表千家一期一会

「茶道の哲学」【日本の文化的使命と茶道】より

茶道というものは
日常生活の聡怩ニか食事とかいうような
ごく普通の何でもない日常些事といわれるような事柄から
人間生活としては一番深い高いものであると
いってもよいと思われる非日常的な宗教といわれるものに至るまで
広く全体を包括している



宗教と同じく
茶道も本来は宗教的な深い慰安を与えるものである



侘茶人というものは
「物をもたないのを生かす」
というところに非常に大きな意義がある
いわば「無が生きた無」であるところに意義がある


作法とは美と徳の結合である


巧言令色は茶道の固くいましめるところである
未熟なものは
形式にとらわれて心にもない巧言令色をするところとなり
熟練したものは
巧言令色とは思えぬほど上手に巧言令色をするようになっている


巧言令色は
道義に反する似非作法であって
道義性が欠けているだけでなく美的でさえありません


侘の美は
しっとりと落ち着いた
寂かな清らかな美しさであり
うきうきした騒がしい派手な美ではありません


侘にはさみしさというニュアンスがあるが
悲観して滅入るさみしさではなく
安らかさや落ち着きの性格をもったものである



ただ茶道の形式を習い
その通りに上手にやれるというだけでは
侘の根源的主体に体達することはできない


茶道は
本来はそうでないのに
今日の茶の世界は非常に封建的であり
これが茶の発達を妨げている



茶道人はまず
自主的創造性をもって
茶道文化の内容を豊かにしなければならない


以上
「茶道の哲学」久松真一(講談社学術文庫)
P1~P28からの抜粋です

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