※非常勤講師を勤めております前橋国際大学での授業内容を、問題のない部分のみ、ブログ上にアップすることに致しました(資料は大学のLMS上にアップしていますが、引用文など少し長めの文章を載せたものは、スマホの画面ではかなり読みにくいため。ブログ記事であればスマホ上でも何とか読めるだろうと思うので)。
今回は上代の文学、『古事記』と『万葉集』の、花のイメージについて考えていきます。
と言っても、『古事記』や『万葉集』で花はたくさん描かれる・詠まれるので、そのほんの一端ですが…。
1.『古事記』石長比売と木花之佐久夜毘売
『古事記』に関しては、石長比売と木花之佐久夜毘売の話を取り上げます。姉の石長比売が石=永遠を象徴し、妹の木花之佐久夜毘売が花(桜)=繁栄を象徴するとされていて、『源氏物語』にも影響を与え、現代文学などでも踏まえられることのある有名なお話です。
【概要】石長比売は妹の木花之佐久夜毘売とともに瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に献上されたが、醜いために返され、その結果、石長比売に託されていた長寿の呪力を瓊瓊杵尊以下の天皇は失った。一方木花之佐久夜毘売は一夜で妊娠したが、瓊瓊杵尊に国つ神の子である(自分の子である)疑いを持たれたため、天神(あまつかみ、瓊瓊杵尊)の子であるならば災いなしと誓約をたてて、産屋を焼き火中で三人の子供を出産する。
(参考:『日本国語大辞典』『日本大百科全書』)
それでは早速、『古事記』の本文(と言っても入力が大変なので書き下しからですが)を見てみましょう。
『古事記』
是(ここ)に、天津日高日子番能邇々芸能命(あまつひたかひこほのににぎのみこと)、笠沙(かささ)の御前(みさき)にして、麗(うるは)しき美人(をとめ)に遇(あ)ひき。(中略)故(かれ)、其(そ)の父大山津見神(おおやまつみのかみ)に乞(こ)ひに遣(や)りし時に、大きに歓喜(よろこ)びて、其の姉(あね)石長比売(いはながひめ)を副(そ)へ、百取(ももとり)の机代(つくえしろ)の物を持たしめて、奉(まつ)り出(い)だしき。故(かれ)爾(しか)くして、其の姉は、甚(いと)凶醜(みにく)きに因(よ)りて、見(み)畏(かしこ)みて返(かへ)し送(おく)り、唯(ただ)に其の弟(おと)木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)のみを留(とど)めて、一宿(ひとよ)、婚(あひ)を為(し)き。
爾(しか)くして、大山津見神、石長比売を返ししに因(よ)りて、大(おほ)きに恥ぢ、白(まを)し送(おく)りて言ひしく、「我(あ)が女(むすめ)二(ふたり)並(とも)に立(た)て奉(まつ)りし由(ゆゑ)は、石長比売を使(つか)はば、天つ神御子(みこ)の命(いのち)は、雪(ゆき)零(ふ)り風(かぜ)吹くとも、恒(つね)に石(いは)の如(ごと)くして、常(ときは)に堅(かちは)に動(うご)かず坐(いま)さむ、亦(また)、木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)を使(つか)はば、木(こ)の花の栄ゆるが如く栄(さか)え坐(ま)さむとうけひて、貢進(たてまつ)りき。此(か)く、石長比売(いはながひめ)を返(かへ)らしめて、独(ひと)り木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)のみを留(とど)むるが故に、天(あま)つ神(かみ)御子(みこ)の御寿(みいのち)は、木(こ)の花のあまひのみ坐(いま)さむ」といひき。(中略)
故(かれ)、後(のち)に木花之佐久夜毘売、参(ま)ゐ出(い)でて白(まを)ししく、「妾(あれ)は、妊身(はら)みぬ。今、産(う)む時(とき)に臨(のぞ)みて、是(こ)の天つ神の御子は、私(わたくし)に産むべくあらぬが故(ゆゑ)に、請(まを)す」とまをしき。爾(しか)くして、詔(のりたま)ひしく、「佐久夜毘売、一宿(ひとよ)にや妊(はら)みぬる。是(これ)は、我(あ)が子に非(あら)じ。必ず国つ神の子ならむ」とのりたまひき。(中略)「吾(あ)が妊(はら)める子、若(も)し国つ神の子ならば、産(う)む時に幸(さき)くあらじ。若(も)し天つ神の御子ならば、幸(さき)くあらむ」とまをして、即(すなは)ち戸無き八尋殿(やひろどの)を作り、其(そ)の殿(との)の内(うち)に入(い)り、土(つち)を以(もち)て塗(ぬ)り塞(ふさ)ぎて、方(まさ)に産まむとする時に、火を以(もち)て其(そ)の殿(との)に著(つ)けて産みき。故(かれ)、其の火の盛(さか)りに焼(も)ゆる時に生める子の名は、火照命(ほでりのみこと)〈割注略〉。次に、生みし子の名は、火須勢理命(ほすせりのみこと)。次に、生みし子の御名(みな)は、火遠理命(ほをりのみこと)、亦(また)の名は、天津日高日子穂々手見命(あまつひたかひこほほでみのみこと)〈三柱(みはしら)〉。 (120~123頁)
【口語訳】 さて、天津日高日子番能邇々芸能命は、笠沙の御前で、美しい乙女に出会った。(中略、天津日高日子番能邇々芸能命が乙女にその名前ときょうだいがいるかを聞き、乙女に結婚したいと言うが、乙女が父に聞かなければ答えられないと言う)そこで、その父大山津見神に願い求めて使いを送ったところ、大山津見神はたいへん喜んで、その姉の石長比売とともに、たくさんの結納の品物を持たせて、差し出した。そこでそうして、その姉は、たいへん容貌が醜かったため、邇々芸能命は見て恐れて送り返し、ただその妹の木花之佐久夜毘売だけを留めて、一晩の交わりをもった。
