※非常勤講師を勤めております前橋国際大学での授業内容を、問題のない部分のみ、ブログ上にアップすることに致しました(資料は大学のLMS上にアップしていますが、引用文など少し長めの文章を載せたものは、スマホの画面ではかなり読みにくいため。ブログ記事であればスマホ上でも何とか読めるだろうと思うので)。
すみません、今回も遅くなりました。第8回をアップします。
はじめに
江戸時代になると、それまで貴族や豪商の間で楽しまれていた花見の習慣や、庭や鉢に草花を植える園芸が、庶民の間にも広まります。
品種改良や株分けなど、人工的な栽培技術も発展し、薬用植物の歴史を明らかにする本草学の研究も、盛んになります。そのような花々は浮世絵において、花そのものとしても、物語や歌舞伎役者、女性のイメージと重ねられても描かれます。また、江戸時代は、出版文化が盛んになり、様々な文学ジャンルが生まれますが、その中でも花や、花のイメージは、重要なモチーフとなります。
そこで今回は、簡単に江戸の園芸文化を見たうえで、文学作品の考察を行います。
具体的にどの文学作品を取り上げるのか、というのはなかなか悩ましいところなのですが、第二回目にとり上げた『古事記』の石長比売との関連から、今回は『東海道四谷怪談』をとり上げましょう。『四谷怪談』のヒロイン、お岩さんの名前は、「石長比売」の系譜であると言われるからです。
1.江戸の園芸文化
近世になると、園芸文化が発展し、庶民の間にも広まってきます。もちろんそれまでも、貴族や豪商の間では、桜狩りや紅葉狩りに出かけたり、邸内に自然を模した庭を作ったり、ということはありましたが、近世には庶民の間でも、身近な鉢植えを育てたり、花見に出かけたりということが、広まってきました。
「江戸時代後期の日本は世界でも有数の園芸大国」(大場秀章「序文」日野原健司・平野恵『浮世絵でめぐる江戸の花』誠文堂新光社、2013年)となり、
江戸時代は、由緒ある寺社境内が名所としてもてはやされ、植物では、梅、桜、松が多く浮世絵に描かれています。江戸の市民は、こうした名所に出かけて、俳句や和歌を詠み、飲食をし、その季節感を大切にしました。 (平野恵「名所と園芸」、同書140頁)
ただ、そうした花は、必ずしも自然なものではなく、例えば椿については、「植木鉢に植えて鑑賞するものであり、庭で自然に育てようというのではなく、極めて人工的な盆栽という手法をとった」(青木宏一郎『江戸の園芸:自然と行楽文化』ちくま新書、1998年、25~26頁)ことが指摘されています。
この本では薬用植物と鑑賞用植物の区別がつきにくかったことも指摘されているのですが、江戸時代には、薬用植物の研究、本草学も盛んになってきます。
本草学とは、「本草書をひもとき、薬物の歴史を明らかにする学問」[難波恒雄][御影雅幸]("本草学", 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2020-06-28))のことですが、面白いのが、
江戸本草学に生じた表象の事件は、江戸がヨーロッパ(や多分、明、清)とも共振し始めていたことを示す。(中略)人々が言葉と物の関係に対峙した極めて記号論的な時代が全世界に存在していた様子だ。意味を誘発するための単なるフォルム、意味性の空虚な器として、その時、花以上のものはまたとない。(高山宏「「物類」というタブローの宇宙:江戸本草学と花」『国文学』1997年4月号、136頁)
との指摘があるように、この時代の本草学の展開において、言葉と物との関係づけが試みられており、そこにおいては、意味を誘発するものとして花があったということです。
いうまでもなく、品種改良は人工的な繁殖です。江戸時代に流行したサクラソウなど、種を取らず、株で増やすような栽培方法をとるものもありました。これは言ってみれば、生殖せず、分裂して、分身を増やすようなものです。しかも言葉と物との関係、花のもつイメージは、これまで以上に濃密になっています。
そこでこのような人工的な栽培技術が、植物(花)のイメージにもたらす変容について、考えていきたいと思います。
2.石女(うまずめ)から産女(うぶめ)へ:『東海道四谷怪談』のお岩
具体的に取り上げるのは、『東海道四谷怪談』。
あれ、『四谷怪談』に花なんか出てきたっけ、と思う方も多いでしょう。確かに具体的に描かれているのは、お岩の妹のお袖が売っているお供え用の樒や、伊右衛門の夢に出てくるカボチャ、切子灯籠のアサガオの模様くらいなものです。
ですが、お岩の名前は、石長比売の系譜であることが指摘されますし、植物系の名前がついているお梅は、妊婦を象徴する名であると言われています。
*郡司正勝「解説」(新潮日本古典文学集成、1981年)
「お岩」という名は、「岩藤」「岩根御前」など、『古事記』の「石長比売」以来のかたましい女の系譜に名付けられたかぶきの独自な命名法」
・新潮日本古典文学集成頭注
「「お岩」の名には」「夫に裏切られる妻の系譜があった」
「「お梅」は妊婦を象徴する名。巷説で妊娠したとされる伊藤の妾を当て込んだ」
そして、『四谷怪談』では、民谷家伝来の「ソウキセイ」という薬や、お岩の顔を醜くする薬など、薬(←薬草、植物)も重要な役割を果たします。
少し先を急ぎすぎました、とりあえず、『四谷怪談』のあらすじを説明しておきましょう。
主な登場人物は、塩冶(えんや)家浪人民谷伊右衛門、その妻お岩。お岩の父左門、お岩の妹お袖。お袖のいいなづけ佐藤与茂七。お袖に片恋し、執着する直助。民谷家の下男で、塩谷家の家臣の臣下である小仏小平。伊右衛門に恋い焦がれる隣家の孫娘お梅、お梅の祖父で高野家の重臣伊藤喜兵衛など。
