人形と動物の文学論

人形表象による内面表現を切り口に、新しい文学論の構築を目指す。研究と日常、わんことの生活、そしてブックレビュー。

歴史が自伝に変わるとき―田中純『冥府の建築家 ジルベール・クラヴェル伝』

2013-02-28 15:39:13 | 書評の試み
 『ハドリアヌス帝の回想』や『黒の過程』などの歴史小説で知られるフランスの作家、マルグリット・ユルスナールは、その自伝的小説『追悼のしおり』のなかでこう述べる。

  ある家門の歴史が、私たちに古いヨーロッパの一小国の歴史を開く窓になるのでなければ、それを  語ったところでほとんど何の興味もないはずである。(72頁)

 淡々とした筆致で一族の歴史を描くことによって浮かび上がる、ヨーロッパの歴史。それが「自伝」となるのは、彼女という小さな個人が、一族の歴史を引き受けながら現在という歴史のなかを生きることの自覚によるのだろう。

  ジルベール・クラヴェルの生の記録(中略)に徹底して即すことにより、この人物が典型的に体現して  いるヴィジョンとオブセッションの根源へと向かおうとする試み(19頁)

である本書も、そのような系譜上に位置づけられる。

 ジルベール・クラヴェルは、20世紀の前半を生き、未来派演劇の監督、小説『自殺協会』の作家、洞窟住居の建築家など多様な活躍をした人物。本書はその世界初の評伝であるという。幼い頃に患った結核のために終生病と戦い、死に親しい意識を持っていたこの芸術家の人生は、世紀末デカダンから未来派へと移り変わる時代の流れと密接に関わりあう。それでいて、廃墟と化したサラセン人の塔を修理し、さらに岩盤を刳り貫いて住居をつくる試みは、彼個人の身体感覚に根ざした、特異なものであった。洞窟住居は、病気のために睾丸の摘出手術を受けたクラヴェルの、卵=睾丸というオブセッションを体現するものであるというのだ。そしてオブセッションは、(著者によれば)転移する。それでは著者には一体どのようなオブセッションが転移したのだろうか。

 資料を丁寧に解きほぐしそれに依拠しながら、本書は「学術的な研究とは少し異質な、経験の質感の再現という、はるかに深く「表現」に関わる企て」(494頁)であるという。ひとつの恋の物語である、クラヴェルからアーシアと呼ばれる女性への手紙で構成された「アーシア断章」は限りなく美しい。著者は「物語ることへの欲望」を、「クラヴェルその人から譲り受け」たのだと言う(同)。だからオブセッションのひとつは、物語ることだと言える。

 そしてもう一つ。クラヴェルが腸内洗浄について「それに続いてヴェスヴィオ火山の爆発が起こり、おかげでぼくのお尻は再び望遠照準器になった」と語る、肉体と物体、大地の比喩が紹介されている(431頁)。「古きヨーロッパは自分たちとともに沈んでゆく―もし、ヴェスヴィオ火山の炎が埋もれた深みから噴出しないならば」(421頁)との手紙も。ここで日本が火山列島であり、それゆえに地震が多発する場所であることが想起される。著者が調査から「日本に帰国した翌日に、大地は激しく揺れ、海は猛り狂った」(494頁)。だから「日本語で」物語ること、しかも、今、この日本で物語ることのオブセッションを、著者は譲り受けたのだ。おそらく著者の敬愛する、海外文学の翻訳や紹介を通して、自らの文学を切り開いていった先人たちに続いて。

 自らの身体を「骸」として、その象徴のように、自らの身体を掘り進むように、洞窟住居にのめり込んでいったクラヴェルの人生は、死の都市表象にこだわりながらひとつの研究分野をたちあげていった著者個人の研究歴にも重なる。その意味で本書は、単なるクラヴェルの評伝ではなく、田中純という研究者の自伝としても、類ないものだろう。

みすず書房、2012年、5000円+税
『追悼のしおり』の引用は、岩崎力訳、白水社、2011年より。


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