それから、大山津見神は、石長比売を返されたことによって、大変恥ずかしく思い、申し送って言ったことには、「私の娘を二人共に差し上げたのは、石長比売を召しつかったならば、天の神様である御子の命は、雪が降り、風が吹いたとしても、常に石のように、不変盤石に動かないでいらっしゃるだろう、また、木花之佐久夜毘売を召しつかったならば、木の花(桜)の繁栄するように栄えるだろうと誓いを立てて、差し上げた。このように、石長比売を返させて、独り木花之佐久夜毘売だけを留めたために、天の神様である御子の御寿命は、木の花のように短い時間でいらっしゃるだろう」と言った。(中略)
それから、後に木花之佐久夜毘売、参上して申したことには、「私は、妊娠した。今、産む時に臨んで、この天の神様の御子は、うちうちに産むべきではないために、申し上げる」と申し上げた。このようにして、邇々芸能命がおっしゃったことには、「佐久夜毘売は、一晩で妊娠してしまったのか。これは、自分の子ではないだろう。きっと国の神の子であるだろう」とおっしゃった。木花之佐久夜毘売は、「私が妊娠した子供が、もし国の神の子であるならば、出産するときに無事ではないだろう。もし天の神の御子であるならば、無事であろう」と申し上げて、すぐに戸のない八尋殿(高い神聖な建物)を作り、その建物の中に入り、土で戸を塗りふさいで、今まさに出産するときに、火をその建物につけて産んだ。そして、火が盛んに燃えているときに生んだ子の名前は、火照命。次に、生んだ子の名前は、火須勢理命。次に、生んだ子のお名前は、火遠理命、またの名は、天津日高日子穂々手見命。
※古代には、姉妹で同じ男性と結婚することがあった。
※『日本書紀』(本編のほう)では、石長比売は登場せず。
※『日本書紀』一書においては、父の大山津見神ではなく、石長比売自身が「大(おほ)きに慙(は)ぢて詛(とご)ひて」(141頁)、また一書に「恥(は)ぢ恨(うら)みて唾(つば)き泣(な)きて」(141頁)、自分を返したため、天皇の一族は木の花のようにはかない命になる、と言っている。また別の一書(第三)には、「及(また)母(はは)も少しも損(そこ)なふ所(ところ)無し」ということ、竹刀でもってへその緒を切り、その竹刀を捨てるとそこが竹林になったことが書かれている(143頁)。
ここで木花之佐久夜毘売は一夜にして三人もの子供を妊娠しているので、まさに豊穣な繁殖力を示しています(しかも火を放っても無事出産)。
木花之佐久夜毘売が花(桜)=豊穣、石長比売が石(鉱石)=永遠を象徴していると言うことに関しては、例えば金井清一「石長比売と木花之佐久夜毘売―神話に見る女の美と醜―」(『国文学 解釈と鑑賞』1987年11月号)
・ フレーザーによってバナナタイプと名づけられたところの、広く太平洋地域に分布する人間の死の起源を説く神話(30頁)
・ 神来迎の場所としての聖なる岩石と樹木とが、そのイメージを神迎えの巫女に移したとき、樹木は木花となって豊穣の栄えを象徴し、対するに岩石は永生の象徴(33~34頁)
・ 穀霊ニニギは自らの機能を発揮すべく適切な女性としてサクヤビメを選んだ(34頁)
・ イワナガヒメを醜いと述べるのは古事記と書紀の第二の一書(同)
など、様々に指摘されているのですが、面白いのが、石(鉱石)には、近現代文学を見ても、独身者的イメージが強いことでしょう。
例えば鉱石を好み、作品中でも様々な功績が描かれる宮沢賢治は一生独身でしたし、だいぶん時代は現代になりますが、同じく鉱石を好んで描く、長野まゆみの小説に登場する少年のイメージなどを思い浮かべてもよいでしょう。
〔後代の変奏〕
この話は後代の物語にも取り入れられていて、たとえば『源氏物語』では、容貌の醜さが描かれる末摘花について、石長比売のイメージがあると言われています。
・『源氏物語』の末摘花
まづ居丈の高く、を背長に見え給ふに、さればよと胸つぶれぬ。うちつぎて、あなかたはと見ゆるものは鼻なりけり。ふと目ぞとまる。普賢菩薩の乗物とおぼゆ。あさましう高うのびらかに、先の方少し垂りて色づきたること、ことのほかにうたてあり。色は雪はづかしく白うてさをに、額つきこよなうはれたるに、なほ下がちなる面やうは、大方おどろおどろしう長きなるべし。痩せたまへること、いとほしげにさらぼひて、肩のほどなどは、痛げなるまで衣の上まで見ゆ。(中略)
頭つき、髪のかゝりはしも、うつくしげに、めでたしと思ひきこゆる人くにもをさく劣るまじう、袿の裾にたまりて引かれたるほど、一尺ばかりあまりたらむと見ゆ。(末摘花、1巻224~225頁)
【口語訳】まず座った丈が高く、座高が長くお見えになるのに、そうであったよと、胸がつぶれる。続いて、ああみっともないと見えるのは鼻である。ふと目が留まる。普賢菩薩の乗物(象)のようである。驚きあきれるほどに高く長く、先のほうが少し垂れて赤く色づいていることが、ことのほかにひどい。顔色は雪が恥ずかしいと思うくらい青白く、額がはれて高く、それでもなお下のほうほど長くなっているような顔だちは、だいたい恐ろしく長いのであろう。痩せていることは可哀想になるくらいで、肩の様子などは衣の上からでも痛々しく見える。