初日序幕:(浅草境内)楊枝屋に今日から売り子として勤務しているお袖、彼女に執着する直助、伊藤喜兵衛の孫娘で、恋の病につかれて寺参りするお梅などが登場。左門が許されない場所で物乞いをしたとして、浅草境内を縄張りとする乞食たちに捕まっていたところを、伊右衛門に助けられる。伊右衛門は左門の娘お岩の婿であるが、お岩は実家に戻っている状態であり、妊娠中であった。伊右衛門は左門に塩谷家に仕えていたころの悪事を言い当てられ、知られた上は生かしてはおけないと考える。
(浅草田圃)民谷伊右衛門は妻お岩の父四谷左門を殺す。一方、お岩の妹お袖に恋をする直助は、同じ場所でお袖のいいなづけ与茂七を殺すが、実はそれは人違いであった。そこにお岩、お袖の姉妹が通りかかり、伊右衛門と与茂七が殺したことを知らない二人は、左門と与茂七の敵を討つために、伊右衛門と直助の助けを借りることとなる。
初日中幕(雑司ヶ谷四谷町):民谷家の隣家に住む伊藤喜兵衛の孫娘お梅は、どういうわけか伊右衛門に恋い焦がれている。ところが伊右衛門には妻のお岩がいる。孫娘の恋をかなえてやりたい喜兵衛は、血の病に効く薬と偽って、産後のお岩に顔が醜くなる毒薬を贈る。そのことを知らされた伊右衛門は、高野家に臣下として推挙してほしい思いもあり、お梅との結婚を受け入れることになる。
一方でお岩は、薬を飲んで容貌が変わった後、按摩(あんま)の宅悦(たくえつ)から事情を知らされ、憤死する。お岩の遺体の始末に困った伊右衛門は、民谷家秘蔵の薬を盗んだ下男小仏(こぼとけ)小平も殺し、お岩と小平の死骸(しがい)をともに、戸板の両側に釘付けにして川へ流す。
その後何事もなかったかのように、お梅を迎え入れるのであるが、お岩にたたられ、お梅の顔はお岩と変わり、驚いた伊右衛門は殺してしまう(すると元のお梅の顔に戻る)。小平にもたたられ、喜兵衛の顔は小平に変わり、しかも赤子(伊右衛門とお岩の子供)を食い殺したかのように見えて、殺してしまう(すると元の喜兵衛の顔に戻る)。
初日三幕目(十万坪堀(おんぼうぼり)):直助は釣りをしていて、鼈甲の櫛を拾う(実はお岩が母の形見と大切にしていた櫛)。伊右衛門は、小平の父孫兵衛の後妻となっている、実の母お熊に会い、高野家に推挙してもらうための書物をもらう。伊右衛門が釣りをしていると、杉の戸板が流れ着き、引き寄せて見たところ、お岩の遺体を釘付けにした戸板であった。お岩の亡霊が恨みを述べるため、思わず戸板をひっくり返すと、今度は小平の遺体で、亡霊が恨みを語る。
後日序幕:(深川三角(さんかく)屋敷)(小塩田隠れ場):お袖は直助と、夫与茂七の敵を討つという約束で、名目だけの夫婦になっていた。しかしながら、直助から姉お岩の形見の櫛を渡されたことで、姉の死を悟る。夫だけでなく、姉、夫、父の三人の敵を討ってもらわなければならなくなったお袖は、直助と本当の夫婦になる。ところがそこに、死んだはずの与茂七が訪れる。お袖は直助・与茂七の双方に嘘をついて、それぞれ相手を討つようにと手引きして、自分が殺されるよう手配する。お袖は実は捨て子であったが、死に際し、お袖の本当の父を記した書き置きを渡す。書き置きを見た直助は、お袖が実の妹であることを知る。また、与茂七の話から、人違いで殺したのが実は、旧主の子庄三郎だったことも知る。主殺しと近親相姦の罪の重なった直助は、その重さにおののき、自殺する。
一方で孫兵衛宅では、旧主で塩谷家浪人の小塩田又之丈が隠れ住んでいた。又之丈は病気のために、足が立たない状態にある。孫兵衛お熊は察してはいるものの、はっきりとは知らされていない。小平の亡霊が質に入った自分の着物などを持ち帰ったために、隠れ住んでいた又之丈に盗みの疑いがかかるが、討ち入りの分配金を届けに来ていた別の浪士がお金を払い、疑いを晴らす。隠れ住んでいる侍が塩谷家の浪士であることを確信したお熊は、質屋の庄七に捕らえさせて、高野家に密告しようとするが、小平の亡霊に届けられた薬を飲んだ又之丈は、病全快し、庄七を斬り返す。
後日中幕(夢)伊右衛門は秋山長兵衛を供に連れ、鷹狩をしていると、田舎家に鷹が迷い込む。その田舎家に、美しい田舎娘がいるが、実はお岩の亡霊で、伊右衛門が口説こうとすると、恨みを述べる。
(蛇山庵室(へびやまあんじつ))夢から覚め、流れ灌頂をしていても、その中から産女の姿のお岩が現れる。伊右衛門はお熊からもらった書き置きによって高野家に仕えようとするが、書き置きはお岩の化身である鼠によって穴だらけになっており、意味をなさない。伊右衛門は最終的に与茂七に討たれる。
『四谷怪談』では、妊婦を象徴する名であるという「お梅」は、妊娠しません(元ネタである『四谷雑談集』では妊娠するようです)。一方でイワナガヒメの系譜であるはずのお岩が妊娠・出産しています。
そして、お岩とお梅は姉妹ではなく、石(お岩)と花(お梅、小仏小平の妻お花など)という組み合わせは成立していません。妹のお袖が、仏前に供える香花を売っているくらいです(ただし、お袖は実の姉妹ではない)。
また、お岩にも、伊右衛門が見る夢の中では、かすかに植物のイメージが重ねられています。
(後日中幕)
お岩 身で身を焦す蛍火も、露よりもろきはかない朝顔、日のめにあはゞたちまちに
ト燈籠に目をつける(366頁)
【口語訳】(お岩)「身で身を焦す蛍の光も、露よりもろくはかない朝顔も、(朝になって)日の目にあうとたちまちに」と言って(軒端につった朝顔の蔓のまとう切子の)燈籠に目をやる。
この燈籠へ、お岩の如き顔現はるゝ。(中略、伊右衛門の供の長兵衛が腰を抜かす、長兵衛が伊右衛門を呼ぶセリフ)
ト呼び歩き、思はず軒を見る。這ひまとひしかぼちや、残らず顔と見える。(368頁)
【口語訳】この燈籠に、お岩のような顔が現れる。(中略)と(長兵衛は)呼び歩き、思わず軒を見る。軒に這いまつわっているカボチャが、残らず(お岩の)顔に見える。
