※非常勤講師を勤めております前橋国際大学での授業内容を、問題のない部分のみ、ブログ上にアップすることに致しました(資料は大学のLMS上にアップしていますが、引用文など少し長めの文章を載せたものは、スマホの画面ではかなり読みにくいため。ブログ記事であればスマホ上でも何とか読めるだろうと思うので)。
すみません、今回も遅くなりました。
第6回をアップします。
はじめに
中世には、「稚児物語」という、寺院でつかえる少年「稚児」を主人公とした物語群が生まれました。
稚児が「理想化された美しさ」で、「神仏の化身」のように描かれ、「僧侶と稚児との、あるいは稚児同士の、また稚児と寺院外の女性との恋愛」を、「宗教的要素を濃くして、幻想的にかつ悲劇的に物語化した」(『日本大百科全書(ニッポニカ)』、担当徳田和夫、JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2020-06-13))稚児物語は、「王朝物語においては成立しなかった、中世のみの文学現象」「室町物語のみが表現しえた世界」(濱中修「室町時代に於ける童子の位相」『室町物語論攷』新典社、1996年)と言われています。
注目したいのが、「理想化された美しさ」で描かれる稚児は、花や紅葉にたとえられるのです。
今回は、そんな「稚児物語」の中でも一番有名な、『秋の夜長物語』を見ていきます。
【梗概】
『秋の夜長物語』は、西山の瞻西上人、もとは比叡山東塔、勧学院の律師桂海と、三井寺の稚児梅若が主人公。
桂海は石山寺に参篭し満願の夜、夢に美しい稚児の姿を見るが、その夢で見た稚児の姿が頭にこびりついて離れず、再び石山を訪ねる。その途次、三井寺のあたりで雨宿りをすると、夢に見たのとまったく同じ稚児の姿が見えた。
稚児は梅若といい、花園左大臣の子息であった。梅若君に恋い焦がれた桂海は、梅若君の側に仕える童である桂寿の手引きを得て、やがて結ばれる。
その後、梅若君は桂海に焦がれ、童の桂寿のみを連れて比叡山に赴こうとするが、その途次で天狗にさらわれ、石牢に閉じ込められてしまう。梅若が行方不明になったことに大騒ぎを始めた三井寺では、桂海がかどわかしたのだと思い込み、実家の花園左大臣も知らないはずはないと言って、花園左大臣邸を焼き討ちしてしまう。それに憤った叡山は三井寺を焼き討ちする。
その頃、梅若が閉じ込められている石牢に、新たに「淡路の翁」と名乗るものが入ってきた。「淡路の翁」は実は竜で、梅若の涙の水によって本来の姿を取り戻し、梅若たち閉じ込められた者を助け出してくれる。
ところが、梅若は実家も三井寺もすべて焼失してしまったのを見、絶望して入水する。梅若の死を受けて桂海は菩提心を起こし、遁世して名を瞻西と改めて、東山雲居寺を建立して住んだ。
「稚児物語」への評価について
ちなみにこのような稚児物語に関する研究史を、便宜的に第一期、第二期、第三期に分けるとすると、以下のように変化してきました。
第一期:(1950年~1970年頃)
この頃は、例えば市古貞二の「男色はいふまでもなく同性愛の一種であり、不自然な行為であり、変質者にみられる変態性欲」を正当化するための方便として語られたものとする評価(「児物語」『中世小説の研究』東京大学出版会、1955年)のように、同時代的な同性愛への偏見を色濃く映すものでした。
第二期:(1970年~2000年頃)
その後、「〈幼な神〉とそれを〈育むもの〉という古代物語の型」「ほとけを幻視できぬ人々の、〈稚児〉を通してみようとした人々の熱い思い」(長谷川政春「性と僧坊―稚児への祈り」『〈境界〉からの発想―旅の文学・恋の文学』新典社、1989年、初出『国文学 解釈と鑑賞』1974年1月)、「児をめぐる性愛が発端となり、児の受難によって〈聖なるもの〉が顕われる」(阿部泰郎「神秘の慈童―児物語と霊山の縁起をめぐりて」『湯屋の皇后 中世の性と聖なるもの』名古屋大学出版会、1998年。初出、『観世』1985年、10・11月)などの言葉にあらわれるように、研究のトレンドは、稚児の神聖性や信仰と関わる読解や位置づけへと変化していきました。