頭のかたち、髪のかかった端のほうも、美しく、素晴らしいと思い申し上げる人々にもほとんど劣りはすまい、袿の裾に一尺(約30センチメートル)ばかりあまっているように見える。
末摘花は、容貌の醜さが描写されるとともに、古風な性格をしており、桜にたとえられる若紫と対比的に描かれます。それとともに、光源氏の須磨流離中も待ち続ける動かなさ、盤石さがあるので、先行研究では、例えば平沢竜介「『源氏物語』と『古事記』日向神話―潜在王権の基軸―」(『王朝文学の始発』笠間書院、2009年、初出『古代中世文学論集』15集、2005年)が、
『源氏物語』では、光源氏は醜い末摘花まで受け容れる。このことは源氏の美質を語るとともに、石長比売に比定される末摘花をも受け容れることで、(中略)、彼の栄華が絶対、不動のものとなることを意味する狙いがあったと思われる。(中略)このように見てくると、『源氏物語』は石長比売、木花之佐久夜毘売の姉妹をモチーフにして、末摘花、紫の上を造型したと想像される。(377頁)
などと指摘しています(もっとほかにもあったと思うのですが、ちょっと発掘できませんでした、すみません)。
・京極夏彦『絡新婦の理』(講談社、1996年)
だいぶん時代は飛びますが、この話は、現代小説の中にも取り入れられています。
例えば、京極夏彦『絡新婦の理』。『絡新婦の理』は、鳥山石燕の『画図百鬼夜行』に描かれる妖怪をモチーフとする、「百鬼夜行シリーズ」の第四作です。「百鬼夜行シリーズ」では、古本屋にして陰陽師の京極堂こと中禅寺秋彦、作家の関口巽、探偵の榎木津礼二郎、刑事の木場修太郎などが登場し、京極堂が「憑き物落し」をするのですが、本作では1953年の房総半島、女学校である聖ベルナール女学院と、織作家という旧家が舞台となります。このなかで、織作家の姉妹(四姉妹)に石長比売、木花之佐久夜毘売が重ねられているのです。
例えば、本シリーズはいわゆる普通の探偵小説における探偵役にあたる、京極堂が様々な蘊蓄を述べていくのですが、その中で明確に石長比売と木花之佐久夜毘売の物語に言及しています。
京極堂はこの話を母系社会と家父長制の葛藤として見て、石長比売が返されたとある部分について、
「――そして長女は永遠に家から出ない」(741頁)「姉神は返されたのではなく、貰えなかった」「そこで、醜いからこっちから返したのだ――と云う自尊心を賭けた弁解をつけ加えた」
などと解釈しています。あるいは、木花之佐久夜毘売が出産時に火を放ったことについては、
木花佐久夜毘売はそう(自分の子ではないのではないか、と。引用者注)云われても物怖じすることなく、これが貴方の子でないのなら、産むときに幸はないと云って産屋に火を放ち、三柱の神を産む。これは男の側から見れば抗議行動ですが女にしてみれば確信犯でしかない。生まれて来るのが誰の子か――解らないのは男だけです。(745頁)
と言っています。
織作家の三女の葵がフェミニストという設定で、京極堂は彼女に対する「憑き物落とし」として説明している面もあるのですが、これが1953年当時のフェミニズムや神話学、文化人類学をどの程度意識して、どの程度アレンジしているものなのかはちょっと調べていません(すみません)。
また、母系一族で豊穣な繁殖力を求められる一族の中にあって、「半陰陽」で「医学的には」「男性」、
主義主張や思想とは無関係に――生殖行為が出来ぬ女なのです。妊娠出産と云う、幾重にも女性を縛るメカニズムが本来的に欠落しているのです。(793頁)
と言う葵には、結婚しない石長比売のイメージも重ねられているかもしれません。一方で結末まで唯一生き残る次女の茜は、
「あなたは漸く石長比売から木花佐久夜毘売へと、その姿を転じた訳ですね」
桜色の女は少し首を傾けて、さあ、どうなのでしょうか――と、柔らかい声で答えた。(828頁)
というやり取りがあるように、結末に至って、石長比売から木花之佐久夜毘売へとイメージが転換しています。
・はらだ有彩「花とヤバい女の子 コノハナノサクヤヒメ(古事記/日本書紀)」
フィクションではありませんが、はらだ有彩のエッセイ「花とヤバい女の子 コノハナノサクヤヒメ(古事記/日本書紀)」(『日本のヤバい女の子 静かなる抵抗』柏書房、2019年)のなかでも、この話が取り上げられています。このエッセイは、昔話や古典に登場する女性をモチーフとしながら、女性のしんどさを考えていくもので、もともとの物語との距離の取り方がちょっと独特で、アダプテーションについて考える上でも面白い本です。
はらだはこの話を分かりやすくて読みやすい現代語で説明した後、2015年3月に公開になって炎上したルミネのCMを取り上げながら、「職場の花。(中略)なぜか花は圧倒的に女性と結び付けられる。なぜだろう?」(194頁)と問いかけます。そして、花=容姿の華やかさという比喩を、
サボっていたら花にはなれない、花になれるよう変わりたいと思うことが正しい、というメッセージをルミネのCMは発信した。イワナガヒメはサボっていたから醜いと言われ、花になれなかったから拒絶されたのだろうか。というか、そもそも花にならなければいけないのだろうか。(中略)
花がヒトのためにうつくしく咲いていると考えるのがお門違いなら、石はヒトの目にうつくしくないから価値が低いという発想もお門違いだ。イワナガヒメは盤石さを司る鉱物の象徴としてニニギのもとへ出向いたにもかかわらず、花として来たことにされていた。(195頁)