朝顔の蔓草の絡みついたデザインの切子灯籠や、カボチャがお岩の顔に変わっています。「一年草のアサガオは、種からの育成も比較的容易で、さほど園芸の知識がない人でも十分楽しめる」「江戸時代に流行した植物の中ではおそらく最も庶民的」(青木宏一郎『江戸の園芸:自然と行楽文化』、前掲、26頁)な花であったということですが、様々なデザインに取り入れられたのでしょう。朝咲いて昼にはしぼんでしまうことからはかなさ、つる草の絡みつく様子などから怨念を想像させ、幽霊と相性が良いのかもしれません。
注目したいのが、 亡霊となったお岩が、産女の姿で現れることです。また、小平の顔に変わった舅が血塗れになり赤子を食い殺したように見える場面については、お岩と小平は二人で一人の存在であるとして、母親による「子殺し」と位置づけるもの(片岡徳雄「わが子殺しの系譜」『四谷怪談の女たち:子殺しの系譜』小学館ライブラリー、1993年)や、お岩の異形性を、出産時覗き見られた豊玉姫のような、「人の存在そのものが異形であるほかないという事態」(佐藤深雪「お岩変奏」(『国文学』1998年4月号、119頁)と位置づけるものもあります。
そこで、『東海道四谷怪談』における、赤子の描写を見ておきましょう。
『東海道四谷怪談』における赤子描写
(初日中幕)大きなる鼠出て、抱子の着類をくはへて引く。また候(ぞろ)鼠出て、件の鼠の尾をくはへて引く。同じく鼠段々出て、尾をくはへて、段々と鼠連らなり、跡ずさりに赤子を引いて行くを、見つけ(187頁)
【口語訳】大きな鼠が出てきて赤子の着物を咥えて引っ張る。またもや鼠が出てきて、その鼠のしっぽを咥えて引っ張る。同じく鼠が次々と出てきて、しっぽを咥えて次々と鼠が連なり、後ずさりに赤子を引っ張っていくのを、(伊右衛門は)見つけ
と喜兵衛を引き起こす。その顔、小平の菊五郎の顔にて、抱子を食ひ殺せし体にて、口は血だらけ。(199頁)
【口語訳】(お岩の顔になっていたお梅を殺してしまった伊右衛門が)喜兵衛を引き起こす。喜兵衛の顔は小平の菊五郎の顔で、赤子を食い殺した様子で、口は血だらけ。
(後日中幕)雪しきりに降り、布の内より、お岩、産女の拵へにて、腰より下は血になりし体にて、子を抱いて現はれ出る。(383頁)
【口語訳】雪はしきりに降り、(流れ灌頂の)布の内から、お岩が産女の姿で、腰から下は血に染まった姿で、子供を抱いて現れ出る。
やヽヽヽヽ、そんならあの子は、亡者の天塩で。〇
ト嬉しげに赤子を受け取り
まだしも女房、でかした\/。その心なら浮かんでくれろ。南無阿弥陀仏\/\/
ト子を抱いて念仏申す。(中略、長兵衛の声で鼠が、というセリフがあり、鼠が出てくる)
(中略)お岩、見事に消ゆる。伊右衛門、恟(びっく)りして、抱きたる赤子を取り落す。この子はたちまち石地蔵になる。(384~385頁)
【口語訳】(お岩に抱いている赤子を見せられ、伊右衛門)「ややややや。そんならあの子(小平の顔の舅に食い殺されたかと見た伊右衛門とお岩の子供)は亡者の天塩で育てていたのか」と嬉しそうに赤子を受け取り、「(怨霊としていろいろ害をなしたが)まだしも女房よ、よくやった、よくやった。その心なら成仏してください。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と子供を抱いて念仏を申し上げる。(中略)お岩が見事に消える。伊右衛門が驚いて、抱いている赤子を取り落すと、赤子はたちまち石地蔵になる。
初日中幕の場面では、お岩の化身としての鼠が登場します。お岩=鼠というのは一貫するモチーフで、鼠年であるから、ということなのですが、石でも花でもなく、そしてまた女性の執着や怨念を表すものとしてよく使われる蛇でもなく、鼠、というのは少し気になるところです。
後日中幕の場面では、産女の伝承を踏まえたものではあるのですが、お岩の子が石地蔵へと変わっています。
ここでやっている「流れ灌頂」は、「水死者、難産で死んだ婦人、無縁仏などの供養のために行なわれる」(『日本国語大辞典』)もので、「産女」は「難産で死んだ女や、水子などが化したという幽霊」(『日本国語大辞典』)で、「道の辻(つじ)などに現れ通行人に赤子を預ける。赤子は徐々に重くなるが耐えていると、帰ってきた産女は礼に大力や財宝を授けて去る、という伝説」([渡邊昭五]『大日本百科全書』)もあると言います。
お岩は難産で死んだわけではないのですが、まだ産後間もないころに憤死していますし、赤子の死から、産女のイメージが重ねられているのでしょう。
この部分について、片岡徳雄は、
『四谷怪談』のお岩も産女の姿で流れ灌頂から出るのだが、その亡魂の働きは(累と、引用者注)まったく違う。自分の抱子は自分(小平)が食い殺し、その抱子は甦ったかにみえて結局は幻影にすぎない。産女の民俗信仰と重なるところは、重い抱子を抱かせる不気味さだけである。ここにはたしかに、産女の俗信を逆手にとった「したたかな毒」がある。それは「深い孤独感」というよりはむしろ「したたかな攻撃」というべきではないか。(前掲書、196頁)
と指摘しています。また、清玄桜姫物、と呼ばれる、お姫様桜姫に恋をした僧清玄の物語に材をとった、同じく鶴屋南北の『桜姫東文章』について触れ、
桜姫のわが子殺しは(中略)来世と現世から解放されるべき、桜姫個人の自由のための、心を鬼にしたわが子殺しであった。(中略、お岩や累と)イエや夫に縛られない女に再生したという意味においては、大いに共通性があるといってよい。(213頁)
とも述べています。
桜姫に関しては、同じく清玄桜姫ものの山東京伝『桜姫全伝曙草紙』について、「桜の精」のイメージ(高田衛「『桜姫全伝曙草紙』の側面:陰惨にして華麗なる花の精の物語」『国文学』1997年4月号)であることが指摘されていますが、『桜姫東文章』の中で桜姫は稚児の生まれ変わりで、子供を産んで子供を殺します。
▽繁栄や生殖を象徴するはずの「桜」が子殺し
▽稚児が姫に転生(そしてそれを女形が演じる)
▽生殖しない稚児と生殖する姫
などの観点から、比較して考察したいところですが、ちょっと今回手に負えませんでした。