第三期:(現在)
現在では、稚児の実態(現実問題としてどうかということ、歴史的に考えてどう評価すべきであるかなど)とフィクションとしての読解、ジェンダー論など、より多角的な位置づけが試みられています。
例えば木村朗子は、稚児が〈産まない性〉であることに着目し、平安・鎌倉時代の(木村が主な対象とするのは、室町期よりは古い時代のもの)「〈性〉の制度」や「〈性〉の配置」と関わらせて論じます(「〈稚児〉の欲望機構―交錯するセクシュアリティ」『恋する物語のホモセクシュアリティ―宮廷社会と権力』、青土社、2008年)し、『ちごいま』という、稚児が女装して一目惚れした姫君のもとで仕える物語を考察したメリッサ・マコーミックは、『ちごいま』を「児物語が女性の視点から改作されたもの」として位置づけます(もともとは英語論文「中世の児物語における女修験者について―山、呪術、そして母なるもの」Melissa Mccormick ‟Mountains,Magic,and Mothers;Envisioning the Female Ascetic in a Medieval Chigo Tale″(Crossing the Sea;Essays on East Asian Art in Honor of Professor Yoshiki Shimizu,Princeton University Press,2012、ですが、服部友香「世界にはばたく『ちごいま』―メリッサ・マコーミック氏の論文の紹介」阿部泰郎監修、江口啓子・鹿谷祐子・末松美咲・服部友香編『室町時代の女装少年×姫(ボーイ・ミーツ・ガール)―『ちごいま』物語絵巻の世界』笠間書院、2019年から引用)。
1.『秋の夜長物語』における植物のイメージ
それでは、『秋の夜長物語』における植物のイメージを見ていきましょう。
梅若の様子は、桂海が見る夢の中や、垣間見の場面において桜にたとえられます。例えば、垣間見場面には
◇登場場面…桜
三井寺の前を過ぎけるに、降るとも知らぬ春雨の顔にほろくと懸かりければ、暫く雨宿りせんと思ひて、金堂の方へ下り行く所に聖護院の御坊の庭に、老木の花の色ことなる梢、垣に余りて雲を凝せり。(中略)門の側に立ち寄りたれば、齢二八計の児の、水魚紗の水干に薄紅の衵かさねて、腰囲ほそやかにけまはし深くみやびかなるが、見る人ありとも知らざりけるにや、御簾の内より庭に立ち出でて、雪重げに咲きたる下枝の花を一ふさ手に折りて、
降る雨に濡るとも折らん山桜雲のかへしの風もこそ吹け
とうちすさみて花の雫に濡れたる体、これも花かと迷われて、誘ふ風もやあらんとしづ心なければ、(中略)いふいふとかゝりたる髪のすそ、柳の糸にうちまとはれて引き留めたるを(462~463頁)
【口語訳】三井寺の前を過ぎたところ、降るとも知らないほどのかすかな春雨が顔にはらはらと降り懸かったので、暫く雨宿りしようと思って、金堂の方へ下り行く所の聖護院の御坊の庭で、老木で花の色がことさらに美しい梢が、垣に余って雲のようだった。(中略)門の側に立ち寄ったところ、年の頃が一六(二八というのは、二×八のこと)くらいの稚児で、水魚紗(水と魚の縫い取りのある紗)の水干に薄紅の衵をかさねて、腰まわりがほっそりとして蹴廻し(袴・衣の裾口)が深くみやびやかであるのが、見る人がいるとも知らなかったのか、御簾の内から庭に立ち出でて、雪が重たそうに咲いている(桜の)下枝の花を一ふさ手に折って、
降る雨に濡れるとしても折ろう、山桜を。雨雲を吹き返す風も吹くから。
とうちつぶやいて花の雫に濡れている様子が、これも花かと迷われて、花を誘う風もあるだろうか(稚児に心をかけて誘う僧もいるだろう)、と心が穏やかでなく、(中略)ゆうゆうとかかっている髪の裾が、柳の糸(柳の葉が細く糸のようであることを、「柳の糸」という修辞がある)のようにまつわれて引きとどめているのを