として、現代に生きる女性に対する、「美しくあれ」という呪いの問題と結びつけて考えます。
ついでに木花之佐久夜毘売が出産時に火を放ったことについては(まあ現代風に考えたらダメな男でしかないよね、なニニギに対して)、
ナメられたままでこの先も関係を続けていくことは不可能だ。彼女は尊厳を守るために火を放ったのかもしれない。(197頁)
と、考えています。
こんな風に、花=繁栄=美しさを象徴する木花之佐久夜毘売と、石=永遠性を象徴する石長比売の物語は、後代の物語や現代小説、エッセイにも様々に取り入れられています。
『源氏物語』末摘花は、(桜=木花之佐久夜毘売である紫の上に対し)石長比売のイメージが重ねられており、光源氏の権力に盤石さをもたらすと指摘されています。
現代の探偵・妖怪小説『絡新婦の理』のなかでは、母系社会と家父長制の葛藤の物語と解釈されながら、姉妹モチーフとして取り入れられています。エッセイ『ヤバい日本の女の子』のなかでは、この物語について考えることで、美しくあれ、という女性に対する抑圧(呪い)のかたちを浮かび上がらせています。
2.『万葉集』におけるなでしこ
「なでしこ」
ナデシコ科の多年草。山野に自生し、淡紅色の花が咲くカワラナデシコがその代表ともいうべきもの。中国から伝わった石竹を「からなでしこ」というのに対しては、「やまとなでしこ」と使われた。その可憐な姿から、『万葉集』にもよく詠まれ、二六首が数えられる。
(『歌ことば歌枕大辞典』 )
なでしこが詠まれる歌は、万葉集の中で26首もあるので、ちょっと今回の授業の中では全部取り上げられません。私は特に家持のなでしこ歌が気になっているので、家持とか家持周辺の人たちの歌を中心に取り上げますが、それもほんの一部です。
『万葉集』におけるなでしこ(一部)
(巻第八)大伴家持が石竹(なでしこ)の花歌一首
1496 我がやどのなでしこの花盛りなり手折りて一目見せむ児もがも
【口語訳】私の庭のなでしこの花が盛りである。手折って一目みせてやれるような子がいたらよいのに。
ここでは、「我がやど」のなでしこが詠みこまれており、特に誰かがたとえられているということはないようです。ですが、なでしこを見せてあげられる子がいれば…ということで、子供のイメージはあるのでしょう。
(巻第八)大伴家持が紀女郎(きのいらつめ)に贈る歌一首
1510 なでしこは咲きて散りぬと人は言へど我が標(し)めし野の花にあらめやも
【口語訳】なでしこは咲いて散った(=女性が心変わりをした)と人は言うが、私がしるしをつけておいた野の花(=あなた)ではよもやないだろうね。
ここでは、「我が標めし野」にあるなでしこの花、ということで、自分と恋人関係にある女性をさしています。「標む」とは、野などに印をつけて自分の場所であることを主張する、という意味です。
(巻第八)笠女郎(かさのいらつめ)が大伴宿彌家持に贈る歌一首
1616 朝ごとに我が見るやどのなでしこが花にも君はありこせぬかも
【口語訳】毎朝私が見る庭のなでしこの花でもあなたはあってほしいのに。
ここでは家持が「宿のなでしこ」であってくれたらいいのに、と思われているので、なでしこによそえられるのは男性です。
(巻第十七)
4010 うら恋し我が背の君はなでしこが花にもがもな朝な朝な見む
右、大伴宿彌池主が報(かへ)し贈る和(こた)への歌。五月二日
【口語訳】恋しく思う私の恋人はなでしこの花でもあってくれたらよいのに、毎朝見よう。
右は、大伴宿彌池主が(家持に)返し贈る唱和の歌である。五月二日。
これは、前の家持の贈歌を切ってしまったので分かりにくいかもしれませんが、男性官人同士の贈答です。あたかも恋人同士であるかのようにして詠んで、親しみを表現するもので、家持や家持周辺の男性官人たちは、よくこういう歌を詠んでいました。
送り主の池主も、「我が背の君」と呼び掛けられる家持も男性ですが、恋の贈答歌を偽装した歌ですので、どちらかが女性役になっているのかもしれません(し、男性同士のままなのかも)。なので、ここでのなでしこが女性イメージなのか男性イメージなのかは、もう少し調べてみないとわかりません。
(巻第十八)反歌二首
4114 なでしこが花見るごとに娘子(をとめ)らが笑(ゑ)まひのにほひ思ほゆるかも
(4115番歌略)
同じ閏五月二十六日に、大伴宿彌家持作る。
【口語訳】なでしこの花を見るたびに、女性(ここでは妻の坂上大嬢)の笑みの美しさが思い出されるよ。
ここではなでしこの花が女性の顔にたとえられています。なでしこの花がパッと開いている様子は、よく人の顔に見立てられるようです。「娘子」(をとめ)とあるのは、この歌の前の長歌から、妻の坂上大嬢であることが分かります。
こんな風に、家持関係の「なでしこ」の歌は、「我が宿」のなでしこを詠むものが多く、そして現代では女性のイメージが強いのですが、男性がたとえられることも、女性がたとえられることもあるようです。
次回は少し『古今集』や『後撰集』のなでしこも見た後で、『源氏物語』のなでしこについて考えてみたいと思います。
また、『源氏物語』の中で私が特に中心的に扱ってきた人物である女三の宮について、季節のイメージとの関係を考えます。
※引用は、『古事記』『日本書紀』『万葉集』は新編日本古典文学全集(小学館)、『源氏物語』は新日本古典文学大系(岩波書店)、『絡新婦の理』は講談社NOVELS版(1996年)。
