人形と動物の文学論

人形表象による内面表現を切り口に、新しい文学論の構築を目指す。研究と日常、わんことの生活、そしてブックレビュー。

子供の頃の感覚について:森茉莉「幼い日々」

2014-08-24 11:47:28 | 書評の試み
子供の頃の感覚を言葉にするのは難しい。
子供の頃は、言語によって世界を分節化する能力が未熟だったし、けれども今とは何か違う感覚世界を生きていたから。

うちの中できょうだいでいろいろな物語を作り、遊んでいた幸福な時間と、よく分からないルールで動いている学校の、不条理な時間。

死んだらどうなるのかな、とか、時間って何なのかな、とか。
今はもう全部終わっていて、ただそれを思い出しているだけなんじゃないのかな…とか、今よりずっと抽象的なことを考えていたように思う。

『甘い蜜の部屋』については以前このブログでも触れたことがあるし、論文も二本ほど書いたことがあるので、ここでその内容について詳しく述べることはしないが、いつ終わるともしれない幼い日々の、幸福な時間を言語化しえている点でも森茉莉の文学作品は稀有だと思われる。

その特徴が最も顕著に表れている作品の一つに、「幼い日々」があるだろう。

まっすぐに続く時間ではなく、何か水あめとか蜂蜜のようなものでできた時間の中を生きる感覚。
すべてのものが薄いくもり硝子のようなものを通して入ってくる。

 小さい時の思ひ出を書かうとすると何から書いていいか分らなくて、ただ一時に或る一つの世界が心の底に、拡がつて、くる。(8頁)

と書きながら森茉莉は、「帰るだらう父を待ち、母を恋して暮した」、「長い長い、幸福な日々」(41頁)をみごとに特権化しえている。

それがやがて終わることを知っている私たちは、ほんのりとした切なさを感じる。

私の幼い日々は、いつ終わってしまったのだろう。
いつかこんな風に、それを言語化することができるだろうか。

*引用は『森茉莉全集1』(筑摩書房、1993年)による。




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