とあるように、桜にたとえられています。桜にたとえられる様子は、何となく『源氏物語』の紫の上を思わせますが、髪の毛を「柳の糸」にたとえているのは、女三の宮の様子も思わせます。
一方で、入水した亡骸が発見される場面では、「紅葉」にたとえられます。
◇遺体が発見された時の様子…紅葉
せかれてとまる紅葉は紅深き色かと見て、岩の影に流れかゝりたる物あるを、船さし寄せて見たれば、あるも空しきかほばせにて、長なる髪流れ藻に乱れかゝりて、(中略)。声も惜しまず啼き悲しめども、落花枝を辞して二度咲く習ひなく、残月西に傾いてまた中空にかへる事なければ、濡れて色こき紅梅のしほ\/としたる、雪の如くなる胸のあたり冷え果てぬ。(480~481頁)
【口語訳】流されてとまる紅葉は、紅深き色であるかと見えて、岩の影に流れかかっているものがあるのを、船をさし寄せて見たところ、あるというのも空しい(梅若君の)顔つきで、丈の長い髪が流れて藻に乱れ懸かり、(中略)。(桂海は)声も惜しまず啼き悲しんだが、枝から落ちた花が二度咲くという例はなく、西に傾いた残月がまた空の真ん中に帰ることもないので、濡れて色が濃くなった紅梅の衣がびっしょりとしていて、雪のような胸のあたりはすっかり冷えきってしまっている。
ここでは、水に濡れてぐっしょりした紅梅の衣装をまとった梅若の遺体が岩陰に流れかかっている様子が、「せかれてとまる紅葉」にたとえられています。と同時に、枝から落ちた花、西に傾いた月や、梅若=紅梅のイメージも漂います。
梅や桜、紅葉のような植物的イメージについて、「焼身往生を説く経典」を、「女人から稚児へという形を取って」「裏返し、入水往生を説く作品として」『秋の夜長物語』を位置づける阿部好臣は、「桜・花そして植物の属性を示す梅若と、雲そして水の属性を示す桂海」の対比を見、「梅若の属性は、入水することにより、木から水に転化するし、それが逆に石山観音の化身であったことをうかびあがらせる」としています(「秋の夜の長物語」三谷栄一編『体系 物語文学史 第四巻 物語文学の系譜 Ⅱ』有精堂、1989年)
ところで、木村朗子によると、稚児は〈産まない性〉でした(前掲)。その稚児に、梅や桜、紅葉のイメージが重ねられるのです。
ここでは、梅や桜、紅葉などの植物は、生殖のイメージからも離れ、女性であることも裏返されながら、美しくはかない存在を表すものとして用いられています。
☆稚児である梅若=桜のイメージ
☆稚児は〈産まない性〉(木村朗子、前掲)
☆産まない性である稚児に桜のイメージ
☆生殖のイメージからも女性であることからも離れて、美しくはかない存在を表すための桜(紅葉)
2.変奏・翻案
このような『秋の夜長物語』の翻案として、稲垣足穂の「菟」をとりあげておきましょう。
【梗概】
「私」(男性)は「私」の家の裏二階から見える部屋に住んでいる少女と親しくなる。少女は「私」も知っている、「山の人」(女性)と呼ばれる年上の女性の知り合いであり、どうやら「山の人」と恋愛関係にあるらしい。やがて少女は「山の人」とけんかして別れ、数学という共通の対象を持つ私と恋人同士となるが、彼女は結核を患いはかなく亡くなってしまう。
稲垣足穂(1900―1977)は、「天体や科学文明の利器を題材にした超現実派的な異色の作風」が特徴で、戦後は「自伝的、哲学的な傾向を強めると同時に、少年愛のテーマが前面に出てきた」(『日本大百科全書(ニッポニカ)』担当曾根博義、https://japanknowledge.com , (参照 2020-06-15))と言われていますが、その著書『少年愛の美学』(1968年)のなかで何度も、『秋の夜長物語』に言及しています。
1939年が初出の「菟」(初出時のタイトルは「柘榴の家」)は、どうやら数学者であるらしい「私」という青年と、はかなくなくなってしまう少女の物語です。「少女型自意識」の誕生と変遷を考察する高原英理の『少女領域』(国書刊行会、1999年)のなかで、「少女という機能を逃れて」として取り上げられる小説ですが、この小説はかなり明示的に『秋の夜長物語』を引用しているのです。