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今回は上代の文学、『古事記』と『万葉集』の、花のイメージについて考えていきます。
と言っても、『古事記』や『万葉集』で花はたくさん描かれる・詠まれるので、そのほんの一端ですが…。
1.『古事記』石長比売と木花之佐久夜毘売
『古事記』に関しては、石長比売と木花之佐久夜毘売の話を取り上げます。姉の石長比売が石=永遠を象徴し、妹の木花之佐久夜毘売が花(桜)=繁栄を象徴するとされていて、『源氏物語』にも影響を与え、現代文学などでも踏まえられることのある有名なお話です。
【概要】石長比売は妹の木花之佐久夜毘売とともに瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に献上されたが、醜いために返され、その結果、石長比売に託されていた長寿の呪力を瓊瓊杵尊以下の天皇は失った。一方木花之佐久夜毘売は一夜で妊娠したが、瓊瓊杵尊に国つ神の子である(自分の子である)疑いを持たれたため、天神(あまつかみ、瓊瓊杵尊)の子であるならば災いなしと誓約をたてて、産屋を焼き火中で三人の子供を出産する。
(参考:『日本国語大辞典』『日本大百科全書』)
それでは早速、『古事記』の本文(と言っても入力が大変なので書き下しからですが)を見てみましょう。
『古事記』
是(ここ)に、天津日高日子番能邇々芸能命(あまつひたかひこほのににぎのみこと)、笠沙(かささ)の御前(みさき)にして、麗(うるは)しき美人(をとめ)に遇(あ)ひき。(中略)故(かれ)、其(そ)の父大山津見神(おおやまつみのかみ)に乞(こ)ひに遣(や)りし時に、大きに歓喜(よろこ)びて、其の姉(あね)石長比売(いはながひめ)を副(そ)へ、百取(ももとり)の机代(つくえしろ)の物を持たしめて、奉(まつ)り出(い)だしき。故(かれ)爾(しか)くして、其の姉は、甚(いと)凶醜(みにく)きに因(よ)りて、見(み)畏(かしこ)みて返(かへ)し送(おく)り、唯(ただ)に其の弟(おと)木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)のみを留(とど)めて、一宿(ひとよ)、婚(あひ)を為(し)き。
爾(しか)くして、大山津見神、石長比売を返ししに因(よ)りて、大(おほ)きに恥ぢ、白(まを)し送(おく)りて言ひしく、「我(あ)が女(むすめ)二(ふたり)並(とも)に立(た)て奉(まつ)りし由(ゆゑ)は、石長比売を使(つか)はば、天つ神御子(みこ)の命(いのち)は、雪(ゆき)零(ふ)り風(かぜ)吹くとも、恒(つね)に石(いは)の如(ごと)くして、常(ときは)に堅(かちは)に動(うご)かず坐(いま)さむ、亦(また)、木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)を使(つか)はば、木(こ)の花の栄ゆるが如く栄(さか)え坐(ま)さむとうけひて、貢進(たてまつ)りき。此(か)く、石長比売(いはながひめ)を返(かへ)らしめて、独(ひと)り木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)のみを留(とど)むるが故に、天(あま)つ神(かみ)御子(みこ)の御寿(みいのち)は、木(こ)の花のあまひのみ坐(いま)さむ」といひき。(中略)
故(かれ)、後(のち)に木花之佐久夜毘売、参(ま)ゐ出(い)でて白(まを)ししく、「妾(あれ)は、妊身(はら)みぬ。今、産(う)む時(とき)に臨(のぞ)みて、是(こ)の天つ神の御子は、私(わたくし)に産むべくあらぬが故(ゆゑ)に、請(まを)す」とまをしき。爾(しか)くして、詔(のりたま)ひしく、「佐久夜毘売、一宿(ひとよ)にや妊(はら)みぬる。是(これ)は、我(あ)が子に非(あら)じ。必ず国つ神の子ならむ」とのりたまひき。(中略)「吾(あ)が妊(はら)める子、若(も)し国つ神の子ならば、産(う)む時に幸(さき)くあらじ。若(も)し天つ神の御子ならば、幸(さき)くあらむ」とまをして、即(すなは)ち戸無き八尋殿(やひろどの)を作り、其(そ)の殿(との)の内(うち)に入(い)り、土(つち)を以(もち)て塗(ぬ)り塞(ふさ)ぎて、方(まさ)に産まむとする時に、火を以(もち)て其(そ)の殿(との)に著(つ)けて産みき。故(かれ)、其の火の盛(さか)りに焼(も)ゆる時に生める子の名は、火照命(ほでりのみこと)〈割注略〉。次に、生みし子の名は、火須勢理命(ほすせりのみこと)。次に、生みし子の御名(みな)は、火遠理命(ほをりのみこと)、亦(また)の名は、天津日高日子穂々手見命(あまつひたかひこほほでみのみこと)〈三柱(みはしら)〉。 (120~123頁)
【口語訳】 さて、天津日高日子番能邇々芸能命は、笠沙の御前で、美しい乙女に出会った。(中略、天津日高日子番能邇々芸能命が乙女にその名前ときょうだいがいるかを聞き、乙女に結婚したいと言うが、乙女が父に聞かなければ答えられないと言う)そこで、その父大山津見神に願い求めて使いを送ったところ、大山津見神はたいへん喜んで、その姉の石長比売とともに、たくさんの結納の品物を持たせて、差し出した。そこでそうして、その姉は、たいへん容貌が醜かったため、邇々芸能命は見て恐れて送り返し、ただその妹の木花之佐久夜毘売だけを留めて、一晩の交わりをもった。
