんは、もう処分してしまったみたい。あのときは、あっさり一次試験で落っこちたので、まったく利用しなかったんですが。
共通問題は、22年「盗作」について、23年「インターネット」、24年「メタフィクション」。
情報メディアの発達によるオリジナリティ概念の変容に注目しているようですが、やっぱりちょっと24年は異質かな。「メタフィクション」には、先行する文学作品を踏まえたかたちのものも多いので、一貫する部分もありますが。…となるとやっぱり、ボルヘス『伝奇集』(「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」)でも読んでおけ、って話になります。
図書館的には、著作権に関わることが重要ですが、これは「文学」専門の問題なので、著作権のことを問題にしてるわけではないと思う。翻訳や翻案、パロディなど、関係する概念も把握しておくと良いでしょう。
文学に関わるオリジナリティの問題としては、近世的なパロディや翻案の世界から、近代的なオリジナリティの概念が生まれてきた過程を考察した甘露純規『剽窃の文学史』(森話社、2011年)、文壇における「盗作」事件を扱った栗原裕一郎『〈盗作〉の文学史』(新曜社、2008年)があります。前者は学術書、後者はスキャンダルについて扱った本で、全然異質なので、並べるのはちょっと変なのだけど。「盗作」に関わる問題について知っておくには、どちらも有用だと思う。とりあえず、「盗作」の定義を考えておきましょう。
近年、近代的なオリジナリティ概念が揺らいでることについても、考えておこうね。
→ということで、「文学とインターネット」の話題になるわけですが、ちょっと漠然としてますね。自分でテーマ絞って書かなきゃいけない。具体例を上げつつ論じなさい、とあるので、自分が書きたい具体例に合わせてテーマを絞ればいいと思います。図書館的にはやっぱり、インターネットを利用した文献検索や電子資料の公開、それからコピーアンドペーストなどによる(レポートなどの)剽窃の問題が重要になりますが、それだと、「文学研究」の話ではあっても、「文学」そのものの話ではないからね。このテーマ、結構難しいと思います。
とりあえず港千尋でも読んでおけばいいんじゃないかな(適当)。私がこのテーマで扱いたいのは飛浩隆の『廃園の天使』シリーズですが、内容の説明だけで字数食うから厳しいかも。ちなみに、電子メディアの発展による書物/身体イメージの変容については、私もちょっとした文章(日本文学協会第67回大会印象記「紙の皮膚、書物の身体」『日本文学』2013年4月号)で触れたことがあります。
独自問題は、22年「内面」、23年「絵画と文学」、24年「文学は震災に対して何ができるか」。それぞれ柄谷行人『日本近代文学の起源』、レッシング『ラオコオン』、井口時男「それでも言葉を書く」が課題文となっています。24年については既に書きました。まだ『ラオコオン』読んでないので詳しいことは書けないのですが、22年、23年と、絵画と文学との関わりや、芸術論における文学の位置づけをテーマとしているようですね。
というのも、『日本近代文学の起源』で提示される「内面」概念は、線遠近法(消失点を設定し、近いものを大きく、遠いものを小さく描く手法)との類似から語られるので。汎用性の高い概念で、何でも自分が専門とするテーマ(卒論で扱う作品とか)に適応可能だし、課題文もついているので、書きやすいと思います。
その際、線遠近法的な「内面」概念の限界にも、触れておくべきでしょう。
この流れでゆけば、映像や写真と文学との関わりを問う問題が出てきそうですが、震災を挟んで、「文学は震災に対して何ができるか」という問題が出てきたので、今後どちらの流れになるかは不明ですね。
そのうち、共通問題、独自問題とも、それぞれ一題ずつ取り上げて、詳しく論じるつもりです。
では!
すねてるのすけちゃん。目を閉じかけたので、半眼になってしまった。
共通問題は、22年「盗作」について、23年「インターネット」、24年「メタフィクション」。
情報メディアの発達によるオリジナリティ概念の変容に注目しているようですが、やっぱりちょっと24年は異質かな。「メタフィクション」には、先行する文学作品を踏まえたかたちのものも多いので、一貫する部分もありますが。…となるとやっぱり、ボルヘス『伝奇集』(「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」)でも読んでおけ、って話になります。
図書館的には、著作権に関わることが重要ですが、これは「文学」専門の問題なので、著作権のことを問題にしてるわけではないと思う。翻訳や翻案、パロディなど、関係する概念も把握しておくと良いでしょう。
文学に関わるオリジナリティの問題としては、近世的なパロディや翻案の世界から、近代的なオリジナリティの概念が生まれてきた過程を考察した甘露純規『剽窃の文学史』(森話社、2011年)、文壇における「盗作」事件を扱った栗原裕一郎『〈盗作〉の文学史』(新曜社、2008年)があります。前者は学術書、後者はスキャンダルについて扱った本で、全然異質なので、並べるのはちょっと変なのだけど。「盗作」に関わる問題について知っておくには、どちらも有用だと思う。とりあえず、「盗作」の定義を考えておきましょう。
近年、近代的なオリジナリティ概念が揺らいでることについても、考えておこうね。
→ということで、「文学とインターネット」の話題になるわけですが、ちょっと漠然としてますね。自分でテーマ絞って書かなきゃいけない。具体例を上げつつ論じなさい、とあるので、自分が書きたい具体例に合わせてテーマを絞ればいいと思います。図書館的にはやっぱり、インターネットを利用した文献検索や電子資料の公開、それからコピーアンドペーストなどによる(レポートなどの)剽窃の問題が重要になりますが、それだと、「文学研究」の話ではあっても、「文学」そのものの話ではないからね。このテーマ、結構難しいと思います。
とりあえず港千尋でも読んでおけばいいんじゃないかな(適当)。私がこのテーマで扱いたいのは飛浩隆の『廃園の天使』シリーズですが、内容の説明だけで字数食うから厳しいかも。ちなみに、電子メディアの発展による書物/身体イメージの変容については、私もちょっとした文章(日本文学協会第67回大会印象記「紙の皮膚、書物の身体」『日本文学』2013年4月号)で触れたことがあります。
独自問題は、22年「内面」、23年「絵画と文学」、24年「文学は震災に対して何ができるか」。それぞれ柄谷行人『日本近代文学の起源』、レッシング『ラオコオン』、井口時男「それでも言葉を書く」が課題文となっています。24年については既に書きました。まだ『ラオコオン』読んでないので詳しいことは書けないのですが、22年、23年と、絵画と文学との関わりや、芸術論における文学の位置づけをテーマとしているようですね。
というのも、『日本近代文学の起源』で提示される「内面」概念は、線遠近法(消失点を設定し、近いものを大きく、遠いものを小さく描く手法)との類似から語られるので。汎用性の高い概念で、何でも自分が専門とするテーマ(卒論で扱う作品とか)に適応可能だし、課題文もついているので、書きやすいと思います。
その際、線遠近法的な「内面」概念の限界にも、触れておくべきでしょう。
この流れでゆけば、映像や写真と文学との関わりを問う問題が出てきそうですが、震災を挟んで、「文学は震災に対して何ができるか」という問題が出てきたので、今後どちらの流れになるかは不明ですね。
そのうち、共通問題、独自問題とも、それぞれ一題ずつ取り上げて、詳しく論じるつもりです。
では!
すねてるのすけちゃん。目を閉じかけたので、半眼になってしまった。