例えば、「私」が「何かお伽草子めく雰囲気」(79頁)を感じた場面には(『秋の夜長物語』は『お伽草子』の一つ)、「昔見し月の光をしるべにてこよいや君が西へ行くらむ。――ちょうどこの気持だった、と後日、秋夜長物語中に瞻西上人が草庵の壁に記した歌を知って、私は思い当たったものだ」(79~80頁)とあります。
さらに、「私はその途端、何云うこともなしに此世ならぬ、寂光くさいものを感じた。身をくねらせたひとの面に観音様の影が射した、と云っても差し支えない」(70頁)とか、「虱」が「千手観音」にたとえられる(75、76頁)など、観音様のイメージがあるのも、稚児梅若が観音の化身であったとされる『秋の夜長物語』を思わせますし、「私」の恋のライバルでもある女性が「山の人」と呼ばれるのも、「山」=叡山をイメージさせます。
ただしもちろん、大きな違いや、物語の裏返しもあります。
一番大きいのが、稚児から少女へ、という変化でしょう。
桜や紅葉ではなく、「うさぎ」という動物的イメージがヒロインに重ねられることも、大きな差異です(月からの連想)。
※ただし病床で「開く花が見たいのだ」と主張したことも(87頁)
この「うさぎ」のイメージについては、それはそれで考察したい部分ではあるのですが、今回は置いておきましょう。
また、『秋の夜長物語』においては僧侶と稚児であったものが、「菟」においては数学者と、深く数学に心を入れる女学生へと変わっています(末尾に前世らしき場面が描かれるのですが、そこでも二人は江戸時代の数学者です)。
この少女は、「科学はその実験室にテーブルなんか並べているから、物理のようには感服されない」「結晶した鉱物が一番偉い」(74頁)と主張するように、永遠なものへの憧れを持ちますが、その表情は、「凡そ私の頭に残っている数々の表情は、それぞれに一回きりであって、其後は何処にも取戻されない類いであった」(68頁)と語られるように、はかない一回きりのものですし、はかなく死んでしまいます。
細かく見ていけば、「山の人」に関しても、『秋の夜長物語』では桂海が叡山の僧、梅若が三井寺の稚児なので、桂海のポジションにあるのが「私」であるとするならば、ライバルである人は三井寺の僧侶にたとえられる何かであるはずで、ずらされています。
そして「観音様」にたとえられることもある少女は、『秋の夜長物語』のように菩提・遁世に導くことはなく、「菟」ではこの二人は転生を繰り返しています。
まとめ
『秋の夜長物語』においては、少年である稚児が桜や紅葉にたとえられますが、稚児は〈産まない性〉であることが指摘される存在です。『秋の夜長物語』においては、桜や紅葉のイメージは、生殖からも女性であることからも離れて、はかなく美しいものの比喩として用いられます。
『秋の夜長物語』における稚児は、女性を転換・裏返したものと指摘されることがありますが、『秋の夜長物語』を明確に踏まえる稲垣足穂の近代小説「菟」では、さらに稚児が少女へと転換されます。
ところがこの少女に対し、植物的な比喩は用いられず、彼女は「うさぎ」にたとえられています。少女は「観音様」にもたとえられますが、『秋の夜長物語』において観音の化身である稚児が菩提遁世に導くのに対し、この二人は永遠に転生し続けるのです。
【次回について】
『御伽草子』の植物:「かざしの姫君」を中心に
すみません、『御伽草子』の植物に関しても、今回扱う予定にしていましたが、量が増えて来た(というか準備が間に合わない、必要な文献が入手できていない)ため次回に回します。
したがって、次回以降の予定については、以下のように修正いたします(たびたび申し訳ありません)。
7週目…『御伽草子』の植物:「かざしの姫君」を中心に
8週目…近世文学における花のイメージ
9週目…夏目漱石『それから』
10週目…尾崎翠『第七官界彷徨』
11週目…野溝七生子『山梔』
12週目…石井桃子『幻の朱い実』およびまとめ