それから、大山津見神は、石長比売を返されたことによって、大変恥ずかしく思い、申し送って言ったことには、「私の娘を二人共に差し上げたのは、石長比売を召しつかったならば、天の神様である御子の命は、雪が降り、風が吹いたとしても、常に石のように、不変盤石に動かないでいらっしゃるだろう、また、木花之佐久夜毘売を召しつかったならば、木の花(桜)の繁栄するように栄えるだろうと誓いを立てて、差し上げた。このように、石長比売を返させて、独り木花之佐久夜毘売だけを留めたために、天の神様である御子の御寿命は、木の花のように短い時間でいらっしゃるだろう」と言った。(中略)
それから、後に木花之佐久夜毘売、参上して申したことには、「私は、妊娠した。今、産む時に臨んで、この天の神様の御子は、うちうちに産むべきではないために、申し上げる」と申し上げた。このようにして、邇々芸能命がおっしゃったことには、「佐久夜毘売は、一晩で妊娠してしまったのか。これは、自分の子ではないだろう。きっと国の神の子であるだろう」とおっしゃった。木花之佐久夜毘売は、「私が妊娠した子供が、もし国の神の子であるならば、出産するときに無事ではないだろう。もし天の神の御子であるならば、無事であろう」と申し上げて、すぐに戸のない八尋殿(高い神聖な建物)を作り、その建物の中に入り、土で戸を塗りふさいで、今まさに出産するときに、火をその建物につけて産んだ。そして、火が盛んに燃えているときに生んだ子の名前は、火照命。次に、生んだ子の名前は、火須勢理命。次に、生んだ子のお名前は、火遠理命、またの名は、天津日高日子穂々手見命。
※古代には、姉妹で同じ男性と結婚することがあった。
※『日本書紀』(本編のほう)では、石長比売は登場せず。
※『日本書紀』一書においては、父の大山津見神ではなく、石長比売自身が「大(おほ)きに慙(は)ぢて詛(とご)ひて」(141頁)、また一書に「恥(は)ぢ恨(うら)みて唾(つば)き泣(な)きて」(141頁)、自分を返したため、天皇の一族は木の花のようにはかない命になる、と言っている。また別の一書(第三)には、「及(また)母(はは)も少しも損(そこ)なふ所(ところ)無し」ということ、竹刀でもってへその緒を切り、その竹刀を捨てるとそこが竹林になったことが書かれている(143頁)。
ここで木花之佐久夜毘売は一夜にして三人もの子供を妊娠しているので、まさに豊穣な繁殖力を示しています(しかも火を放っても無事出産)。
木花之佐久夜毘売が花(桜)=豊穣、石長比売が石(鉱石)=永遠を象徴していると言うことに関しては、例えば金井清一「石長比売と木花之佐久夜毘売―神話に見る女の美と醜―」(『国文学 解釈と鑑賞』1987年11月号)
・ フレーザーによってバナナタイプと名づけられたところの、広く太平洋地域に分布する人間の死の起源を説く神話(30頁)
・ 神来迎の場所としての聖なる岩石と樹木とが、そのイメージを神迎えの巫女に移したとき、樹木は木花となって豊穣の栄えを象徴し、対するに岩石は永生の象徴(33~34頁)
・ 穀霊ニニギは自らの機能を発揮すべく適切な女性としてサクヤビメを選んだ(34頁)
・ イワナガヒメを醜いと述べるのは古事記と書紀の第二の一書(同)
など、様々に指摘されているのですが、面白いのが、石(鉱石)には、近現代文学を見ても、独身者的イメージが強いことでしょう。
例えば鉱石を好み、作品中でも様々な功績が描かれる宮沢賢治は一生独身でしたし、だいぶん時代は現代になりますが、同じく鉱石を好んで描く、長野まゆみの小説に登場する少年のイメージなどを思い浮かべてもよいでしょう。
〔後代の変奏〕
この話は後代の物語にも取り入れられていて、たとえば『源氏物語』では、容貌の醜さが描かれる末摘花について、石長比売のイメージがあると言われています。
・『源氏物語』の末摘花
まづ居丈の高く、を背長に見え給ふに、さればよと胸つぶれぬ。うちつぎて、あなかたはと見ゆるものは鼻なりけり。ふと目ぞとまる。普賢菩薩の乗物とおぼゆ。あさましう高うのびらかに、先の方少し垂りて色づきたること、ことのほかにうたてあり。色は雪はづかしく白うてさをに、額つきこよなうはれたるに、なほ下がちなる面やうは、大方おどろおどろしう長きなるべし。痩せたまへること、いとほしげにさらぼひて、肩のほどなどは、痛げなるまで衣の上まで見ゆ。(中略)
頭つき、髪のかゝりはしも、うつくしげに、めでたしと思ひきこゆる人くにもをさく劣るまじう、袿の裾にたまりて引かれたるほど、一尺ばかりあまりたらむと見ゆ。(末摘花、1巻224~225頁)
【口語訳】まず座った丈が高く、座高が長くお見えになるのに、そうであったよと、胸がつぶれる。続いて、ああみっともないと見えるのは鼻である。ふと目が留まる。普賢菩薩の乗物(象)のようである。驚きあきれるほどに高く長く、先のほうが少し垂れて赤く色づいていることが、ことのほかにひどい。顔色は雪が恥ずかしいと思うくらい青白く、額がはれて高く、それでもなお下のほうほど長くなっているような顔だちは、だいたい恐ろしく長いのであろう。痩せていることは可哀想になるくらいで、肩の様子などは衣の上からでも痛々しく見える。
頭のかたち、髪のかかった端のほうも、美しく、素晴らしいと思い申し上げる人々にもほとんど劣りはすまい、袿の裾に一尺(約30センチメートル)ばかりあまっているように見える。