歌舞伎とか戯作については、もう少し…、というか、もう大分勉強しないと厳しいです。何か間違ったことやおかしなことを言ってるんじゃないかと思って、結構びくびくしてます…。また、当然見るべき論文もまだ届いていないものが多くて、参照できていないのです。
3.現代への変奏
今でも夏の幽霊話というと、『四谷怪談』のお岩さんか、『番町皿屋敷』のお菊さんか、というくらい、『四谷怪談』は大きな影響を与えています。演劇・映画・小説など、様々なジャンルにおいて翻案されていますが、ここではほんの一例として、京極夏彦の『嗤う伊右衛門』(1997年)をとりあげます。
【梗概】
浪人・境野伊右衛門は、蚊帳に隔てられた風景を、ひどく嫌っていたが、水辺の長屋は蚊が多いために蚊帳をつらざるを得ない。
そんな伊右衛門はある日、小股潜り(口が立つこと、人をだますのがうまいこと)の異名を持つ又市の周旋で、御先手組同心・民谷家の婿養子となる。妻となる岩は、2年前の病によって容貌が大きく崩れていたが、誇り高く強い性格を持っていた。伊右衛門と岩は、互いにひかれあうものの、すれ違いが続く。
一方で隣家の伊東喜兵衛の妾、お梅は伊右衛門に惹かれる。お梅は裕福な薬種問屋の娘で、大切に育てられていたが、喜兵衛にさらわれレイプされたことから、喜兵衛の妾となることとなってしまった。怒った父親が喜兵衛に使者を送り、談判するところに、たまたま居合わせたお岩の父が両者をとりなしたのだが、お梅の父側へは、自分が養女にして喜兵衛と正式に結婚させるからととりなし、喜兵衛にはひとまず他の妾を外に出して、両親には結婚したかのような振りをして妾としてお梅を家に迎えるよう勧めたためである。事は収まるが、お梅は喜兵衛に虐待され、地獄のような日々を送っていた。やがてお梅は喜兵衛の子を妊娠する。
そんな中、喜兵衛は岩、伊右衛門の両者をうまく騙し、岩を家から出し、お梅と伊右衛門を結婚させる。けれども喜兵衛は週に一回伊右衛門宅を訪れ、お梅をレイプするのだった。
伊右衛門が幸せであればそれでよいと思っていた岩であるが、伊右衛門が幸せではないことや、様々な真実を按摩の宅悦から知らされ、発狂して宅悦を殺し、仮住まいを飛び出してしまう。その後様々な場所に岩が現れるという噂が立つが、お梅が産んだ子供が行方不明になり、遺体が捨てられているのが見つかる。お梅は岩がさらったのだと主張するが、実はお梅自身が殺したのだった。
岩が発狂したとき、宅悦と同行してどうにか逃げたのが、かつて伊右衛門と同じ長屋に住み、友人であった、直助であった。直助は妹のお袖を喜兵衛にレイプされた恨みから(お袖は自殺、ただし、直助の言葉によると、お袖の自殺は直助が「その躰を清めてやる」と言って(363頁)お袖を抱いたことが原因)、喜兵衛に復讐する機会をうかがい、伊右衛門の中間となる。直助は喜兵衛に殺されるが、伊右衛門は喜兵衛の元に戻ることも実家に戻ることも拒否した梅を殺し、喜兵衛を殺す。蚊帳を嫌った伊右衛門は、ついに蚊帳を切り裂いて、喜兵衛を殺したのだった。
喜兵衛が発狂し、お梅を殺し、中間の直助を殺したから仕方なく伊右衛門が切ったのだということにして、事件はすべて収まったかに見えたが、伊右衛門は少しずつ家を解体し始め、最後は桐箱の中に、岩とともに収まる。
『嗤う伊右衛門』が主にもとにしたのは『四谷雑談集』ですが、『四谷怪談』のなかの名場面も、巧みに取り入れられており、例えば高田衛が、
「物語の主要構成やその細部を、そのまま自己の小説の構成や細部に引きつぎつつも、中身は全く異なるものへ、異なる世界へと化してゆく文学的技法」(262頁)
「剣を抜くことのない、そして笑うことのない伊右衛門は、最終的に人を斬り、そして嗤う」「そこには正常と、狂気が交錯している。表現者京極夏彦の、複眼的な達成」(265頁)(「『四谷怪談』の虚像と実像」『お岩と伊右衛門 「四谷怪談」の深層』洋泉社、2002年。初出C・ノベル版『嗤う伊右衛門』解説)
と述べるように、資料の再解釈と再編によって、新しい『四谷怪談』の世界を構築したものとして評価されています。
「正常と、狂気」とは、この伊右衛門とお岩、特にお岩の矜持や美しさは、非常に近代的な性格づけがなされているのですが、その正常なときの近代性と、古典の世界を引きずった狂気、という風に言い換えることができるかもしれません。
『四谷怪談』の再編として面白かったところを一つ上げるとすれば、蚊帳のモチーフです。『嗤う伊右衛門』の中では蚊帳が重要なモチーフになりますが、『四谷怪談』の中では、蚊帳は子供が蚊に食われるから質に入れないでくれと、お岩が伊右衛門に頼んだものでした。
さらに、「お岩はこの上なく醜い。しかし同時にお岩はこの上なく美しい。それは女性の「美」が、その女性本人の矜持と、自律によって成り立つ」(前掲書、261頁)、「お岩と伊右衛門の」「男女の関係が」「たとえばプラトニックな愛であったという新解釈が、たんに成立するのみならず、一種のリアリティを獲得している」(同)と指摘されるように、伊右衛門やお岩は魅力的な人物として描かれており、大筋は美しい悲恋物語となっています。一方で喜兵衛は悪役です。
そして、
「この梅は――己が産んだ赤子を殺めたのだ。岩にできる筈がない。梅が先に殺めて捨てておいたのだ。そして襤褸を丸めて一日中、抱いたりあやしたり乳を遣ったりしておったのだ」
あの時――赤ん坊は最初からいなかったのか。
「岩の騒ぎに乗じ、自が邪念を満たさんと鬼畜となり、罪なき赤子を屠るとは――哀れなり」 (366~367頁)
とあるように、子供を産むのも子供を殺すのもお梅です(子供を産むのが梅であることは、『四谷雑談集』を踏まえたものだと思いますが)。お梅はいったん民谷家の養子になっていますので、姉お岩、妹お梅の義姉妹関係、つまり石と花の組み合わせが成立しています。
*引用文は、『東海道四谷怪談』(新潮日本古典文学集成)、『嗤う伊右衛門』(中央公論社、1997年)による。
