「北アルプスの南の重鎮を穂高とすれば、北の俊英は剱岳であろう。
層々たる岩に鎧(よろ)われて、その豪宕(ごうとう)、峻烈、高邁(こうまい)の風格は、
この両巨峰に相通じるものがある。……
全く剱岳は太刀の鋭さと靭さをもっている。
その鋼鉄ののような岩ぶすまは、激しい、険しいせり上がりをもって、雪をよせつけない。
四方の山々が白く装われても、剱だけは黒々した骨稜を現している。
その鉄の砦と急峻な雪谷に守られて、永らく登頂不可能の峰とされていた。……
深田久弥著「日本百名山」より
層々たる岩に鎧(よろ)われて、その豪宕(ごうとう)、峻烈、高邁(こうまい)の風格は、
この両巨峰に相通じるものがある。……
全く剱岳は太刀の鋭さと靭さをもっている。
その鋼鉄ののような岩ぶすまは、激しい、険しいせり上がりをもって、雪をよせつけない。
四方の山々が白く装われても、剱だけは黒々した骨稜を現している。
その鉄の砦と急峻な雪谷に守られて、永らく登頂不可能の峰とされていた。……
深田久弥著「日本百名山」より
『劒岳 点の記』(つるぎだけ てんのき)を見て、いつの日か劔に登りたいと思っていた。
この映画は、新田次郎の小説を原作としたもので、2009年6月20日に公開。
第33回日本アカデミー賞優秀作品賞にも選ばれた。
この映画を見て、劔に憧れたのは私だけではあるまい。
■古稀にして、とうとう決心。
独りで剱岳へ登山に出かけた。
体力にやや不安を感じつつも、コースは北アルプスの3大急登の中でも最も厳しい早月尾根コースを選んだ。
剱岳写真の左側の尾根が早月コースだ。
登山者も少ないので、鎖場の待ち時間もないし、先行登山者の落石の危険性もない。
車で登山口まで行くことができるなど、何より自由度があるからだ。
■初日は、自宅から車で約5時間、馬場島へ。
馬場島荘に宿泊。
▲劔岳の碑 本来ならこの向うに剱岳が見えるのだが…
▲馬場島荘 平成16年に新築された。
▲馬場島キャンプ場
キャンプ場内にある巨大岩石 遭難者の供養碑
■2日目は、馬場島から早月小屋までのコースだ。
登山口を6:20に出発。
登山口には「劔岳の諭」の碑がある。
”劔岳は岩と雪の殿堂である。心身とも鍛錬された人々よ来たれ。…”とある。
気を引き締めて、今日の泊まり早月小屋をめざし、登山開始。
▲剱岳登山口にある案内碑
いきなりジグザグの急登である。
はやる気持ちを抑えながらも、快調に先を急ぐ。
これを過ぎるとやや平坦な松尾平に着く。ベンチもあって休憩によい。
ここをすぎた辺りから本格的な急登が始まる。
行けども行けども急登の連続。ゆるやかな道は一切望めず、
さすがは案内書のとおり、厳しいコースである。
木の根っこ、岩、と歩きづらい。
標高2,000m辺りから視界、展望が開けてくる。
2,200mまで登ると、今日の泊まり早月小屋がやっと見えてきた。
▲早月小屋が見えてきた。(2,200m)
馬場島から早月小屋までの天候は、ガスと一時雨に降られが、
無事小屋に到着(12:52)
ここまで来れば、まずは安心、剱は近い。
体調はすこぶる良好である。
後は天候の回復を祈るばかり。
泊まりの小屋では、大雨、明日の天候が大いに危ぶまれたが、天候は徐々に回復。
夜半には月が出ていた。
■3日目は、朝から晴れ、いよいよ剱の山頂を目指しての岩稜歩き。
今日は結構きつい行程だ。
予定では、早月小屋を発って剱岳山頂まで4時間。下り、山頂から早月小屋まで3時間。
さらに馬場島荘まで3時間30分。合計10時間30分の行程が待っている。
このことが、大変な心的負荷となって、気持ちの余裕を蝕んでいたような気がする。
重いザックは小屋にデポした。
天候は快晴に恵まれた。
小屋からもきつい登り。
1つ目のピークを越えたところが2,400m。周囲の展望が開けてきたが、剱岳の山頂は望めない。
快晴で直射日光がきつく暑い(熱い)。
2,400mからは先は、岩また岩、クサリ場も多い。
ただし、高度感もなく、難しくもない。
ただ、急登また急登の連続。
山頂まで一気に登る。
途中、ライチョウの親子にも出会った。
▲ハイマツと岩の登山道(2,500m)
▲遠くに白馬岳が見える。
▲ふり返れば早月小屋が(2,600m)
▲標高2,800mの標識 頂上まであと少し
▲登山道(2,800m)
▲ライチョウの子ども2羽
▲ライチョウの親 よく見ないと分からない(2,800m)
▲カニのハサミ鎖場 足がかりにボルトがある(2,900m)
▲早月尾根への案内標識 下山のためにしっかりと確認(2,970m)
▲見上げれば剱の祠
早月小屋を発っておよそ4時間。9時40分、無事剱岳山頂を踏むことができた。