末摘花は、容貌の醜さが描写されるとともに、古風な性格をしており、桜にたとえられる若紫と対比的に描かれます。それとともに、光源氏の須磨流離中も待ち続ける動かなさ、盤石さがあるので、先行研究では、例えば平沢竜介「『源氏物語』と『古事記』日向神話―潜在王権の基軸―」(『王朝文学の始発』笠間書院、2009年、初出『古代中世文学論集』15集、2005年)が、
『源氏物語』では、光源氏は醜い末摘花まで受け容れる。このことは源氏の美質を語るとともに、石長比売に比定される末摘花をも受け容れることで、(中略)、彼の栄華が絶対、不動のものとなることを意味する狙いがあったと思われる。(中略)このように見てくると、『源氏物語』は石長比売、木花之佐久夜毘売の姉妹をモチーフにして、末摘花、紫の上を造型したと想像される。(377頁)
などと指摘しています(もっとほかにもあったと思うのですが、ちょっと発掘できませんでした、すみません)。
・京極夏彦『絡新婦の理』(講談社、1996年)
だいぶん時代は飛びますが、この話は、現代小説の中にも取り入れられています。
例えば、京極夏彦『絡新婦の理』。『絡新婦の理』は、鳥山石燕の『画図百鬼夜行』に描かれる妖怪をモチーフとする、「百鬼夜行シリーズ」の第四作です。「百鬼夜行シリーズ」では、古本屋にして陰陽師の京極堂こと中禅寺秋彦、作家の関口巽、探偵の榎木津礼二郎、刑事の木場修太郎などが登場し、京極堂が「憑き物落し」をするのですが、本作では1953年の房総半島、女学校である聖ベルナール女学院と、織作家という旧家が舞台となります。このなかで、織作家の姉妹(四姉妹)に石長比売、木花之佐久夜毘売が重ねられているのです。
例えば、本シリーズはいわゆる普通の探偵小説における探偵役にあたる、京極堂が様々な蘊蓄を述べていくのですが、その中で明確に石長比売と木花之佐久夜毘売の物語に言及しています。
京極堂はこの話を母系社会と家父長制の葛藤として見て、石長比売が返されたとある部分について、
「――そして長女は永遠に家から出ない」(741頁)「姉神は返されたのではなく、貰えなかった」「そこで、醜いからこっちから返したのだ――と云う自尊心を賭けた弁解をつけ加えた」
などと解釈しています。あるいは、木花之佐久夜毘売が出産時に火を放ったことについては、
木花佐久夜毘売はそう(自分の子ではないのではないか、と。引用者注)云われても物怖じすることなく、これが貴方の子でないのなら、産むときに幸はないと云って産屋に火を放ち、三柱の神を産む。これは男の側から見れば抗議行動ですが女にしてみれば確信犯でしかない。生まれて来るのが誰の子か――解らないのは男だけです。(745頁)
と言っています。
織作家の三女の葵がフェミニストという設定で、京極堂は彼女に対する「憑き物落とし」として説明している面もあるのですが、これが1953年当時のフェミニズムや神話学、文化人類学をどの程度意識して、どの程度アレンジしているものなのかはちょっと調べていません(すみません)。
また、母系一族で豊穣な繁殖力を求められる一族の中にあって、「半陰陽」で「医学的には」「男性」、
主義主張や思想とは無関係に――生殖行為が出来ぬ女なのです。妊娠出産と云う、幾重にも女性を縛るメカニズムが本来的に欠落しているのです。(793頁)
と言う葵には、結婚しない石長比売のイメージも重ねられているかもしれません。一方で結末まで唯一生き残る次女の茜は、
「あなたは漸く石長比売から木花佐久夜毘売へと、その姿を転じた訳ですね」
桜色の女は少し首を傾けて、さあ、どうなのでしょうか――と、柔らかい声で答えた。(828頁)
というやり取りがあるように、結末に至って、石長比売から木花之佐久夜毘売へとイメージが転換しています。
・はらだ有彩「花とヤバい女の子 コノハナノサクヤヒメ(古事記/日本書紀)」
フィクションではありませんが、はらだ有彩のエッセイ「花とヤバい女の子 コノハナノサクヤヒメ(古事記/日本書紀)」(『日本のヤバい女の子 静かなる抵抗』柏書房、2019年)のなかでも、この話が取り上げられています。このエッセイは、昔話や古典に登場する女性をモチーフとしながら、女性のしんどさを考えていくもので、もともとの物語との距離の取り方がちょっと独特で、アダプテーションについて考える上でも面白い本です。
はらだはこの話を分かりやすくて読みやすい現代語で説明した後、2015年3月に公開になって炎上したルミネのCMを取り上げながら、「職場の花。(中略)なぜか花は圧倒的に女性と結び付けられる。なぜだろう?」(194頁)と問いかけます。そして、花=容姿の華やかさという比喩を、
サボっていたら花にはなれない、花になれるよう変わりたいと思うことが正しい、というメッセージをルミネのCMは発信した。イワナガヒメはサボっていたから醜いと言われ、花になれなかったから拒絶されたのだろうか。というか、そもそも花にならなければいけないのだろうか。(中略)
花がヒトのためにうつくしく咲いていると考えるのがお門違いなら、石はヒトの目にうつくしくないから価値が低いという発想もお門違いだ。イワナガヒメは盤石さを司る鉱物の象徴としてニニギのもとへ出向いたにもかかわらず、花として来たことにされていた。(195頁)
として、現代に生きる女性に対する、「美しくあれ」という呪いの問題と結びつけて考えます。