*少し修正しました(7月3日)。
←第7回
→第9回
すみません、今回も遅くなりました。第8回をアップします。
はじめに
江戸時代になると、それまで貴族や豪商の間で楽しまれていた花見の習慣や、庭や鉢に草花を植える園芸が、庶民の間にも広まります。
品種改良や株分けなど、人工的な栽培技術も発展し、薬用植物の歴史を明らかにする本草学の研究も、盛んになります。そのような花々は浮世絵において、花そのものとしても、物語や歌舞伎役者、女性のイメージと重ねられても描かれます。また、江戸時代は、出版文化が盛んになり、様々な文学ジャンルが生まれますが、その中でも花や、花のイメージは、重要なモチーフとなります。
そこで今回は、簡単に江戸の園芸文化を見たうえで、文学作品の考察を行います。
具体的にどの文学作品を取り上げるのか、というのはなかなか悩ましいところなのですが、第二回目にとり上げた『古事記』の石長比売との関連から、今回は『東海道四谷怪談』をとり上げましょう。『四谷怪談』のヒロイン、お岩さんの名前は、「石長比売」の系譜であると言われるからです。
1.江戸の園芸文化
近世になると、園芸文化が発展し、庶民の間にも広まってきます。もちろんそれまでも、貴族や豪商の間では、桜狩りや紅葉狩りに出かけたり、邸内に自然を模した庭を作ったり、ということはありましたが、近世には庶民の間でも、身近な鉢植えを育てたり、花見に出かけたりということが、広まってきました。
「江戸時代後期の日本は世界でも有数の園芸大国」(大場秀章「序文」日野原健司・平野恵『浮世絵でめぐる江戸の花』誠文堂新光社、2013年)となり、
江戸時代は、由緒ある寺社境内が名所としてもてはやされ、植物では、梅、桜、松が多く浮世絵に描かれています。江戸の市民は、こうした名所に出かけて、俳句や和歌を詠み、飲食をし、その季節感を大切にしました。 (平野恵「名所と園芸」、同書140頁)
ただ、そうした花は、必ずしも自然なものではなく、例えば椿については、「植木鉢に植えて鑑賞するものであり、庭で自然に育てようというのではなく、極めて人工的な盆栽という手法をとった」(青木宏一郎『江戸の園芸:自然と行楽文化』ちくま新書、1998年、25~26頁)ことが指摘されています。
この本では薬用植物と鑑賞用植物の区別がつきにくかったことも指摘されているのですが、江戸時代には、薬用植物の研究、本草学も盛んになってきます。
本草学とは、「本草書をひもとき、薬物の歴史を明らかにする学問」[難波恒雄][御影雅幸]("本草学", 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2020-06-28))のことですが、面白いのが、
江戸本草学に生じた表象の事件は、江戸がヨーロッパ(や多分、明、清)とも共振し始めていたことを示す。(中略)人々が言葉と物の関係に対峙した極めて記号論的な時代が全世界に存在していた様子だ。意味を誘発するための単なるフォルム、意味性の空虚な器として、その時、花以上のものはまたとない。(高山宏「「物類」というタブローの宇宙:江戸本草学と花」『国文学』1997年4月号、136頁)
との指摘があるように、この時代の本草学の展開において、言葉と物との関係づけが試みられており、そこにおいては、意味を誘発するものとして花があったということです。
いうまでもなく、品種改良は人工的な繁殖です。江戸時代に流行したサクラソウなど、種を取らず、株で増やすような栽培方法をとるものもありました。これは言ってみれば、生殖せず、分裂して、分身を増やすようなものです。しかも言葉と物との関係、花のもつイメージは、これまで以上に濃密になっています。
そこでこのような人工的な栽培技術が、植物(花)のイメージにもたらす変容について、考えていきたいと思います。
2.石女(うまずめ)から産女(うぶめ)へ:『東海道四谷怪談』のお岩
具体的に取り上げるのは、『東海道四谷怪談』。
あれ、『四谷怪談』に花なんか出てきたっけ、と思う方も多いでしょう。確かに具体的に描かれているのは、お岩の妹のお袖が売っているお供え用の樒や、伊右衛門の夢に出てくるカボチャ、切子灯籠のアサガオの模様くらいなものです。
ですが、お岩の名前は、石長比売の系譜であることが指摘されますし、植物系の名前がついているお梅は、妊婦を象徴する名であると言われています。
*郡司正勝「解説」(新潮日本古典文学集成、1981年)
「お岩」という名は、「岩藤」「岩根御前」など、『古事記』の「石長比売」以来のかたましい女の系譜に名付けられたかぶきの独自な命名法」
・新潮日本古典文学集成頭注
「「お岩」の名には」「夫に裏切られる妻の系譜があった」
「「お梅」は妊婦を象徴する名。巷説で妊娠したとされる伊藤の妾を当て込んだ」
そして、『四谷怪談』では、民谷家伝来の「ソウキセイ」という薬や、お岩の顔を醜くする薬など、薬(←薬草、植物)も重要な役割を果たします。
少し先を急ぎすぎました、とりあえず、『四谷怪談』のあらすじを説明しておきましょう。
主な登場人物は、塩冶(えんや)家浪人民谷伊右衛門、その妻お岩。お岩の父左門、お岩の妹お袖。お袖のいいなづけ佐藤与茂七。お袖に片恋し、執着する直助。民谷家の下男で、塩谷家の家臣の臣下である小仏小平。伊右衛門に恋い焦がれる隣家の孫娘お梅、お梅の祖父で高野家の重臣伊藤喜兵衛など。
初日序幕:(浅草境内)楊枝屋に今日から売り子として勤務しているお袖、彼女に執着する直助、伊藤喜兵衛の孫娘で、恋の病につかれて寺参りするお梅などが登場。左門が許されない場所で物乞いをしたとして、浅草境内を縄張りとする乞食たちに捕まっていたところを、伊右衛門に助けられる。伊右衛門は左門の娘お岩の婿であるが、お岩は実家に戻っている状態であり、妊娠中であった。伊右衛門は左門に塩谷家に仕えていたころの悪事を言い当てられ、知られた上は生かしてはおけないと考える。