*引用は、『秋の夜長物語』は、岩波大系日本古典文学全集(旧大系)、「菟」は『稲垣足穂全集』七巻(筑摩書房、2001年)による。ただし私に一部改めた部分がある。
←第5回
→第7回
すみません、今回も遅くなりました。
第6回をアップします。
はじめに
中世には、「稚児物語」という、寺院でつかえる少年「稚児」を主人公とした物語群が生まれました。
稚児が「理想化された美しさ」で、「神仏の化身」のように描かれ、「僧侶と稚児との、あるいは稚児同士の、また稚児と寺院外の女性との恋愛」を、「宗教的要素を濃くして、幻想的にかつ悲劇的に物語化した」(『日本大百科全書(ニッポニカ)』、担当徳田和夫、JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2020-06-13))稚児物語は、「王朝物語においては成立しなかった、中世のみの文学現象」「室町物語のみが表現しえた世界」(濱中修「室町時代に於ける童子の位相」『室町物語論攷』新典社、1996年)と言われています。
注目したいのが、「理想化された美しさ」で描かれる稚児は、花や紅葉にたとえられるのです。
今回は、そんな「稚児物語」の中でも一番有名な、『秋の夜長物語』を見ていきます。
【梗概】
『秋の夜長物語』は、西山の瞻西上人、もとは比叡山東塔、勧学院の律師桂海と、三井寺の稚児梅若が主人公。
桂海は石山寺に参篭し満願の夜、夢に美しい稚児の姿を見るが、その夢で見た稚児の姿が頭にこびりついて離れず、再び石山を訪ねる。その途次、三井寺のあたりで雨宿りをすると、夢に見たのとまったく同じ稚児の姿が見えた。
稚児は梅若といい、花園左大臣の子息であった。梅若君に恋い焦がれた桂海は、梅若君の側に仕える童である桂寿の手引きを得て、やがて結ばれる。
その後、梅若君は桂海に焦がれ、童の桂寿のみを連れて比叡山に赴こうとするが、その途次で天狗にさらわれ、石牢に閉じ込められてしまう。梅若が行方不明になったことに大騒ぎを始めた三井寺では、桂海がかどわかしたのだと思い込み、実家の花園左大臣も知らないはずはないと言って、花園左大臣邸を焼き討ちしてしまう。それに憤った叡山は三井寺を焼き討ちする。
その頃、梅若が閉じ込められている石牢に、新たに「淡路の翁」と名乗るものが入ってきた。「淡路の翁」は実は竜で、梅若の涙の水によって本来の姿を取り戻し、梅若たち閉じ込められた者を助け出してくれる。
ところが、梅若は実家も三井寺もすべて焼失してしまったのを見、絶望して入水する。梅若の死を受けて桂海は菩提心を起こし、遁世して名を瞻西と改めて、東山雲居寺を建立して住んだ。
「稚児物語」への評価について
ちなみにこのような稚児物語に関する研究史を、便宜的に第一期、第二期、第三期に分けるとすると、以下のように変化してきました。
第一期:(1950年~1970年頃)
この頃は、例えば市古貞二の「男色はいふまでもなく同性愛の一種であり、不自然な行為であり、変質者にみられる変態性欲」を正当化するための方便として語られたものとする評価(「児物語」『中世小説の研究』東京大学出版会、1955年)のように、同時代的な同性愛への偏見を色濃く映すものでした。
第二期:(1970年~2000年頃)
その後、「〈幼な神〉とそれを〈育むもの〉という古代物語の型」「ほとけを幻視できぬ人々の、〈稚児〉を通してみようとした人々の熱い思い」(長谷川政春「性と僧坊―稚児への祈り」『〈境界〉からの発想―旅の文学・恋の文学』新典社、1989年、初出『国文学 解釈と鑑賞』1974年1月)、「児をめぐる性愛が発端となり、児の受難によって〈聖なるもの〉が顕われる」(阿部泰郎「神秘の慈童―児物語と霊山の縁起をめぐりて」『湯屋の皇后 中世の性と聖なるもの』名古屋大学出版会、1998年。初出、『観世』1985年、10・11月)などの言葉にあらわれるように、研究のトレンドは、稚児の神聖性や信仰と関わる読解や位置づけへと変化していきました。
第三期:(現在)
現在では、稚児の実態(現実問題としてどうかということ、歴史的に考えてどう評価すべきであるかなど)とフィクションとしての読解、ジェンダー論など、より多角的な位置づけが試みられています。
