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3.悔恨の歯(佐藤亜紀『鏡の影』1993年)
1,梗概と問題点
中世ヨーロッパを舞台にした佐藤亜紀の小説、『鏡の影』は、「全世界を変えるにはある一点を変えるだけで充分であることを発見」したヨハネスが女の長持ちに仕舞い込まれるまでの物語である。その途次で、実は悪魔であるシュピーゲルグランツと名乗る少年と出会い、マルゲントハイムの奥方やその孫娘ベアトリクスに気に入られ、そこでペストが流行する。ヨハネスはペストの対処に尽力するが、最後に奥方が罹患し亡くなってしまう。跡を取ったアルブレヒト・フィヒテンガウアーと折り合いの悪いヨハネスは、マルゲントハイムを出ることとなる。その後「神の都」ボーレンメントに入城し、司教の軍隊に町が包囲される中、指導者マールテンと論争する。最後に「神の都」は開城し、ヨハネスは長らく探し求めていた真実に辿り着く。しかしながら彼は美人の魔女に身も魂も捧げてしまったため、長持ちに仕舞いこまれ、「どの道、誰もが長持ちの中に仕舞い込まれて土塊に還るのだとしたら、遅いか早いかにさしたる意味はない」(最後にして結末の章、334頁)という感慨に至ることとなる。そして長らく眠っていたベアトリクスは目覚め、処女のまま妊娠する。
本作品は『黒の過程』と時代・舞台設定が共通するが、『黒の過程』のゼノンに比べヨハネスは明るく、生の愉しみを愛し、快適な寝床と充分な食事を求める。ヨハネスを再三告訴するフィヒテンガウアーにしても、本気で火刑にしたがっているというよりは、子供じみた、やや滑稽なライバル心が根底にある。なお、題となっている「鏡の影」は、中世ヨーロッパ美術においてよく描かれた、「虚栄」か「真実」の象徴、若い娘が鏡を見る図像(鏡の中に頭蓋骨が描かれることも多い)を指し、作品中ではヨハネスがマールテンに初めて会った場面で描かれている。マールテンは壁に描かれたこの図像を漆喰で塗りつぶしているのだが、漆喰が禿げうっすらと絵が覗いている。ヨハネスはその絵を見て「この絵を描いた画家は何時、私の夢を覗き込んだのだろう」(第十章、一六四頁)と思い、マールテンは「自己嫌悪に陥って目を逸らし」「もう一度塗り潰させなければ」(同、167頁)と思う。「夢」とは後述するベアトリクスと泉の夢を指すだろう。その他「鏡」はヨハネスの親知らずの虫歯が錆びた手鏡に映らず、水鏡に一本の白髪が映り、シュピーゲルグランツを追い出そうとする時の顔が「鏡を持っていたら見せてやりたい」(第十七章、二七六頁)と言われ、ボーレンメントでの主要な登場人物であり友人となるグァネリウスがかつてローマにいたときに「鏡を見てから出直して来い」(第十二章、193頁)と言われたように、虚栄とはおよそほど遠いものとして描かれている。
* * * * *
生地から叔父のいたレヴニッツ、ローマ、エアフルト、マルゲントハイム、ボーレンメントを転々とする彼の旅は、探求の旅であると同時に火刑や災難を避けてのものでもあった。実際に彼は火刑にされることはなく、他の人物についても、燃やされるのは死体だけである。そしてボーレンメントの城外における娼婦たちの焚き火や、マルゲントハイムの城外におけるペスト患者の死者を焼く炎など、炎は城外で焚かれる。
例えばペスト患者の死者を焼く炎に関しては、前半部の重要な登場人物である奥方の死体が焼かれ、恋の喩え話が展開される。ヨハネスはマルゲントハイムで「夢遊病」に悩む奥方の、古いロマンスと証の指輪を見つけ出したことを契機に気に入られることとなるが、間もなくペストが流行し、最後に奥方が発症する。奥方とヨハネスは、ペスト患者をその寝台ごと城外に運び出し、簡単な小屋を作り治療に当たるが、患者が死んだ場合その小屋ごと燃やすことに決めた。それゆえ奥方は罹患した後城外に出ることとなるが、恋の相手であったバルトロメウスが現れる。