(浅草田圃)民谷伊右衛門は妻お岩の父四谷左門を殺す。一方、お岩の妹お袖に恋をする直助は、同じ場所でお袖のいいなづけ与茂七を殺すが、実はそれは人違いであった。そこにお岩、お袖の姉妹が通りかかり、伊右衛門と与茂七が殺したことを知らない二人は、左門と与茂七の敵を討つために、伊右衛門と直助の助けを借りることとなる。
初日中幕(雑司ヶ谷四谷町):民谷家の隣家に住む伊藤喜兵衛の孫娘お梅は、どういうわけか伊右衛門に恋い焦がれている。ところが伊右衛門には妻のお岩がいる。孫娘の恋をかなえてやりたい喜兵衛は、血の病に効く薬と偽って、産後のお岩に顔が醜くなる毒薬を贈る。そのことを知らされた伊右衛門は、高野家に臣下として推挙してほしい思いもあり、お梅との結婚を受け入れることになる。
一方でお岩は、薬を飲んで容貌が変わった後、按摩(あんま)の宅悦(たくえつ)から事情を知らされ、憤死する。お岩の遺体の始末に困った伊右衛門は、民谷家秘蔵の薬を盗んだ下男小仏(こぼとけ)小平も殺し、お岩と小平の死骸(しがい)をともに、戸板の両側に釘付けにして川へ流す。
その後何事もなかったかのように、お梅を迎え入れるのであるが、お岩にたたられ、お梅の顔はお岩と変わり、驚いた伊右衛門は殺してしまう(すると元のお梅の顔に戻る)。小平にもたたられ、喜兵衛の顔は小平に変わり、しかも赤子(伊右衛門とお岩の子供)を食い殺したかのように見えて、殺してしまう(すると元の喜兵衛の顔に戻る)。
初日三幕目(十万坪堀(おんぼうぼり)):直助は釣りをしていて、鼈甲の櫛を拾う(実はお岩が母の形見と大切にしていた櫛)。伊右衛門は、小平の父孫兵衛の後妻となっている、実の母お熊に会い、高野家に推挙してもらうための書物をもらう。伊右衛門が釣りをしていると、杉の戸板が流れ着き、引き寄せて見たところ、お岩の遺体を釘付けにした戸板であった。お岩の亡霊が恨みを述べるため、思わず戸板をひっくり返すと、今度は小平の遺体で、亡霊が恨みを語る。
後日序幕:(深川三角(さんかく)屋敷)(小塩田隠れ場):お袖は直助と、夫与茂七の敵を討つという約束で、名目だけの夫婦になっていた。しかしながら、直助から姉お岩の形見の櫛を渡されたことで、姉の死を悟る。夫だけでなく、姉、夫、父の三人の敵を討ってもらわなければならなくなったお袖は、直助と本当の夫婦になる。ところがそこに、死んだはずの与茂七が訪れる。お袖は直助・与茂七の双方に嘘をついて、それぞれ相手を討つようにと手引きして、自分が殺されるよう手配する。お袖は実は捨て子であったが、死に際し、お袖の本当の父を記した書き置きを渡す。書き置きを見た直助は、お袖が実の妹であることを知る。また、与茂七の話から、人違いで殺したのが実は、旧主の子庄三郎だったことも知る。主殺しと近親相姦の罪の重なった直助は、その重さにおののき、自殺する。
一方で孫兵衛宅では、旧主で塩谷家浪人の小塩田又之丈が隠れ住んでいた。又之丈は病気のために、足が立たない状態にある。孫兵衛お熊は察してはいるものの、はっきりとは知らされていない。小平の亡霊が質に入った自分の着物などを持ち帰ったために、隠れ住んでいた又之丈に盗みの疑いがかかるが、討ち入りの分配金を届けに来ていた別の浪士がお金を払い、疑いを晴らす。隠れ住んでいる侍が塩谷家の浪士であることを確信したお熊は、質屋の庄七に捕らえさせて、高野家に密告しようとするが、小平の亡霊に届けられた薬を飲んだ又之丈は、病全快し、庄七を斬り返す。
後日中幕(夢)伊右衛門は秋山長兵衛を供に連れ、鷹狩をしていると、田舎家に鷹が迷い込む。その田舎家に、美しい田舎娘がいるが、実はお岩の亡霊で、伊右衛門が口説こうとすると、恨みを述べる。
(蛇山庵室(へびやまあんじつ))夢から覚め、流れ灌頂をしていても、その中から産女の姿のお岩が現れる。伊右衛門はお熊からもらった書き置きによって高野家に仕えようとするが、書き置きはお岩の化身である鼠によって穴だらけになっており、意味をなさない。伊右衛門は最終的に与茂七に討たれる。
『四谷怪談』では、妊婦を象徴する名であるという「お梅」は、妊娠しません(元ネタである『四谷雑談集』では妊娠するようです)。一方でイワナガヒメの系譜であるはずのお岩が妊娠・出産しています。
そして、お岩とお梅は姉妹ではなく、石(お岩)と花(お梅、小仏小平の妻お花など)という組み合わせは成立していません。妹のお袖が、仏前に供える香花を売っているくらいです(ただし、お袖は実の姉妹ではない)。
また、お岩にも、伊右衛門が見る夢の中では、かすかに植物のイメージが重ねられています。
(後日中幕)
お岩 身で身を焦す蛍火も、露よりもろきはかない朝顔、日のめにあはゞたちまちに
ト燈籠に目をつける(366頁)
【口語訳】(お岩)「身で身を焦す蛍の光も、露よりもろくはかない朝顔も、(朝になって)日の目にあうとたちまちに」と言って(軒端につった朝顔の蔓のまとう切子の)燈籠に目をやる。
この燈籠へ、お岩の如き顔現はるゝ。(中略、伊右衛門の供の長兵衛が腰を抜かす、長兵衛が伊右衛門を呼ぶセリフ)
ト呼び歩き、思はず軒を見る。這ひまとひしかぼちや、残らず顔と見える。(368頁)
【口語訳】この燈籠に、お岩のような顔が現れる。(中略)と(長兵衛は)呼び歩き、思わず軒を見る。軒に這いまつわっているカボチャが、残らず(お岩の)顔に見える。
朝顔の蔓草の絡みついたデザインの切子灯籠や、カボチャがお岩の顔に変わっています。「一年草のアサガオは、種からの育成も比較的容易で、さほど園芸の知識がない人でも十分楽しめる」「江戸時代に流行した植物の中ではおそらく最も庶民的」(青木宏一郎『江戸の園芸:自然と行楽文化』、前掲、26頁)な花であったということですが、様々なデザインに取り入れられたのでしょう。朝咲いて昼にはしぼんでしまうことからはかなさ、つる草の絡みつく様子などから怨念を想像させ、幽霊と相性が良いのかもしれません。