ついでに木花之佐久夜毘売が出産時に火を放ったことについては(まあ現代風に考えたらダメな男でしかないよね、なニニギに対して)、
ナメられたままでこの先も関係を続けていくことは不可能だ。彼女は尊厳を守るために火を放ったのかもしれない。(197頁)
と、考えています。
こんな風に、花=繁栄=美しさを象徴する木花之佐久夜毘売と、石=永遠性を象徴する石長比売の物語は、後代の物語や現代小説、エッセイにも様々に取り入れられています。
『源氏物語』末摘花は、(桜=木花之佐久夜毘売である紫の上に対し)石長比売のイメージが重ねられており、光源氏の権力に盤石さをもたらすと指摘されています。
現代の探偵・妖怪小説『絡新婦の理』のなかでは、母系社会と家父長制の葛藤の物語と解釈されながら、姉妹モチーフとして取り入れられています。エッセイ『ヤバい日本の女の子』のなかでは、この物語について考えることで、美しくあれ、という女性に対する抑圧(呪い)のかたちを浮かび上がらせています。
2.『万葉集』におけるなでしこ
「なでしこ」
ナデシコ科の多年草。山野に自生し、淡紅色の花が咲くカワラナデシコがその代表ともいうべきもの。中国から伝わった石竹を「からなでしこ」というのに対しては、「やまとなでしこ」と使われた。その可憐な姿から、『万葉集』にもよく詠まれ、二六首が数えられる。
(『歌ことば歌枕大辞典』 )
なでしこが詠まれる歌は、万葉集の中で26首もあるので、ちょっと今回の授業の中では全部取り上げられません。私は特に家持のなでしこ歌が気になっているので、家持とか家持周辺の人たちの歌を中心に取り上げますが、それもほんの一部です。
『万葉集』におけるなでしこ(一部)
(巻第八)大伴家持が石竹(なでしこ)の花歌一首
1496 我がやどのなでしこの花盛りなり手折りて一目見せむ児もがも
【口語訳】私の庭のなでしこの花が盛りである。手折って一目みせてやれるような子がいたらよいのに。
ここでは、「我がやど」のなでしこが詠みこまれており、特に誰かがたとえられているということはないようです。ですが、なでしこを見せてあげられる子がいれば…ということで、子供のイメージはあるのでしょう。
(巻第八)大伴家持が紀女郎(きのいらつめ)に贈る歌一首
1510 なでしこは咲きて散りぬと人は言へど我が標(し)めし野の花にあらめやも
【口語訳】なでしこは咲いて散った(=女性が心変わりをした)と人は言うが、私がしるしをつけておいた野の花(=あなた)ではよもやないだろうね。
ここでは、「我が標めし野」にあるなでしこの花、ということで、自分と恋人関係にある女性をさしています。「標む」とは、野などに印をつけて自分の場所であることを主張する、という意味です。
(巻第八)笠女郎(かさのいらつめ)が大伴宿彌家持に贈る歌一首
1616 朝ごとに我が見るやどのなでしこが花にも君はありこせぬかも
【口語訳】毎朝私が見る庭のなでしこの花でもあなたはあってほしいのに。
ここでは家持が「宿のなでしこ」であってくれたらいいのに、と思われているので、なでしこによそえられるのは男性です。
(巻第十七)
4010 うら恋し我が背の君はなでしこが花にもがもな朝な朝な見む
右、大伴宿彌池主が報(かへ)し贈る和(こた)への歌。五月二日
【口語訳】恋しく思う私の恋人はなでしこの花でもあってくれたらよいのに、毎朝見よう。
右は、大伴宿彌池主が(家持に)返し贈る唱和の歌である。五月二日。
これは、前の家持の贈歌を切ってしまったので分かりにくいかもしれませんが、男性官人同士の贈答です。あたかも恋人同士であるかのようにして詠んで、親しみを表現するもので、家持や家持周辺の男性官人たちは、よくこういう歌を詠んでいました。
送り主の池主も、「我が背の君」と呼び掛けられる家持も男性ですが、恋の贈答歌を偽装した歌ですので、どちらかが女性役になっているのかもしれません(し、男性同士のままなのかも)。なので、ここでのなでしこが女性イメージなのか男性イメージなのかは、もう少し調べてみないとわかりません。
(巻第十八)反歌二首
4114 なでしこが花見るごとに娘子(をとめ)らが笑(ゑ)まひのにほひ思ほゆるかも
(4115番歌略)
同じ閏五月二十六日に、大伴宿彌家持作る。
【口語訳】なでしこの花を見るたびに、女性(ここでは妻の坂上大嬢)の笑みの美しさが思い出されるよ。
ここではなでしこの花が女性の顔にたとえられています。なでしこの花がパッと開いている様子は、よく人の顔に見立てられるようです。「娘子」(をとめ)とあるのは、この歌の前の長歌から、妻の坂上大嬢であることが分かります。
こんな風に、家持関係の「なでしこ」の歌は、「我が宿」のなでしこを詠むものが多く、そして現代では女性のイメージが強いのですが、男性がたとえられることも、女性がたとえられることもあるようです。
次回は少し『古今集』や『後撰集』のなでしこも見た後で、『源氏物語』のなでしこについて考えてみたいと思います。
また、『源氏物語』の中で私が特に中心的に扱ってきた人物である女三の宮について、季節のイメージとの関係を考えます。
※引用は、『古事記』『日本書紀』『万葉集』は新編日本古典文学全集(小学館)、『源氏物語』は新日本古典文学大系(岩波書店)、『絡新婦の理』は講談社NOVELS版(1996年)。
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