バルトロメウスは、恋を炎に喩えた話をする。最初奥方の棺の隣の棺の中で朽ちてゆくことを望んだのだと思っていたが、「刻々と冷えていく生身の内にも消えることのない燠火のような欲望」が、「炎に包まれたよう」に輝く奥方の姿を映し出す。「老いて冷えきった灰のよう」になってから、「あの肉体」も「内なる炎」の反映であったこと「火を以てしても焼き尽くせないもの」を望んだことを悟ったのだと語る(第四章、67頁)。これは『黒の過程』のゼノンにおける愛の比喩と同じく、内なる炎が自己の意志の象徴であることが見て取れよう。ここでは、「灰」は身体が冷えてゆくこと、老いと関わって描かれている。彼は奥方の死後小屋に火を付け、奥方の古いロマンスはペストとともに焼き払われる。
* * * * *
『心臓抜き』においては「心臓」が空っぽの空間を象徴し、「歯」が恥や後悔を拾い上げるものであったが、この物語でも「心臓」「後悔」「歯」は重要な意味を持つ。例えば、シュピーゲルグランツという悪魔を召喚してしまう前に描かれる親知らずの虫歯は、「心臓」をかじる「悔恨」と重ねて表現される。「口」や胃も空っぽな空間を象徴する。そこからこぼれだすのは笑い(ベアトリクス、奥方)や、罵声(アルブレヒト)、息(マールテン)、虫歯、蛆のような白いものの浮いた血液(ヨハネス)であり、秘密はその中に秘められ、真実が求められ、悪魔を呼び出す。食べ物を入れる器官でもある。それゆえ、「口」「胃」「心臓」の空洞と「後悔」の「歯」との関係を明らかにし、最終的に主人公が長持ちに仕舞いこまれる場面をどのように形成するか、考察する。
本文引用について:佐藤亜紀『鏡の影』(ブッキング、2003年)による。
つづく。
3.悔恨の歯(佐藤亜紀『鏡の影』1993年)
1,梗概と問題点
中世ヨーロッパを舞台にした佐藤亜紀の小説、『鏡の影』は、「全世界を変えるにはある一点を変えるだけで充分であることを発見」したヨハネスが女の長持ちに仕舞い込まれるまでの物語である。その途次で、実は悪魔であるシュピーゲルグランツと名乗る少年と出会い、マルゲントハイムの奥方やその孫娘ベアトリクスに気に入られ、そこでペストが流行する。ヨハネスはペストの対処に尽力するが、最後に奥方が罹患し亡くなってしまう。跡を取ったアルブレヒト・フィヒテンガウアーと折り合いの悪いヨハネスは、マルゲントハイムを出ることとなる。その後「神の都」ボーレンメントに入城し、司教の軍隊に町が包囲される中、指導者マールテンと論争する。最後に「神の都」は開城し、ヨハネスは長らく探し求めていた真実に辿り着く。しかしながら彼は美人の魔女に身も魂も捧げてしまったため、長持ちに仕舞いこまれ、「どの道、誰もが長持ちの中に仕舞い込まれて土塊に還るのだとしたら、遅いか早いかにさしたる意味はない」(最後にして結末の章、334頁)という感慨に至ることとなる。そして長らく眠っていたベアトリクスは目覚め、処女のまま妊娠する。
本作品は『黒の過程』と時代・舞台設定が共通するが、『黒の過程』のゼノンに比べヨハネスは明るく、生の愉しみを愛し、快適な寝床と充分な食事を求める。ヨハネスを再三告訴するフィヒテンガウアーにしても、本気で火刑にしたがっているというよりは、子供じみた、やや滑稽なライバル心が根底にある。なお、題となっている「鏡の影」は、中世ヨーロッパ美術においてよく描かれた、「虚栄」か「真実」の象徴、若い娘が鏡を見る図像(鏡の中に頭蓋骨が描かれることも多い)を指し、作品中ではヨハネスがマールテンに初めて会った場面で描かれている。マールテンは壁に描かれたこの図像を漆喰で塗りつぶしているのだが、漆喰が禿げうっすらと絵が覗いている。