例えば木村朗子は、稚児が〈産まない性〉であることに着目し、平安・鎌倉時代の(木村が主な対象とするのは、室町期よりは古い時代のもの)「〈性〉の制度」や「〈性〉の配置」と関わらせて論じます(「〈稚児〉の欲望機構―交錯するセクシュアリティ」『恋する物語のホモセクシュアリティ―宮廷社会と権力』、青土社、2008年)し、『ちごいま』という、稚児が女装して一目惚れした姫君のもとで仕える物語を考察したメリッサ・マコーミックは、『ちごいま』を「児物語が女性の視点から改作されたもの」として位置づけます(もともとは英語論文「中世の児物語における女修験者について―山、呪術、そして母なるもの」Melissa Mccormick ‟Mountains,Magic,and Mothers;Envisioning the Female Ascetic in a Medieval Chigo Tale″(Crossing the Sea;Essays on East Asian Art in Honor of Professor Yoshiki Shimizu,Princeton University Press,2012、ですが、服部友香「世界にはばたく『ちごいま』―メリッサ・マコーミック氏の論文の紹介」阿部泰郎監修、江口啓子・鹿谷祐子・末松美咲・服部友香編『室町時代の女装少年×姫(ボーイ・ミーツ・ガール)―『ちごいま』物語絵巻の世界』笠間書院、2019年から引用)。
1.『秋の夜長物語』における植物のイメージ
それでは、『秋の夜長物語』における植物のイメージを見ていきましょう。
梅若の様子は、桂海が見る夢の中や、垣間見の場面において桜にたとえられます。例えば、垣間見場面には
◇登場場面…桜
三井寺の前を過ぎけるに、降るとも知らぬ春雨の顔にほろくと懸かりければ、暫く雨宿りせんと思ひて、金堂の方へ下り行く所に聖護院の御坊の庭に、老木の花の色ことなる梢、垣に余りて雲を凝せり。(中略)門の側に立ち寄りたれば、齢二八計の児の、水魚紗の水干に薄紅の衵かさねて、腰囲ほそやかにけまはし深くみやびかなるが、見る人ありとも知らざりけるにや、御簾の内より庭に立ち出でて、雪重げに咲きたる下枝の花を一ふさ手に折りて、
降る雨に濡るとも折らん山桜雲のかへしの風もこそ吹け
とうちすさみて花の雫に濡れたる体、これも花かと迷われて、誘ふ風もやあらんとしづ心なければ、(中略)いふいふとかゝりたる髪のすそ、柳の糸にうちまとはれて引き留めたるを(462~463頁)
【口語訳】三井寺の前を過ぎたところ、降るとも知らないほどのかすかな春雨が顔にはらはらと降り懸かったので、暫く雨宿りしようと思って、金堂の方へ下り行く所の聖護院の御坊の庭で、老木で花の色がことさらに美しい梢が、垣に余って雲のようだった。(中略)門の側に立ち寄ったところ、年の頃が一六(二八というのは、二×八のこと)くらいの稚児で、水魚紗(水と魚の縫い取りのある紗)の水干に薄紅の衵をかさねて、腰まわりがほっそりとして蹴廻し(袴・衣の裾口)が深くみやびやかであるのが、見る人がいるとも知らなかったのか、御簾の内から庭に立ち出でて、雪が重たそうに咲いている(桜の)下枝の花を一ふさ手に折って、
降る雨に濡れるとしても折ろう、山桜を。雨雲を吹き返す風も吹くから。
とうちつぶやいて花の雫に濡れている様子が、これも花かと迷われて、花を誘う風もあるだろうか(稚児に心をかけて誘う僧もいるだろう)、と心が穏やかでなく、(中略)ゆうゆうとかかっている髪の裾が、柳の糸(柳の葉が細く糸のようであることを、「柳の糸」という修辞がある)のようにまつわれて引きとどめているのを
とあるように、桜にたとえられています。桜にたとえられる様子は、何となく『源氏物語』の紫の上を思わせますが、髪の毛を「柳の糸」にたとえているのは、女三の宮の様子も思わせます。
一方で、入水した亡骸が発見される場面では、「紅葉」にたとえられます。