注目したいのが、 亡霊となったお岩が、産女の姿で現れることです。また、小平の顔に変わった舅が血塗れになり赤子を食い殺したように見える場面については、お岩と小平は二人で一人の存在であるとして、母親による「子殺し」と位置づけるもの(片岡徳雄「わが子殺しの系譜」『四谷怪談の女たち:子殺しの系譜』小学館ライブラリー、1993年)や、お岩の異形性を、出産時覗き見られた豊玉姫のような、「人の存在そのものが異形であるほかないという事態」(佐藤深雪「お岩変奏」(『国文学』1998年4月号、119頁)と位置づけるものもあります。
そこで、『東海道四谷怪談』における、赤子の描写を見ておきましょう。
『東海道四谷怪談』における赤子描写
(初日中幕)大きなる鼠出て、抱子の着類をくはへて引く。また候(ぞろ)鼠出て、件の鼠の尾をくはへて引く。同じく鼠段々出て、尾をくはへて、段々と鼠連らなり、跡ずさりに赤子を引いて行くを、見つけ(187頁)
【口語訳】大きな鼠が出てきて赤子の着物を咥えて引っ張る。またもや鼠が出てきて、その鼠のしっぽを咥えて引っ張る。同じく鼠が次々と出てきて、しっぽを咥えて次々と鼠が連なり、後ずさりに赤子を引っ張っていくのを、(伊右衛門は)見つけ
と喜兵衛を引き起こす。その顔、小平の菊五郎の顔にて、抱子を食ひ殺せし体にて、口は血だらけ。(199頁)
【口語訳】(お岩の顔になっていたお梅を殺してしまった伊右衛門が)喜兵衛を引き起こす。喜兵衛の顔は小平の菊五郎の顔で、赤子を食い殺した様子で、口は血だらけ。
(後日中幕)雪しきりに降り、布の内より、お岩、産女の拵へにて、腰より下は血になりし体にて、子を抱いて現はれ出る。(383頁)
【口語訳】雪はしきりに降り、(流れ灌頂の)布の内から、お岩が産女の姿で、腰から下は血に染まった姿で、子供を抱いて現れ出る。
やヽヽヽヽ、そんならあの子は、亡者の天塩で。〇
ト嬉しげに赤子を受け取り
まだしも女房、でかした\/。その心なら浮かんでくれろ。南無阿弥陀仏\/\/
ト子を抱いて念仏申す。(中略、長兵衛の声で鼠が、というセリフがあり、鼠が出てくる)
(中略)お岩、見事に消ゆる。伊右衛門、恟(びっく)りして、抱きたる赤子を取り落す。この子はたちまち石地蔵になる。(384~385頁)
【口語訳】(お岩に抱いている赤子を見せられ、伊右衛門)「ややややや。そんならあの子(小平の顔の舅に食い殺されたかと見た伊右衛門とお岩の子供)は亡者の天塩で育てていたのか」と嬉しそうに赤子を受け取り、「(怨霊としていろいろ害をなしたが)まだしも女房よ、よくやった、よくやった。その心なら成仏してください。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と子供を抱いて念仏を申し上げる。(中略)お岩が見事に消える。伊右衛門が驚いて、抱いている赤子を取り落すと、赤子はたちまち石地蔵になる。
初日中幕の場面では、お岩の化身としての鼠が登場します。お岩=鼠というのは一貫するモチーフで、鼠年であるから、ということなのですが、石でも花でもなく、そしてまた女性の執着や怨念を表すものとしてよく使われる蛇でもなく、鼠、というのは少し気になるところです。
後日中幕の場面では、産女の伝承を踏まえたものではあるのですが、お岩の子が石地蔵へと変わっています。
ここでやっている「流れ灌頂」は、「水死者、難産で死んだ婦人、無縁仏などの供養のために行なわれる」(『日本国語大辞典』)もので、「産女」は「難産で死んだ女や、水子などが化したという幽霊」(『日本国語大辞典』)で、「道の辻(つじ)などに現れ通行人に赤子を預ける。赤子は徐々に重くなるが耐えていると、帰ってきた産女は礼に大力や財宝を授けて去る、という伝説」([渡邊昭五]『大日本百科全書』)もあると言います。
お岩は難産で死んだわけではないのですが、まだ産後間もないころに憤死していますし、赤子の死から、産女のイメージが重ねられているのでしょう。
この部分について、片岡徳雄は、
『四谷怪談』のお岩も産女の姿で流れ灌頂から出るのだが、その亡魂の働きは(累と、引用者注)まったく違う。自分の抱子は自分(小平)が食い殺し、その抱子は甦ったかにみえて結局は幻影にすぎない。産女の民俗信仰と重なるところは、重い抱子を抱かせる不気味さだけである。ここにはたしかに、産女の俗信を逆手にとった「したたかな毒」がある。それは「深い孤独感」というよりはむしろ「したたかな攻撃」というべきではないか。(前掲書、196頁)
と指摘しています。また、清玄桜姫物、と呼ばれる、お姫様桜姫に恋をした僧清玄の物語に材をとった、同じく鶴屋南北の『桜姫東文章』について触れ、
桜姫のわが子殺しは(中略)来世と現世から解放されるべき、桜姫個人の自由のための、心を鬼にしたわが子殺しであった。(中略、お岩や累と)イエや夫に縛られない女に再生したという意味においては、大いに共通性があるといってよい。(213頁)
とも述べています。
桜姫に関しては、同じく清玄桜姫ものの山東京伝『桜姫全伝曙草紙』について、「桜の精」のイメージ(高田衛「『桜姫全伝曙草紙』の側面:陰惨にして華麗なる花の精の物語」『国文学』1997年4月号)であることが指摘されていますが、『桜姫東文章』の中で桜姫は稚児の生まれ変わりで、子供を産んで子供を殺します。
▽繁栄や生殖を象徴するはずの「桜」が子殺し
▽稚児が姫に転生(そしてそれを女形が演じる)
▽生殖しない稚児と生殖する姫
などの観点から、比較して考察したいところですが、ちょっと今回手に負えませんでした。
歌舞伎とか戯作については、もう少し…、というか、もう大分勉強しないと厳しいです。何か間違ったことやおかしなことを言ってるんじゃないかと思って、結構びくびくしてます…。また、当然見るべき論文もまだ届いていないものが多くて、参照できていないのです。