ヨハネスはその絵を見て「この絵を描いた画家は何時、私の夢を覗き込んだのだろう」(第十章、一六四頁)と思い、マールテンは「自己嫌悪に陥って目を逸らし」「もう一度塗り潰させなければ」(同、167頁)と思う。「夢」とは後述するベアトリクスと泉の夢を指すだろう。その他「鏡」はヨハネスの親知らずの虫歯が錆びた手鏡に映らず、水鏡に一本の白髪が映り、シュピーゲルグランツを追い出そうとする時の顔が「鏡を持っていたら見せてやりたい」(第十七章、二七六頁)と言われ、ボーレンメントでの主要な登場人物であり友人となるグァネリウスがかつてローマにいたときに「鏡を見てから出直して来い」(第十二章、193頁)と言われたように、虚栄とはおよそほど遠いものとして描かれている。
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生地から叔父のいたレヴニッツ、ローマ、エアフルト、マルゲントハイム、ボーレンメントを転々とする彼の旅は、探求の旅であると同時に火刑や災難を避けてのものでもあった。実際に彼は火刑にされることはなく、他の人物についても、燃やされるのは死体だけである。そしてボーレンメントの城外における娼婦たちの焚き火や、マルゲントハイムの城外におけるペスト患者の死者を焼く炎など、炎は城外で焚かれる。
例えばペスト患者の死者を焼く炎に関しては、前半部の重要な登場人物である奥方の死体が焼かれ、恋の喩え話が展開される。ヨハネスはマルゲントハイムで「夢遊病」に悩む奥方の、古いロマンスと証の指輪を見つけ出したことを契機に気に入られることとなるが、間もなくペストが流行し、最後に奥方が発症する。奥方とヨハネスは、ペスト患者をその寝台ごと城外に運び出し、簡単な小屋を作り治療に当たるが、患者が死んだ場合その小屋ごと燃やすことに決めた。それゆえ奥方は罹患した後城外に出ることとなるが、恋の相手であったバルトロメウスが現れる。
バルトロメウスは、恋を炎に喩えた話をする。最初奥方の棺の隣の棺の中で朽ちてゆくことを望んだのだと思っていたが、「刻々と冷えていく生身の内にも消えることのない燠火のような欲望」が、「炎に包まれたよう」に輝く奥方の姿を映し出す。「老いて冷えきった灰のよう」になってから、「あの肉体」も「内なる炎」の反映であったこと「火を以てしても焼き尽くせないもの」を望んだことを悟ったのだと語る(第四章、67頁)。これは『黒の過程』のゼノンにおける愛の比喩と同じく、内なる炎が自己の意志の象徴であることが見て取れよう。ここでは、「灰」は身体が冷えてゆくこと、老いと関わって描かれている。彼は奥方の死後小屋に火を付け、奥方の古いロマンスはペストとともに焼き払われる。
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『心臓抜き』においては「心臓」が空っぽの空間を象徴し、「歯」が恥や後悔を拾い上げるものであったが、この物語でも「心臓」「後悔」「歯」は重要な意味を持つ。例えば、シュピーゲルグランツという悪魔を召喚してしまう前に描かれる親知らずの虫歯は、「心臓」をかじる「悔恨」と重ねて表現される。「口」や胃も空っぽな空間を象徴する。そこからこぼれだすのは笑い(ベアトリクス、奥方)や、罵声(アルブレヒト)、息(マールテン)、虫歯、蛆のような白いものの浮いた血液(ヨハネス)であり、秘密はその中に秘められ、真実が求められ、悪魔を呼び出す。食べ物を入れる器官でもある。それゆえ、「口」「胃」「心臓」の空洞と「後悔」の「歯」との関係を明らかにし、最終的に主人公が長持ちに仕舞いこまれる場面をどのように形成するか、考察する。
本文引用について:佐藤亜紀『鏡の影』(ブッキング、2003年)による。
つづく。