◇遺体が発見された時の様子…紅葉
せかれてとまる紅葉は紅深き色かと見て、岩の影に流れかゝりたる物あるを、船さし寄せて見たれば、あるも空しきかほばせにて、長なる髪流れ藻に乱れかゝりて、(中略)。声も惜しまず啼き悲しめども、落花枝を辞して二度咲く習ひなく、残月西に傾いてまた中空にかへる事なければ、濡れて色こき紅梅のしほ\/としたる、雪の如くなる胸のあたり冷え果てぬ。(480~481頁)
【口語訳】流されてとまる紅葉は、紅深き色であるかと見えて、岩の影に流れかかっているものがあるのを、船をさし寄せて見たところ、あるというのも空しい(梅若君の)顔つきで、丈の長い髪が流れて藻に乱れ懸かり、(中略)。(桂海は)声も惜しまず啼き悲しんだが、枝から落ちた花が二度咲くという例はなく、西に傾いた残月がまた空の真ん中に帰ることもないので、濡れて色が濃くなった紅梅の衣がびっしょりとしていて、雪のような胸のあたりはすっかり冷えきってしまっている。
ここでは、水に濡れてぐっしょりした紅梅の衣装をまとった梅若の遺体が岩陰に流れかかっている様子が、「せかれてとまる紅葉」にたとえられています。と同時に、枝から落ちた花、西に傾いた月や、梅若=紅梅のイメージも漂います。
梅や桜、紅葉のような植物的イメージについて、「焼身往生を説く経典」を、「女人から稚児へという形を取って」「裏返し、入水往生を説く作品として」『秋の夜長物語』を位置づける阿部好臣は、「桜・花そして植物の属性を示す梅若と、雲そして水の属性を示す桂海」の対比を見、「梅若の属性は、入水することにより、木から水に転化するし、それが逆に石山観音の化身であったことをうかびあがらせる」としています(「秋の夜の長物語」三谷栄一編『体系 物語文学史 第四巻 物語文学の系譜 Ⅱ』有精堂、1989年)
ところで、木村朗子によると、稚児は〈産まない性〉でした(前掲)。その稚児に、梅や桜、紅葉のイメージが重ねられるのです。
ここでは、梅や桜、紅葉などの植物は、生殖のイメージからも離れ、女性であることも裏返されながら、美しくはかない存在を表すものとして用いられています。
☆稚児である梅若=桜のイメージ
☆稚児は〈産まない性〉(木村朗子、前掲)
☆産まない性である稚児に桜のイメージ
☆生殖のイメージからも女性であることからも離れて、美しくはかない存在を表すための桜(紅葉)
2.変奏・翻案
このような『秋の夜長物語』の翻案として、稲垣足穂の「菟」をとりあげておきましょう。
【梗概】
「私」(男性)は「私」の家の裏二階から見える部屋に住んでいる少女と親しくなる。少女は「私」も知っている、「山の人」(女性)と呼ばれる年上の女性の知り合いであり、どうやら「山の人」と恋愛関係にあるらしい。やがて少女は「山の人」とけんかして別れ、数学という共通の対象を持つ私と恋人同士となるが、彼女は結核を患いはかなく亡くなってしまう。
稲垣足穂(1900―1977)は、「天体や科学文明の利器を題材にした超現実派的な異色の作風」が特徴で、戦後は「自伝的、哲学的な傾向を強めると同時に、少年愛のテーマが前面に出てきた」(『日本大百科全書(ニッポニカ)』担当曾根博義、https://japanknowledge.com , (参照 2020-06-15))と言われていますが、その著書『少年愛の美学』(1968年)のなかで何度も、『秋の夜長物語』に言及しています。
1939年が初出の「菟」(初出時のタイトルは「柘榴の家」)は、どうやら数学者であるらしい「私」という青年と、はかなくなくなってしまう少女の物語です。「少女型自意識」の誕生と変遷を考察する高原英理の『少女領域』(国書刊行会、1999年)のなかで、「少女という機能を逃れて」として取り上げられる小説ですが、この小説はかなり明示的に『秋の夜長物語』を引用しているのです。
例えば、「私」が「何かお伽草子めく雰囲気」(79頁)を感じた場面には(『秋の夜長物語』は『お伽草子』の一つ)、「昔見し月の光をしるべにてこよいや君が西へ行くらむ。――ちょうどこの気持だった、と後日、秋夜長物語中に瞻西上人が草庵の壁に記した歌を知って、私は思い当たったものだ」(79~80頁)とあります。