3.現代への変奏
今でも夏の幽霊話というと、『四谷怪談』のお岩さんか、『番町皿屋敷』のお菊さんか、というくらい、『四谷怪談』は大きな影響を与えています。演劇・映画・小説など、様々なジャンルにおいて翻案されていますが、ここではほんの一例として、京極夏彦の『嗤う伊右衛門』(1997年)をとりあげます。
【梗概】
浪人・境野伊右衛門は、蚊帳に隔てられた風景を、ひどく嫌っていたが、水辺の長屋は蚊が多いために蚊帳をつらざるを得ない。
そんな伊右衛門はある日、小股潜り(口が立つこと、人をだますのがうまいこと)の異名を持つ又市の周旋で、御先手組同心・民谷家の婿養子となる。妻となる岩は、2年前の病によって容貌が大きく崩れていたが、誇り高く強い性格を持っていた。伊右衛門と岩は、互いにひかれあうものの、すれ違いが続く。
一方で隣家の伊東喜兵衛の妾、お梅は伊右衛門に惹かれる。お梅は裕福な薬種問屋の娘で、大切に育てられていたが、喜兵衛にさらわれレイプされたことから、喜兵衛の妾となることとなってしまった。怒った父親が喜兵衛に使者を送り、談判するところに、たまたま居合わせたお岩の父が両者をとりなしたのだが、お梅の父側へは、自分が養女にして喜兵衛と正式に結婚させるからととりなし、喜兵衛にはひとまず他の妾を外に出して、両親には結婚したかのような振りをして妾としてお梅を家に迎えるよう勧めたためである。事は収まるが、お梅は喜兵衛に虐待され、地獄のような日々を送っていた。やがてお梅は喜兵衛の子を妊娠する。
そんな中、喜兵衛は岩、伊右衛門の両者をうまく騙し、岩を家から出し、お梅と伊右衛門を結婚させる。けれども喜兵衛は週に一回伊右衛門宅を訪れ、お梅をレイプするのだった。
伊右衛門が幸せであればそれでよいと思っていた岩であるが、伊右衛門が幸せではないことや、様々な真実を按摩の宅悦から知らされ、発狂して宅悦を殺し、仮住まいを飛び出してしまう。その後様々な場所に岩が現れるという噂が立つが、お梅が産んだ子供が行方不明になり、遺体が捨てられているのが見つかる。お梅は岩がさらったのだと主張するが、実はお梅自身が殺したのだった。
岩が発狂したとき、宅悦と同行してどうにか逃げたのが、かつて伊右衛門と同じ長屋に住み、友人であった、直助であった。直助は妹のお袖を喜兵衛にレイプされた恨みから(お袖は自殺、ただし、直助の言葉によると、お袖の自殺は直助が「その躰を清めてやる」と言って(363頁)お袖を抱いたことが原因)、喜兵衛に復讐する機会をうかがい、伊右衛門の中間となる。直助は喜兵衛に殺されるが、伊右衛門は喜兵衛の元に戻ることも実家に戻ることも拒否した梅を殺し、喜兵衛を殺す。蚊帳を嫌った伊右衛門は、ついに蚊帳を切り裂いて、喜兵衛を殺したのだった。
喜兵衛が発狂し、お梅を殺し、中間の直助を殺したから仕方なく伊右衛門が切ったのだということにして、事件はすべて収まったかに見えたが、伊右衛門は少しずつ家を解体し始め、最後は桐箱の中に、岩とともに収まる。
『嗤う伊右衛門』が主にもとにしたのは『四谷雑談集』ですが、『四谷怪談』のなかの名場面も、巧みに取り入れられており、例えば高田衛が、
「物語の主要構成やその細部を、そのまま自己の小説の構成や細部に引きつぎつつも、中身は全く異なるものへ、異なる世界へと化してゆく文学的技法」(262頁)
「剣を抜くことのない、そして笑うことのない伊右衛門は、最終的に人を斬り、そして嗤う」「そこには正常と、狂気が交錯している。表現者京極夏彦の、複眼的な達成」(265頁)(「『四谷怪談』の虚像と実像」『お岩と伊右衛門 「四谷怪談」の深層』洋泉社、2002年。初出C・ノベル版『嗤う伊右衛門』解説)
と述べるように、資料の再解釈と再編によって、新しい『四谷怪談』の世界を構築したものとして評価されています。
「正常と、狂気」とは、この伊右衛門とお岩、特にお岩の矜持や美しさは、非常に近代的な性格づけがなされているのですが、その正常なときの近代性と、古典の世界を引きずった狂気、という風に言い換えることができるかもしれません。
『四谷怪談』の再編として面白かったところを一つ上げるとすれば、蚊帳のモチーフです。『嗤う伊右衛門』の中では蚊帳が重要なモチーフになりますが、『四谷怪談』の中では、蚊帳は子供が蚊に食われるから質に入れないでくれと、お岩が伊右衛門に頼んだものでした。
さらに、「お岩はこの上なく醜い。しかし同時にお岩はこの上なく美しい。それは女性の「美」が、その女性本人の矜持と、自律によって成り立つ」(前掲書、261頁)、「お岩と伊右衛門の」「男女の関係が」「たとえばプラトニックな愛であったという新解釈が、たんに成立するのみならず、一種のリアリティを獲得している」(同)と指摘されるように、伊右衛門やお岩は魅力的な人物として描かれており、大筋は美しい悲恋物語となっています。一方で喜兵衛は悪役です。
そして、
「この梅は――己が産んだ赤子を殺めたのだ。岩にできる筈がない。梅が先に殺めて捨てておいたのだ。そして襤褸を丸めて一日中、抱いたりあやしたり乳を遣ったりしておったのだ」
あの時――赤ん坊は最初からいなかったのか。
「岩の騒ぎに乗じ、自が邪念を満たさんと鬼畜となり、罪なき赤子を屠るとは――哀れなり」 (366~367頁)
とあるように、子供を産むのも子供を殺すのもお梅です(子供を産むのが梅であることは、『四谷雑談集』を踏まえたものだと思いますが)。お梅はいったん民谷家の養子になっていますので、姉お岩、妹お梅の義姉妹関係、つまり石と花の組み合わせが成立しています。
*引用文は、『東海道四谷怪談』(新潮日本古典文学集成)、『嗤う伊右衛門』(中央公論社、1997年)による。
*少し修正しました(7月3日)。
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