念願の剱岳登頂がかなった瞬間だった。
山頂には立派な祠が祭られていて、
白馬岳、鹿島槍ヶ岳、穂高連峰、槍ヶ岳と素晴らしい展望が開けていた。
とうとう、念願の剱に登ったという感慨がわいてきた。
▲新しい祠は平成20年8月に完成したものだ。
▲剱岳山頂から見た北アルプスの山々 右には室堂、アレペンルートも見える。
▲山座はこの写真で確認できる。(photo by Taro Nagoya)
▲山頂の様子 殆どが別山尾根から来た人たちだ。正面に鹿島槍が遠望できる。
▲別山尾根コース 手前の岩壁はカニのタテバイ、ヨコバイ
これから急尾根を2,240m下らなければならない。
山頂での休憩もそこそこに、名残惜しく剱岳山頂を後にし馬場島を目指して一気に下る。
▲別山、早月コースの合流点に立つ案内標識
▲遠くに下山コースを見る。
途中、小屋でザックを受取り、昼食休憩。
時間を気にしながら、ひたすら下る。
足が思うように踏ん張れない。さすがに下りはきつい。
休憩を取り足を休めたいが、馬場島到着時刻が気にかかる。
それと、なまじ足を休めると私の場合、足の痙攣が起きる可能性も高く、これも気になる。
ガスもかかってきた。
やたらとのどが渇く。水は十分にある。
行動食と共に水を飲む。
飲むと、すぐに汗が噴き出してくる。
馬場島に到着する2時間ぐらい前から、足が極端に重くなり、同時に気分も少し悪くなってきた。
ひょとすると熱中症か? シャリバテか?…
とにかく、気力だけで下っている感じだ。
やっと、松尾平に着いた。
後はジグザグの急坂を下りきれば登山口だ。
ついに18:40に登山口に到着した。
小屋から馬場島まで予定時間に対し1時間半もオーバーしてしまった。
しかし、これから車を運転して家まで帰らなくてはならない。
身体が思うように動かない。辛い…。
馬場島荘でお風呂に入りたかったが、入浴可能時間が過ぎていた。
フラフラになりながらキャンプ場の水で汗を拭き、短パンとポロシャツに着替えた。
何か食べないと思ったが、気分が悪く水も受け付けなくなっていた。
1時間ほど、車で横になっていたが、一向に気分は回復しない。
仕方なく、20時頃に帰路についた。
これから、380km程走らなければならない。
辺りは漆黒の闇、町まで小1時間。慎重にハンドルを握った。
無性にスイカジュースが飲みたくなった。
途中、牛乳とバナナ、ガリガリ君キャンディを食べる。
少し気分が落ち着いてきた。
不思議と眠気は起こらなかった。
高速道路では、制限時速80kmを厳守した。
これ以上出すと運転に気持ちが集中できないからだ。
途中、何度も休憩し、翌日の夜明け5時前に自宅に到着した。
これで剱への挑戦は終わった。
■反省
この早月尾根コースは、高度感はなく、岩登りのテクニックはそれほど必要としない。
しかし体力だけは必要なコースだ。
きつかった。
念願であった、剱岳の登頂だけは果たせた。
今回の登山の意義は何であったのか。
急登への不安。
行動計画をこなすことに対する気持ちの焦り。
特に、3日目の小屋-剱山頂のピストン。小屋から馬場島への下り。
山を楽しむ気持ちの余裕がなかった。
ただ、山頂に立つことだけが目的であったように思う。
「剱に登った」という、自己満足だけか。
山頂から下山途中、小屋にもう1泊していたら、
登山の満足度はかなり高いもであったであろう。
登山口にあった「試練と憧れ」の碑
まさに「憧れを果たすために試練を受けた」ような気がする。
山を楽しめないような登山は何の意味もない。
登山は単なるスポーツではない。
登山とは思索であり、哲学であろう。
そういう意味では、今回の登山は不満足であった。
しかし、収穫もあった。
精神面では山に向き合う気持ちの大切さ。
技術面では、急登に対する身体の運び、また、何よりも急登に自信がついたことだ。
そして、行動食の選択、ストレッチ体操の重要性も学んだ。
今回の反省を今後の山登りに生かしたい。
無事に下山できたことに、感謝。
【日 程】平成27年7月29日(水)~8月1日(土) 2泊4日
【メンバー】単独行
【天 候】 29日 晴れ後曇り
30日 曇り時々雨
31日 快晴後曇り
【コ ー ス】 ●1日目 7/29 自宅 10:00出発(自家用車)
16:00馬場島荘着(宿泊)
●2日目 7/30 馬場島 6:20発
早月小屋 12:52着
●3日目 7/31 早月小屋 5:35発
剱岳山頂 9:40着
剱岳山頂 9:54発
早月小屋 12:50着
早月小屋 13:40発
馬場島 18:40着
馬場島 20:00発(自家用車)
●4日目 8/1 自宅 4:55着