さらに、「私はその途端、何云うこともなしに此世ならぬ、寂光くさいものを感じた。身をくねらせたひとの面に観音様の影が射した、と云っても差し支えない」(70頁)とか、「虱」が「千手観音」にたとえられる(75、76頁)など、観音様のイメージがあるのも、稚児梅若が観音の化身であったとされる『秋の夜長物語』を思わせますし、「私」の恋のライバルでもある女性が「山の人」と呼ばれるのも、「山」=叡山をイメージさせます。
ただしもちろん、大きな違いや、物語の裏返しもあります。
一番大きいのが、稚児から少女へ、という変化でしょう。
桜や紅葉ではなく、「うさぎ」という動物的イメージがヒロインに重ねられることも、大きな差異です(月からの連想)。
※ただし病床で「開く花が見たいのだ」と主張したことも(87頁)
この「うさぎ」のイメージについては、それはそれで考察したい部分ではあるのですが、今回は置いておきましょう。
また、『秋の夜長物語』においては僧侶と稚児であったものが、「菟」においては数学者と、深く数学に心を入れる女学生へと変わっています(末尾に前世らしき場面が描かれるのですが、そこでも二人は江戸時代の数学者です)。
この少女は、「科学はその実験室にテーブルなんか並べているから、物理のようには感服されない」「結晶した鉱物が一番偉い」(74頁)と主張するように、永遠なものへの憧れを持ちますが、その表情は、「凡そ私の頭に残っている数々の表情は、それぞれに一回きりであって、其後は何処にも取戻されない類いであった」(68頁)と語られるように、はかない一回きりのものですし、はかなく死んでしまいます。
細かく見ていけば、「山の人」に関しても、『秋の夜長物語』では桂海が叡山の僧、梅若が三井寺の稚児なので、桂海のポジションにあるのが「私」であるとするならば、ライバルである人は三井寺の僧侶にたとえられる何かであるはずで、ずらされています。
そして「観音様」にたとえられることもある少女は、『秋の夜長物語』のように菩提・遁世に導くことはなく、「菟」ではこの二人は転生を繰り返しています。
まとめ
『秋の夜長物語』においては、少年である稚児が桜や紅葉にたとえられますが、稚児は〈産まない性〉であることが指摘される存在です。『秋の夜長物語』においては、桜や紅葉のイメージは、生殖からも女性であることからも離れて、はかなく美しいものの比喩として用いられます。
『秋の夜長物語』における稚児は、女性を転換・裏返したものと指摘されることがありますが、『秋の夜長物語』を明確に踏まえる稲垣足穂の近代小説「菟」では、さらに稚児が少女へと転換されます。
ところがこの少女に対し、植物的な比喩は用いられず、彼女は「うさぎ」にたとえられています。少女は「観音様」にもたとえられますが、『秋の夜長物語』において観音の化身である稚児が菩提遁世に導くのに対し、この二人は永遠に転生し続けるのです。
【次回について】
『御伽草子』の植物:「かざしの姫君」を中心に
すみません、『御伽草子』の植物に関しても、今回扱う予定にしていましたが、量が増えて来た(というか準備が間に合わない、必要な文献が入手できていない)ため次回に回します。
したがって、次回以降の予定については、以下のように修正いたします(たびたび申し訳ありません)。
7週目…『御伽草子』の植物:「かざしの姫君」を中心に
8週目…近世文学における花のイメージ
9週目…夏目漱石『それから』
10週目…尾崎翠『第七官界彷徨』
11週目…野溝七生子『山梔』
12週目…石井桃子『幻の朱い実』およびまとめ
*引用は、『秋の夜長物語』は、岩波大系日本古典文学全集(旧大系)、「菟」は『稲垣足穂全集』七巻(筑摩書房、2001年)による。ただし私に一部改めた部分がある。
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